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1 “06(ゼロロク)”

 こんなことが、あるのだろうか。

 半世紀以上前の保証書に書かれた電話番号が、生きていた。

 信昭(のぶあき)の心臓は、バクバクと大きく鳴り、耳の奥でうるさいくらいに響いていた。変な汗を掻き、頭や手足の裏がやたら湿って気持ち悪いほど。

『あれ、三笠(みかさ)さん? どうしました、三笠さん?』

 電話から川端輝良斗(かわばたきらと)の声がして、書斎の床に落とした携帯電話を慌てて拾う。

「あ、す、すみません。本当に繋がるとは思っていなかったもので」

 一か八かの賭が当たった。一年分、いや、一生分の運を一気に使い果たしてしまった。

 てのひらの汗をズボンで拭い、信昭は電話を持ち直した。

『あの内容でこの電話番号に辿り着くということは、やっぱり、今話題の06(ゼロロク)シリーズ最後の一体の持ち主ってことで、合っているんですよね?』

「わ、話題? 最後? どういうことですか」

 突然、輝良斗はとんでもないことを言ってくる。

『あれ、もしかして、知らないのか。……田所(たどころ)調律さんのとこでメンテしてますよね。東永町(とうえいまち)の』

「え、ええ」

『田所さんのところから流出したと思われる06の謄本が、昨日の深夜からネットにアップされてるんです。モザイクもナシで。夜に田所さんの新しい社長さんから、電話を貰ったばっかりだったから、何かあったと思って。連絡しようとしたら、どうしても繋がらないし。これは大変だと、いろいろ探してたら、顧客台帳に三笠さんの名前があったんです。流出してる謄本と住所は同一だし、一戸建てなら、何か事情でもない限り、ひょいひょい引っ越ししたりはしないだろう。もしかしたら何とかなるんじゃないのと電報を出したんですよ。電話番号の記載はなかったもんだから、アレしか方法がなくて。よかった。奇跡だ』

 畳みかけるように新しい情報を口にする輝良斗に、信昭はたじろいでいた。

 心臓のバクバクは止まらないし、やたらと体温が上がって、息も苦しくなってきている。それほど興奮している状態で、いきなりいろんなことを言われても、理解できるわけがない。

「あの、ちょっと状況がよく分からないのですが、一つずつ聞きますよ。流出って、ウチの個人情報、何で流出なんかさせる必要、あるんですか。もしかして、それは、鑑定士が来て高い値段ふっかけてきたのと何か関係が」

『鑑定士……、機械人形(マシンドール)鑑定士ですね。骨董機械人形(アンティーク・マシンドール)保存協会の。そうです。ちょっと込み入った事情もあって、うちの06シリーズに高値が付いてるようなんです。お電話で説明するは難しいですが、確かにそれと深い関係があります。三笠さん宅の06が、一般に普及している最後の一体。しかも、特別な一体です。あとは全部、保存協会と窃盗団の手に渡っています。田所調律の先代には、事情を話していたのですが、突然お亡くなりになってしまって。今の社長には何も伝わってはいませんでしたが、本当に込み入った事情があるのです。あの謄本を辿って、三笠さんの元に06を奪いに来る輩が現れるやもしれません。ですから至急、連絡を取りたくて。……あ、すみません、矢継ぎ早に。あまりに興奮してしまって。やっぱり、取っておく物は取っておくもんだなと。あ、顧客台帳のことです。ウチはすっかり機械人形の製作から手を引いてしまって、今は“川端調律事務所”の名前でメンテナンスとサポートだけやっているので。いや、本当に良かった。ああー、親父達に感謝しなくちゃ。紙媒体なもんだから、ボロボロで、捨てようかどうか迷ってたくらい……あ、顧客台帳のことですけどね』

 音声通話のみで姿は見えないが、川端輝良斗は酷く興奮していた。向こうも、自分と同じ気持ちなのかもしれないと思うと、信昭は少し、心に余裕ができた。

「川端さん、……ありがとうございます。今、何が起きているのか全然わからず、困っていました。田所の所には昨晩盗みが入ったようです。息子が確認したところだと、かなりの物損被害も出ていて、何者かに監視されているとも言っていたそうです。ウチの近所にも、確かに見覚えのない車が止まっていますし、あなたのおっしゃることと、辻褄も合います。田所にどういう話をされたのかわかりませんが、ウチのハナを、機械人形(マシンドール)のハナを直して貰いたいのと、今の事態をどうしたら良いのかを、相談させていただきたいんですが」

『そうですね……。田所さんには、故障の状態を伺いました。多分、田所さんは違う物を見て修理なさろうとしたのではないかと……あ、これはこっちの話ですが。電話だと長くなるからと、今日、メンテ用のデータを伝送で送ろうと思ってたんですが、止めた方が良さそうですね……。できれば、他の業者さんには06を見せないでいただきたいので……。この状況です、余程信頼の置ける業者さんでないと、最悪修理と銘打って売り飛ばされる危険性もありますからね。一度手を離れると、戻ってくる可能性は皆無でしょう。一体当たり物によっては数千万の高値が付いているらしくて……、ウチの利益にはならないので、正直かなり複雑なのですが、そういうものを突然手にしたら、お金に換えたくなる人がもしかしたら居るかもしれないのは紛れもない事実ですので、ホント、慎重にしていただきたく。えっと、直す、直せるとしたらですね、田所さんの所にはノウハウが……あー、今の社長は、初めて中身を見たっておっしゃってましたっけ。何で先代はきちんと引き継ぎしてくれなかったのか悔やみますが、今更そう言ったところで、どうにもなりませんからね……。あれ、田所さんとこ、物損被害も出てるって言ってました?』

