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4 襲撃

 高い空と、白い雲。徐々に暑くなってくる空気。

 自転車で町内を走り抜けながら、慶一朗は必至に、日常を感じ取ろうとしていた。襲いかかってくる非日常を振り切りたい。そればかり、考えていた。

 不審な車なんて、あるのか。……わからない。少なくとも慶一朗には、何の変化もないように思えた。ただ、高校に入って、平日を西川市で過ごすようになったから、気付かないだけなのかも。そう思うと、また不安が襲ってくる。

 一度疑えばキリがない。どれが不審で、どれが不審でないかなんて、どうやって判断すれば良いのか。

 ハナを欲しがる機械人形(マシンドール)鑑定士の女――彼女くらい、あからさまに世間から浮いたような存在だったら、すぐに判断できるのに。

 余計なことを考えたら、ダメだと、慶一朗は首を横に振った。考えたら、本当になってしまう。何もかもが、現実になってしまったら、どうすればいいのか。考えないように、考えないように。田所さんはただ忙しくて、それで連絡が付かない。それを、確かめに行くだけなのだ。


 ――だが、自転車を走らせて辿り着いた林の先は、昨日とまるで様子が違っていた。


 蝉の声よりも人の声と足音が大きく響いていて、田所調律に何かあったのだと客観的に知らせてくれる。作業場の手前には、機械人形搬送用の黒いワゴンとは別に、赤色灯をてっぺんに付けた、白と黒の車が数台止まっていた。パトカーだ。

 嫌な予感は的中したのだろうか。

 慶一朗は激しく打つ鼓動を必死に押さえながら、田所の元へ急いだ。

 敷地の直ぐ手前に黄色のテープ。“KEEP OUT”の文字が行く手を阻む。林の側で、警官が数人、辺りを警戒しながら立っていて、如何にも物々しい雰囲気だ。

 マスコミのロゴが入った車両と、新聞記者か、カメラマンか。腕章をつけ、ボイスレコーダーやマイク、カメラを持った数人が、敷地の前をうろついている。

 何だ、これは。

 自転車から降り、引っ張りながら、テープのスレスレまで近づいていく。救急車も消防車もないが、油断はできない。

 作業場と事務所の入り口に何人かいる。普段は出払っているはずの調律師(チューナー)の面々が、難しい顔をしながら、警官らと何か話していた。扉や地面に残された何かの形跡を探ろうと、鑑識が機器を使って確認しているところを見ると、やはり、事件が発生したと考えるのが妥当だろう。

「あ! 慶一朗君!」

 作業場入り口から手を振るのは、田所の奥さんだ。背の高い調律師たちの間から、必死に存在をアピールしている。

「奥さん! 何があったんですか?!」

 慶一朗が大声で返すと、奥さんがサンダルのまま、バタバタと走り寄ってきた。息も落ち着かぬうちに奥さんは、「ごめんね、いろいろあって」と、両手を合わせて軽く頭を下げる。

「盗みが、入ったのよ。しかも、あちこち壊されちゃって。夜中に音がしてね。気づいたときには」

 汗を首に掛けたタオルで拭い、下唇をギュッと噛んで、奥さんは作業場を見やった。

「ホラ見て」と、奥さんの指差す先、作業場の大きく開け放ったドアや壁が、メチャクチャにひしゃげている。

「中も酷いのよ。書類や工具がバラバラ散っちゃって。何を盗まれたのか、何を壊されたのか、直ぐにはわからないくらい」

 作業場の足元が、目に入る。

 昨日は整然としていたはずなのに、どこもかしこも、物だらけ。庭にまで物がばらまかれている。片付けだけでも相当時間が要りそうだ。

「たまたま、お泊まりの機械人形が居なかったから良いものの、ハナちゃんの調律(チューニング)が一日延びてたら……、危うかったわね。何のために高いお金払って警備システム導入してるんだか、わかったもんじゃないわ」

 奥さんは辛そうに、長いため息を吐いた。

「じゃあ、誰かが襲われたってわけじゃないんですね。よかった。片付け、手伝いましょうか」

 慶一朗の提案を、奥さんは首を横に振って断った。

「今、指紋やら足形やら、調べてもらってるし、個人情報絡みもあるから、直ぐには頼めないわ。もうちょっと落ち着いたら、お願いするかもしれないけど。気持ちだけ貰っておくわね」

