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5 電報

 恐ろしい物を手にしてしまったと、凛々子(りりこ)は思った。

 何十年も前に亡くなった曾祖父宛の電報。差出人の“川端(かわばた)”とは恐らく、“川端製作所”のこと。

 何故こんなときに限って、家の中には頼れる大人が居ない。

 電報の中身を見ようとする沙樹子の手を無理やり払って、凛々子は電報をギュッと抱きしめた。厚手の台紙に緩く折り目が付く。それでも、沙樹子の目に触れるよりはいいと思った。

「どうしたの。何が書いてあるの? ずるいよ。お姉ちゃんばっかり」

 顔色の変わった姉のことより、沙樹子(さきこ)は電報の中身に執心した。

「これはダメ。ダメ。お父さん、帰ってきてからじゃないと」

 言いながらも、凛々子は決して電報を離そうとしない。

 電報を抱えたまま二階に走り、自室にこもってドアを塞ぐ。ぬいぐるみやバッグじゃダメだ。椅子の背をドアに当てて、そこに座り、自らが重しになって、沙樹子が入ってくるのを阻止しなければ。

「お姉ちゃん、何してんの?」

 案の定、階段を上がってくる沙樹子の声。

 突破される前に連絡しないと。

 携帯電話を懐から取りだし、出先の父に電話をかける。買い物に行ってからそろそろ一時間。お昼前には帰ってくるよと言っていた。車を運転しているのか、なかなか出ない。

『もしもし、凛々子様。如何なさいましたか?』

 ハナだ。

「ハナ! 買い物は終わった?」

『はい。今、そちらに向かっているところです』

「じゃ、お父さん、運転中だよね?」

『そうです。お急ぎの用事ですか?』

「あ、あのさ。お父さんに聞こえるようにして貰える?」

『わかりました。お待ちください。……どうぞ。音声切り替えました』

 スピーカーモードに変わり、運転中に聞いているラジオの音に混じって、楽しそうにお喋りする菜弥子と悠司の声が聞こえてくる。

『どうした、凛々子』

 父の声にホッと息を吐く。

「お父さん、あのね。さっき電報が届いて」

『電報? 誰宛?』

「“三笠京助(みかさきょうすけ)”。これってさ……、ひいおじいちゃんのこと、だよね?」

『……ホントか?』

「差出人、“川端”になってる。連絡くれって。お父さん、これってさ」

 電話の向こうで、父の信昭(のぶあき)は言葉を詰まらせていた。どう反応すれば良いのか、迷っているような沈黙。

『……あと五分で着くから。そのとき、ゆっくり見せてくれ』

「わかった」

 電話を切った直後に、凛々子の作ったバリケードも突破される。沙樹子が勢いよく体当たりしてドアを突き破り、凛々子の部屋に雪崩れてきた。椅子ごと床に転がって、また電報がぐしゃっとなった。

「ちょっと、止めなさいよ沙樹子! あああ。電報が」

 床に座り直して、がっちり付いてしまったシワを戻そうとしたが、無理だった。仕方ない。中身には関わらないのだから、そのまま見せるしかない。

「お姉ちゃん、今、ひいおじいちゃんがどうたら言ってたでしょ」

 両手を腰に当て、沙樹子が部屋の入り口で仁王立ちしている。

「ずるい。何で私には教えないの」

「別に、教えなかったわけじゃなくて。お父さんに見せなきゃいけない物、沙樹子に先に見せるわけにはいかないでしょ」

「お姉ちゃんは見たんだから、私にだって見る権利あると思うけど」

「私は、緊急の用事だったら大変だと思って確認しただけよ。沙樹子みたいに、好奇心で見たわけじゃないの」

「嘘。そっちだって好奇心で見たんでしょ」

 沙樹子の手が電報に伸びる。慌てて凛々子が電報を持ち上げる。取ろうとする、逃げる、取ろうとする、逃げる。

 終いには顔をひっかいてみたり、ひっぱたいたり、組んず解れつの大げんか。どっちも、自分の考えが正しいと引かないで、大声上げて罵りあう。


「コラッ!!」


 お互い髪の毛を引っ張り合い、興奮で顔を真っ赤にして泣き叫んでいるところに、慶一朗(けいいちろう)が帰宅した。いつもは整理整頓の行き届いている凛々子の部屋の中は、大乱闘の末、メチャクチャになっていった。

