表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
13/33

3 胸騒ぎ

 何ごともなかったかのように、日曜の朝になり、いつもと変わらぬ一日が始まる。いや、始まれば良いなと、慶一朗(けいいちろう)は思っていた。

 ここ数日の出来事は、慶一朗にとって、あまりにも濃密すぎた。

 いつまでも続くかと思っていた平穏が、ガラガラと音を立てて崩れていったのだ。

 一番堪えたのが、“ハナは近い将来、居なくなってしまう可能性が高い”のだという事実。鑑定士の女に買われようと、そのまま家に置いていようと、未来は変わらないかもしれない。そんな現実が突然突きつけられ、激しく混乱していた。

 “買い換え”だなんて、全く考えたことはなかったのだが、このままだと本当に、そうせざるを得ない。

 実は高価な機械人形(マシンドール)だった。そう考えると、ハナが、何だかとても遠くなった気がしてしまう。

 ――ただでさえ、ハナとの関係は微妙なのに。

 同じ屋根の下で、おかしな距離感を保ち、それでも平穏に暮らしている。些細な幸せを感じ、今、この平穏が少しでも長く続けば良いと、そんな儚い夢を持ち続けることさえ無駄なのだと、断言されてしまった気分だ。

 寝付けなかったのも重なって、慶一朗の頭は朦朧としていた。

 日曜の朝は、ハナが起こしに来ない、唯一の日。それに甘えて、慶一朗はぬくもりを肌に染みこませるように、布団にくるまり続けた。

 午前8時を過ぎ、ピピッと耳元で電子音が鳴る。慶一朗は目をこすりながら携帯電話をたぐり寄せた。昨晩から今朝にかけて、SNS経由で新着のメッセージが何件も届いている。誰だろうと画面をタップして、「なんだ、桑田か」と慶一朗は小さく呟いた。

 一昨日、学校で一騒ぎしてそのまま帰った慶一朗に、その後どうなったのか教えろと、ぶっきらぼうに尋ねている。桑田の他に、見知らぬアカウントからも同じ内容のメッセージが複数あった。

≪あれからハナちゃん、どうなったの? 本当に大丈夫だった?≫

 誰だ。ベッドの上に寝転がりながら首を傾げる。画面をスクロールして時間を遡っていくと、≪桑田君にアカウント聞きました。水野亜弥です≫と追記してあった。――クラスメイトの水野。他にも数人の女子と思えるアカウントから、書き込みがある。

≪ハナは大丈夫。心配してくれてありがとう≫

 短く返信を打ち、慶一朗はぼんやりとタイムラインを眺めた。

≪池野、格好良かったね≫

≪授業はクソつまんないけど、実技には定評あるって、先輩に聞いて知ってた。マジ凄い≫

≪プロの仕事って感じだよね≫

 口々に呟かれるのは、機械人形調律(マシンドール・チューニング)学の教師、池野に対する賞賛。

 あの時、自分はハナがどうなるか、それで頭がいっぱいだったのに。友人らはしっかり、池野の職業人としての姿や知識、適応力を評価している。

 同じ教室で、同じ夢を見ているはずのクラスメイト達。彼らと自分との、大きな溝を感じてしまう。

 慶一朗は、寝転がりながら何度か頭を掻きむしった。


 池野に言われた――“機械人形に、性別もクソもあるか”

 田所に言われた――“慶一朗君の抱えているハナちゃんに対するその気持ちは、一過性のものじゃないのか”