「そうですか……。社長に、旦那さんに用事があったんですけど、この様子だと、無理そうですね」

 田所は、警察官と現場の確認をしているらしい。事務所の前で険しい顔をして、制服の警官と話し込んでいるのが見える。

「電話も繋がらなかったから、どうしたのかなと思ってたんです。うちの親も、昨日のことがあったもんだから、心配してて。落ち着いたら電話いただけるとありがたいです」

「そうね、その方が良いかな」

 奥さんがそう言って、会話を終わらせようとしたとき、

「慶一朗君! あ、ちょっと待って。そっち行く!」

 田所が慶一朗の存在に気づき、慌てて走り寄ってきた。

 昨日と違い、作業場がとんでもないことになってピリピリしているのか、ヤケにトゲトゲしい空気をまとっている。

「警察もマスコミも来てて、あまり詳しいことは言えないんだけど、耳に入れといた方がいいと思ってな」

 周囲を見回し、他に話を聞いていそうな人が居ないのを確認して、田所は慶一朗の肩を抱き寄せ、耳を貸せと合図した。


「ハナちゃん、無事か」


「え?」

「ハナちゃんはまだ無事かって、聞いてるんだ」

「あ、はい。無事、ですけど」

 何の話だ。

 慶一朗は田所の言葉を、なかなか理解できなかった。

「謄本がやられた。昨日見せたヤツ、覚えてるか」

「謄本?」

「機械人形登録証明書の謄本。ハナちゃんのが、幾ら探してもない。機械人形調律工場への襲撃と見せかけて、謄本狙ってたんだ」

「え? つまり?」

 まだわからないのかと、田所と奥さんは困ったように眉をひそめている。

「謄本に書いてあるのは、何だった? 思い出してみろ」

 鋭い目線に背を震わせながら、慶一朗は記憶を辿った。

 確か、自治体に登録してあるのは。

 機械人形の製造年月日、型番、メーカー、それから、……所有者情報と通称。カフスの登録番号も、同じ紙の中に記載してある。

 と、いうことは。

「指紋がほとんど残ってない。あちこち荒らしまくって、ピンポイントで獲物を持っていくやり方だ。素人と見せかけ、プロの犯行。――もう、わかっただろ?」

 慶一朗の肩を抱く田所の手に、ギュギュッと、大きな力がかかった。じんわりと肩に染みこんでくる、手の汗。田所の荒い息と、奥さんの青ざめた顔。

「さっき、盗聴器も見つかった。ウチの工場にハナちゃんが出入りしてたことを、相手は、ずっと前からお見通しだった。電話やパソコンにも、ウイルスが送り込まれた形跡がある。何者かに、監視されている可能性が高い。だから、こっちからもそっちからも、連絡はしない方が良い。……残念だけど、これ以上、力にはなれない」

 また、田所の手に、力が入った。

「何もできなくて済まなかったと、信昭に伝えてくれ。時間がない。情報が拡散されたら、大変なことになる。逃げろ。ハナちゃんを守れ。凛々子(りりこ)ちゃんたちを、妹たちを絶対に、巻き込んじゃいけない」


 ――“逃げろ”。


 言葉に反応して、足が数歩、後退る。それでも足をグッと踏ん張って、倒れないように自転車のハンドルをギュッと握りしめ。そうでもしないと、気を抜くと、すっ転びそうで。

 田所はそれ以上、話そうとしなかった。力のこもった目に、うっすらと涙が浮かんでいる。奥さんも、唇噛みしめ、ただうなずくだけ。

 これは、これは本格的に。

 慶一朗は大きく頭を下げ、急いで自転車に跨がった。それからもう一度頭を下げる。

 田所夫妻も力強くうなずいている。

 ペダルを、漕ぎ出した。

 朝露の残る林道を、必死に戻っていく。緩い下り坂がスピードを加速させ、頬を切る風の勢いが増していく。終わりゆく夏を惜しむように激しく鳴き続ける蝉の音が、渦を巻いて慶一朗に絡みつく。高くなってきた日差しが針のように降り注いで、汗が止めどなく噴き出した。林道からはみ出した草たちが、まるで障害物のように襲いかかる。