「お前ら何してんだよ。凛々子は中学生なんだから、小学生相手にムキになるなって、いつも言ってるじゃないか」

「うるさいうるさい! 沙樹子が悪いの! 見ちゃダメだって言ってるのに、見ようとするから」

「違うでしょ? 隠す方が悪いの。悪いのは凛々子お姉ちゃんの方だから!」

 帰ってくるなり喧嘩している、というのは、まぁよくあることだ。どうやら他の四人は外出中。ハナが居ないと、これだから困る。

 直ぐにでも報告したいことがあって、慶一朗の頭の中はパンクしそうだというのに、妹たちは容赦なく怒鳴っていた。

「お父さんに見せるまで中身は見ちゃダメ! 当たり前でしょ? こんな大事なモノ、どうして沙樹子に先に見せなくちゃならないのよ!」

 リビングには、仲良く宿題をしていた形跡があるのに、何かと思えばそれが原因か。

 慶一朗は、凛々子が大切そうに握りしめる、折り目の付いた厚紙に目をやった。

「なんだよそれ、電報?」

「そうだよ。悪いけど、慶兄にも見せられないから」

 凛々子は目をつり上げて言う。

「わかってるよ。自分宛じゃないものを、勝手に見たりするわけないだろ」

 喧嘩の理由なんて、大したことがないのが常だ。呆れたように溜め息をしていると、沙樹子がハッと思い出したような顔をして迫ってきた。

「慶兄、“京助”って誰。“三笠京助”って、知ってる?」

「ハァ? きょうすけぇ……?」

「お姉ちゃんが電話でお父さんと話してたの。その、“三笠京助”さん宛ての電報見ながら、ひいおじいちゃんがどうの」

 アッと、慶一朗は声を上げた。

「ひいおじいちゃんだよ。俺たちの。凛々子、それ、本当に“三笠京助”宛てなのか?」

「そうだよ。ひいおじいちゃん宛て。ホラ」

 ようやく凛々子が見せた電報の宛名は、間違いなく曾祖父の名。

 慶一朗は何度か目をしばたたかせて、じっと電報を確認した。確かに、“京助”宛てだ。

「中身を確認して、お父さんに電話したよ。どう考えても、これは、あれのことだもん」

 凛々子は言いながら、また大事そうに電報を握りしめる。

 自分の言い分が通らなかった沙樹子は、ぷくっと膨れて機嫌を損ね、ずるいずるいと言いながら、階段を降りていった。

「で、父さんたちはいつ帰ってくるって? 買い物?」

「うん。もうすぐ帰ってくる……あ、帰ってきたかな?」

 沙樹子が階段をドタドタ降りる音に混じって、玄関ドアの開く音と、ただいまの声。

 慶一朗と凛々子も、急いで一階に向かう。

 買い物袋をドサドサ置き、悠司(ゆうじ)菜弥子(なみこ)、それからハナを放るように玄関に入れる父の姿が目に入る。

 前のめりになって入ってくる三人を、慶一朗と凛々子は次々に受け止めた。

「おかえりなさい。あのね」凛々子が言い、

「おかえり、あのさ」慶一朗が言う。

 父の信昭はただいまも言わず、険しい顔で急いで玄関のドアを閉め――、少しだけ隙間を開けて外の様子を確認し、もう一度閉めて、鍵を掛けた。何かが気になるのか、玄関ドアに耳を当て、それからふぅーっと、ため息を吐く。

「もう大丈夫。中に入ろう」

 ようやく顔をほころばせた信昭の様子は、どう考えても不自然だ。

「なにかあったの?」

 凛々子が尋ねると、信昭はこくっと頷く。


「不審な車が、あちこちに潜んでる。外の様子が、おかしい」


 悠司も菜弥子も、怖いものを見たような顔をしている。

「とりあえず、中に入ろう。荷物も片付けて。話はそれからだ」



          * * * * *



 七人分の食料を週末に一回、買い出しに行くのが三笠家の恒例行事。郊外のショッピングセンターか激安スーパーに、父か母主導で行く。買い物籠三つか四つに溢れるほどの食品や日用品を詰め込むため、子供達にとっては、さながら一つのレジャーだった。食卓を預かるハナとメニューを考える朋美に食材から想定されるメニューを聞き、必要なものを買い込んでいく。土日にいっぱいの冷蔵庫も、金曜日の夜には殆ど空になるため、必要不可欠な行為だ。

 だからこそ、周辺に異常が及んでいると家族全員がうっすら感じていても、行かざるを得なかった。

「出かける前に、変な車を見たって、ちゃんとお父さんに言ったんだよ」

 と、菜弥子が言う。私もと沙樹子も言うが、育ち盛りの子供達を抱えた三笠家にとって、買い出しは重要だ。

 難しい顔をしながら、信昭は荷物をキッチンに運んだ。

 すっかり空になった冷蔵庫に残っているのは、調味料と作り置きの麦茶、総菜くらい。冷凍室の肉も魚も、野菜室の中も、ほぼ空だ。

 ハナと信昭が手際よく食材を冷蔵庫と棚に詰め、慶一朗は小さい子たちの手洗いうがい、凛々子と沙樹子は広げっぱなしだった宿題を急いで片付けた。

 あらかたすべきことが終わると、信昭は皆をリビングに集めた。ダイニングテーブルとソファに各々腰掛けて、揃ったことを確認する。

「町内に、不審な車が何台か駐まってる」

 全員に目配せしながら、ダイニングテーブルの定位置で、信昭は言った。

 慶一朗と凛々子、沙樹子は顔を見合わせ息を飲み、出かけた四人は顔をしかめながら頷いている。

 慶一朗は朝方、沙樹子と菜弥子に言われたことを思いだしていた。庭先で遊ぶ子供達を覗き込むようにして通っていく車の話だ。

「行くときは、さほど気にならない程度だったのですが、帰り道、見覚えのない車が沢山町内に駐まっていました。知らない人も沢山居ました。そして彼らは皆、わたくしたちを目で追うのです」