「言いました。作業場が、壊されたようです」

『じゃあ……、もしかしたら、データ送ったところで修理どころじゃないわけか。うーん……、どうしようかなぁ。関東には良い工場が沢山集中していて、ご紹介したいところなんだけど、実際それができてれば簡単なわけで。できないからずっと田所さんとこの先代さんには口酸っぱく、“絶対に06のこと、最後まで面倒見てください”って言ってたのになぁ……。仕方ない、ぼくが直接06の修理するくらいしか方法はなさそうですね……』

「い、良いんですか」

『川端製作所の創業者だった高祖父の口癖がですね、家訓にもなってまして。“ウチで作った機械人形は、最後の一体が壊れて動かなくなるまで、ウチで面倒を見る”という……、ちょっと事情があって、06のことは特にですね、一体一体中身が違うもんですから、余所には丸投げできないんです。これは川端側の問題なので、気にしていただかなくて結構なんですけど、そういうわけで、とにかくぼくが修理しますよ。ただ、問題なのがここ、青森なんです。どう考えてもそっちに行くまでかなりの時間が必要なんです。機材積んでお邪魔することになりますから、明日に着くとかそういう確約はできません。精密機械運んで高速道路をですよ、進むわけですから、より慎重に向かわせていただきます。二、三日かかりますが、それでもよろしければ……。あれ、ちょっと待って、急ぎですよね、確か、今大変なことになってる。あ……、しまった。簡単に向かいますよって言えばいいと思って。そうじゃない、窃盗団まで絡んできてるんだ』

 輝良斗はかなりの早口で、考えながら話していた。大丈夫ですかと声をかけたくなるほど、考えはまとまっていないらしい。声から察するに、かなり若い。もしかしたら三十代前半……、いや、二十代かもしれない。電話口で誰にも頼る様子もなく、必死に考えを巡らしている姿を想像すると、こっちこそ何か良い考えが浮かばないかと思ってしまう。

 「窃盗団ていうのは、つまり、犯罪組織ですよね? 警察には相談しておいた方が、いいですか」

『そうしてください。謄本がネットに流出したってことで、被害届けだしたらどうです。で、今の話の流れ、06が高額で取引されていて、狙われているようだと言うことも付け加えれば、警察も動いてくれるでしょう。実際、とんでもない値が付いているわけですからね。ある意味、妥当と言えば妥当な値段なのかもしれないけど、とにかく狙われていることだけは確かだ。田所さんとこも被害に遭ったわけだから、絶対に相談すべきですよ』

「わかりました……。この電話が終わり次第、早急に電話します。警察が動くかどうかは、また別の問題かもしれませんが」

『あとはそうですね、一番気がかりなのは、06狙いの不穏な連中が、あちこちウロウロしていることでしょうか』

「はい。寝耳に水な話で……、今まで何十年も過ごしてきて、こんなこと、初めてだったものですから」

『大抵はそうです。ちょっと前も、別の06がやられまして、そのときもかなり揉めました。結局、窃盗団に狙われ続けるくらいならと、保存協会に高い金で売ったようです。三笠さんがどうなさるおつもりかで、こっちもアドバイスの仕方が変わってきますけど、……どうします?』

 どうしますと言われて、信昭は直ぐに返事ができなかった。

 機械人形鑑定士の紺野めぐみがふっかけてきた金額はとてもまともじゃなかったが、それだけの金を出して貰えれば、確かに新しい機械人形も変えるし、子供の学費を当面心配する必要もなくなる。苦しい決断だったが、あのときは断った。

 今は……、今はどうだ。考えは変わらないか。

 やはり、ハナはハナで自分たちの手元に置いておくべきか。しかし、あの鑑定士だけでなく、窃盗団などと言う名で呼ばれる犯罪組織までハナを狙っている。こうなってくると、まるっきり様子が変わってくる。

 明日は……、月曜日だ。自分も妻も出勤、上の子供達はそれぞれ学校に。家には悠司とハナだけ。そこに、もし、窃盗団が押し入りでもしたら。

 信昭は最悪な状況を考え、身震いした。考えたくはない。考えたくはないが、あり得ない話ではない。

『直ぐに答えが出せないようなら、後で連絡いただいてもいいですよ。とりあえず、三笠さんのこの電話番号は、こっちで控えますね。ちなみにウチの方は、場合によって事務員が出ることもあるので、“輝良斗に用がある”と言ってくださればすっ飛んできますから。ただ、決断は早いほどいいと思いますよ。それだけは、間違いありません。ご家族とご相談なさってからでこっちは一向に構いませんが、そっちに向かうことも考えると、早めの方が良いですね。あ、もちろん、早くしたほうが良いのは、どちらの場合でも、です』

「わかりました……。夕方、妻が帰ってきたら、相談します。……なるべく早めに、どちらにするか……、結論を、出したいと思います。川端さん、今日は、今日は本当に……」

 電話を耳に当てたまま、信昭は土下座するようにして、頭を床に向けていた。

 新たな情報は、一筋の光となる。そう信じていたが、結局残ったのは、苦しい選択肢だけだった。


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