 ハナが危ない。

 ハナと一緒に居る、家族が危ない。


 漠然としていた不安が、どんどん実体化していくのを、慶一朗はひしひしと感じていた。



          * * * * *



 慶一朗が田所調律に行っている間、三笠(みかさ)家では凛々子(りりこ)沙樹子(さきこ)が二人で留守番をしていた。

 母の朋美(ともみ)はスーパーマーケットに日曜出勤、父の信昭とハナが、下の二人を連れて買い出しに出かけていた。家族の半分以上が居ないと、家の中は本当に静かで、午前中のうちに宿題を終わらせちゃおうと、女の子二人でダイニングテーブルにノートを広げていたくらいだ。

「でさ。ハナちゃん、どこが悪かったの?」

 宿題の手を止め、沙樹子が言った。

 凛々子もはたと手を止めて、「確かねぇ」と、返事する。

「記憶系統、だったかな。詳しいことはわからないけど、人間で言うところの、記憶喪失みたいな感じだって」

「記憶喪失? ハナちゃんが? でも、家族のことはちゃんと覚えていたし、いつもと同じように、家事もしてるよね」

「うん。そうなんだけど、田所さんとこで診てもらったら、記憶系統にきちんと電流が流れてないところがあるみたいだって。慶兄(けいにぃ)曰く、『応急処置だけしてある』らしいから、今はなんてことないけど、これから先は本格的に修理して貰わないとダメみたい。問題は、ハナちゃんを造った会社が、なくなってるってことかな。私がわかるのはこれくらい。慶兄は機械人形調律(マシンドール・チューニング)の勉強もしてるから、ある程度理解して話を聞いてるみたいだったけど、私は沙樹子と一緒。半分くらいしか内容、わかってないんだよね」

 妹に問われたところで、月並みの返信しかできない凛々子は、眉をへの字にしていた。

「田所さんが、いろいろ調べてくれるらしいから、大丈夫だよ。慶兄も、その中間報告、聞きに行ったんだしさ」

「うん……」

 沙樹子は、わかったような、わからなかったような、曖昧な返事をして、宿題に目を落とした。

「お姉ちゃんは、ハナちゃんのこと、どう思う?」

「どうって」

「ハナちゃん、居なくなっちゃうかもしれないって、考えてる?」

「え……」

 凛々子は少し考えて、

「そうだね。いつか、居なくなるかもしれないけど、今すぐじゃない。もっともっと、時間が経ったら、そういうことになるかもしれないって、思ってたよ」

 動力停止してしまったあの出来事以来、何ごともなく動いているハナを見ると、あれは一時的なことだったのではないかと、錯覚してしまう。

 田所が大声で訴えていたように、『いずれ必ず、ハナは動かなくなってしまう』に違いないのだ。

 凛々子は心の中に大きな不安を感じながらも、妹の前では強い姉でいたかった。

「大丈夫。変なこと考えないの。私たちはいつも通り、ハナと一緒に過ごせば良いのよ」

 そこまで言った後、不意にインターホンが鳴った。

『三笠さん、電報です』

 電報?

 凛々子が急いで受け取りに行く。

 玄関先で配達員に渡された花柄の台紙。宛名は“三笠京助(きょうすけ)”。凛々子の、曾祖父の名だ。

「あの、この名前」

 住所は合っている。が、名前が。

「三笠さん、ですよね。こちらのお宅で間違いありませんか」

 配達員が再度確認する。

 間違い……とは言い切れない。確かに、ここは三笠京助が建てた家。

「大丈夫です。ありがとうございます」

 嘘は吐いていない。この界隈で三笠は一軒だけ。

 ドアを閉め、台紙を握る。急いでリビングに戻り、バンと勢いよく、電報をテーブルに置く。

「お姉ちゃん、何それ」

 当然のように、沙樹子が覗き込んだ。

 他に誰も居ないというのに、凛々子は人差し指を口に当て、沙樹子を制した。

 見て、良いのか。

 見るべきでは、ないのか。

 数分の葛藤。

「“京助”って誰? うちにそんな人、居ないじゃん」

 沙樹子は曾祖父の名を知らない。姉がじっと見つめる視線の先、宛名が何を意味するのかも。

 大きく、ゆっくりと息を吸って、吐く。

 大丈夫。

 これはうちの家族に宛てて送られたのだから。

 きっと、見ても大丈夫。

 恐る恐る、台紙を開ける。

 短い、文。


“三笠京助様 至急連絡されたし。06(ゼロロク)の件。 川端(かわばた)


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