 ソファに掛けて、悠司を膝に乗せたハナが、困ったように言う。悠司は余程怖かったのか、ハナに向かい合い、がっしりとしがみついている。

「知らない車をあれほど町内で見かけたことはありません。近所の方々の車のナンバーは、大抵記憶していますが、今日は記憶にないナンバーをよく見かけたのです。気のせいならば良いのですが、何か悪いことが起きる前兆なのではと、信昭様と車内で話していたのです」

「それでね、その知らない車の人たち、車の中でこっち見ながら何か話してたの。ヒソヒソ話。なんか、気持ち悪くて」

 腕をさすりながら、菜弥子も言う。

「知らない車って、県外のだったとか? 帰省中の可能性は?」凛々子が言うと、

「帰省シーズンはとっくに終わってるよ。お盆だって先月の話だし……。そうだ、知らないと言えば」

 慶一朗が思い出したように、凛々子の手元に目をやった。

「これ。お父さんに見せなくちゃと思って。電話の」

 慶一朗に促され、凛々子が席を立って信昭に電報を渡す。すっかりシワだらけになってしまったそれは、沙樹子との格闘の証。

「折れちゃってごめんなさい……」

 凛々子がジトッと沙樹子を見ると、沙樹子は沙樹子で、ぷんとそっぽを向いた。

 何でこうなるんだとぼやきながら、信昭は電報を開いた。電話で凛々子に聞いたとおりの内容。

「“06(ゼロロク)の件”……。ハナのことだ。どうしてこのタイミングで」

 昨日、機械人形(マシンドール)鑑定士の紺野(こんの)めぐみらが訪れたとき、信昭は初めて06シリーズのことを知った。川端製作所の機械人形06シリーズ。美しさに定評のあるそれの型番の一部が記載されているということは、関係者に違いない。

「ウチの住所、じいさんの名前……」

 あごをさすり擦り、信昭はしばらく唸る。

「ところでさ、田所調律のことだけど」

 慶一朗の声に、信昭はハッと顔を上げた。

「夜、盗みに入られたらしいんだ。かなり強引に、あちこち壊されてた。物が散乱してて、作業場は壁までやられて。警察もマスコミも来てる。だから、連絡が付かなかったんだ」

「盗み?」

 信昭も凛々子も、ハナや他の子たちも、一斉にえっと声を出した。

「『謄本がやられた』って。……ハナの分。もしかして、ハナの情報……、あちこちに拡散、してるんじゃ、ないのかな……」

 考えたくはないけどさと、慶一朗は小さく言った。

 まだ、ネットで検索はかけてない。かける暇もなかったし、見たら大変なことになっていそうで怖かった。信昭らが見たという沢山の不審な車も、電報の差出人も、昨晩盗まれた謄本から情報を仕入れたに違いない。そう思った方が、しっくりくる。

「田所は、何て言ってた」

「……『プロの犯行』、それから、『これ以上、力にはなれない』とも。田所さんは、人目があるからか、詳しいことは話してくれなかった。ただ、とにかく今、かなりヤバイ状態なんだってことは伝わってきた。田所さん……、謝ったんだよ。『何もできなくて済まなかった』って。そして、『時間がない。情報が拡散されたら、大変なことになる』って。電話やメールも誰かに監視されてるみたいだし、下手に動けないらしくて、……困っていた」

 話しているうちに、尻すぼみに慶一朗の声は小さくなっていく。肩を落とし、ダイニングテーブルに伏して、苦しそうに、声を捻り出す。


「田所さんに、『逃げろ』って、言われた。……もしかして、いや、もしかしなくても本当に」


 リビングダイニングが、しんと静まりかえった。

 皆顔を下に向け、目を合わそうとしない。

 カチカチと時計の音が妙に響いて、時間だけはいつもと同じように進んでいるのだと教えてくる。もうすぐ昼。本来なら、ご飯の支度をしている時間だ。

 ――ガタッと、信昭が立ち上がった。

 凛々子に渡された電報をギュッと形が変わるほど強く握りしめる。

「調べ物してくる。ハナ、悪いけど、お昼の準備を凛々子たちと頼む」

 信昭は、何かを覚悟したような顔で、二階へと上がっていった。


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