 自分の気持ちを簡単に整理できたなら、どれだけ楽だろう。どれだけ、スッキリするだろう。

 携帯電話を放り投げ、慶一朗はまた、布団にくるまった。

 何も考えたくない。考えたら、本当になってしまいそうだから。

 何も考えたくない。考えることで解決するわけないんだって、わかっているから。

 貴重な一人だけの時間を、慶一朗は少しでも確保しておきたいと思っていたのだが……、周囲はそれを許さなかった。


慶兄(けいにぃ)! 起きろ――!!」


 ドンと、爆発するような音が轟いて、ドアが開いた。

 ドタドタと大きな足音が室内に侵入し、バサッと、布団が剥がされる。

「寒っ!」

 剥がされた布団を引っ張ろうとする慶一朗の力に対抗するのは、小学生以下三人の妹弟達。

「何時まで寝てんの! 9時になっちゃうよ!」

 次女の沙樹子(さきこ)が、母親似の怒鳴り声で力一杯布団を引いた。

「せっかくのご飯、冷めちゃってるし。ホラ、後片付けもあるんだから、いい加減にしなさいってば!」

「おきろおきろおきろぉー!」

 末の悠司(ゆうじ)も、三女の菜弥子(なみこ)と声を合わせて、ベッドにダイブしてきた。ギシッと大きくベッドがしなる。馬乗りになって身体を揺する二人の動きに、ようやく慶一朗は、「わかった、わかったから。起きるから」と、渋々ギブアップした。



          * * * * *



「慶一朗様、顔色が悪いようですね。寝不足ですか? 目の下にクマがございます」

 リビングに入ると、いつもと変わらぬ調子で、ハナが言う。

 昨日、一昨日と大変なことがあったのに、そんなこと、彼女は微塵も感じさせない。普段通りの生活ならと、田所が言っていたとおり、昨日施した修正プログラムが功を奏しているのだろうか。抜け落ちた記憶以外は――、特に変わった様子は見受けられない。

 苦笑いしてハナの隣をすり抜け、リビングのソファで新聞を読む父親の側に寄る。

田所(たどころ)さんから連絡、あった?」

「いや。朝から電話もメールも繋がらなくて。この時間帯は忙しいのかな」

 父の話では、田所調律は東永町(とうえいまち)のほぼ全域をカバーしていて、頻繁に急な依頼が入るらしい。小さな町だが人手不足のため機械人形の数は多く、十人居るスタッフは、全部出払っているのが当たり前。電話番の奥さんが母屋と作業場、事務所を走り回っているのが現状だ。

 町には他にも数軒、調律(チューニング)工場が存在しているのだが、小さな不具合から大きな故障まできめ細かく対応してくれるとあって、田所調律の信頼度は高い。

 昨日の朝も、田所以外は外回りに出ていて、奥さんがバタバタと忙しそうだった。

「アイツのことだから、いろいろ調べ回ってくれているんだろうが、まぁ、朝も早いし。もう少ししたら、連絡してみようかとは思ってたんだ」

 コーヒーをすすりながら、信昭(のぶあき)はローテーブルに広げた新聞をめくった。

 経済面には、“機械人形リサイクル化の動き”“機械人形闇市場拡大か”など、目にしたくない見出しが並んでいる。慶一朗はそっと目を逸らすが、その先には、以前も見た骨董機械人形博物館の広告。否が応でも、機械人形鑑定士を名乗った、紺野めぐみの顔が浮かぶ。

 金額の問題ではないと、どんどん額を上積みしていった紺野と、それを固辞する信昭。

 何故紺野は、あれほどハナに執着するのだろうか。価値観の違いがあるにせよ、不自然だった。まるでハナの中に、特別な価値を見いだしているような……。

「昨日、あの鑑定士が言ってたことが、気になってな」

 信昭が、ぽつり、呟いた。

「あれ、どういう意味だろう。“わたくし共は正攻法で来ましたけれど、余所の連中は存じません”――“正攻法”って、何だ。なんでわざわざあんな言い回し」

 父は額にしわ寄せ、低く唸った。

 もしかしたら、自分と同じ懸念を、父も抱いているのかもしれない。そう思うと、慶一朗は急に身震いした。

 両親の職場で機械人形が盗難に遭ったと、つい数日前、聞かされたばかりだ。

「俺、様子見てこようか? 田所さんのとこ」

「ん? ああ、頼む。まぁ、忙しすぎて相手にされない場合もあるから、そのときは諦めろよ」

「わかってるよ」

 台所では、ハナがせっせと慶一朗の朝食を温め直している。

 綺麗な横顔、自然な仕草。――年代物にしては、状態がいいと、紺野が言っていた。だからって、ハナは簡単に手放せるような存在じゃない。

 寝不足のせいなのか、マイナス方向にばかり考えてしまう。

 ここ数日の、重苦しい空気の中から一つ一つ、言葉を拾い上げる度に、どうしてこうも、良くない結果ばかりが推測されるのはなぜだろう。

 慶一朗は、胸の辺りが苦しくなっていくのを、ひしひしと感じていた。



          * * * * *



 朝食後、身支度を調えて外に出ると、下の三人が楽しそうな声を上げて走り回っていた。泥だらけになって走る悠司を、沙樹子と菜弥子が追いかけている。

 家屋横の家庭菜園にはズボン姿のハナがいて、園芸用手袋に園芸用のブーツ、目深に帽子を被って、夏野菜の収穫をしているようだ。

 畑仕事のとき、ハナは決まって農家の嫁みたいな格好をする。日焼けだとか虫除けだとか、機械人形のハナに縁はなさそうなのにと以前聞いたとき、格好は大事ですからと強く言われたのを、慶一朗はふと、思い出していた。

「慶一朗様、お出かけですか?」

 作業の手を止め、ハナが声をかける。

「うん。ちょっと」

 軒下から自転車を引っ張り出していると、悠司が寄ってきて、

「ね、ね、どこいくの」

 目をきらきらさせながら尋ねてきた。

「田所のおじさんとこまで。悠司はちゃんと泥流せよ」

 悠司の頭をポンと撫で、自転車に跨がろうとしたところで、

「えぇ~、ずるい。ぼくもいきたいぃ」

 突然悠司が顔を崩し、駄々をこね始めた。

「自転車に二人乗りは出来ないよ。それにさ、歩いて行くには遠いし。用事終わったらさっさと帰ってくるから、お姉ちゃん達と遊んでろって」

 困ったなと自転車を一旦止めて、慶一朗は悠司の前に屈んだ。年が離れているとはいえ、唯一の男兄弟。ホントなら一緒に遊んでやりたいのも、やまやまだけれど。

「つーかまえたっ! ホラ、悠司。お手々洗うよ」

 沙樹子が悠司の胴に手を回し、菜弥子が悠司の腕を掴んだ。

「えぇ~、いやだぁ。けいにぃといっしょにおでかけするぅ~」

 駄々をこねる悠司は可愛い。気持ちはわかるが、ここは我慢して貰うしかない。

「帰ってきたら遊んでやるよ。頑張って早く帰ってくるから、待っててって」

 わかるよなと、慶一朗が微笑みかけても、悠司はなかなかうんと言わない。それどころか、自転車の前輪にすがりつき、行く手を阻み始めた。

「悠司様、慶一朗様が困ってらっしゃいますよ」

 手袋を脱ぎながら、ハナが近づいてくる。

「でもぉ。けいにぃ、いつもあそんでくれないもん」

 ムスッと顔をしかめる悠司に、

「わたくしが代わりに遊びます。それではいけませんか?」とハナ。

「ハナは優しすぎるよ。悠ちゃんも、大きくなってきたんだから、ちょっとはお手伝いしなさい」

 沙樹子が悠司を持ち上げ、自転車から引きはがした。

「悠ちゃんの面倒、偶には慶兄も見てよね。口だけじゃなくてさ」

 悠司に汚されたのか、菜弥子のワンピースには、泥が付いていた。よく見ると、顔や髪の毛にも、泥がある。

「ところで慶兄、田所さんとこに、何しに行くの?」

 沙樹子の方を見ると、やはり悠司にやられたのか、服には茶色の斑点があちこちに付いている。庭の隅には、悠司が散らかしただろう砂場道具と、泥だらけのじょうろ。バケツの中には泥水がなみなみと入っている。

「あぁ、ちょっと、気になることがあって。昨日、色々調べてくれるって言ってたこと、どうなったか、途中経過聞きに行くんだ」

「それって、電話じゃダメなの? わざわざ行かなくってもいいじゃん」

「沙樹子の言うとおりなんだけどさ……、電話もメールも通じないらしくて。忙しいだけだとは思うけど、気になるからさ」

 慶一朗が言うと、沙樹子は困ったように下唇をぎゅっと噛む。それから視線をそっとずらし、言いにくそうに、小さく零した。

「……慶兄が居てくれないと、不安、なんだんもん」

「どうして」

「だって、さっきから見たことない車がちょくちょく通るし」

「見たことない、車?」

「私も見た。車の中から、ウチの方覗き込むようにして、ゆっくり通り過ぎてくの」

 と、今度は菜弥子。険しい顔で、道路に背を向ける。

「そんな車、ありましたか? わたくしは気がつきませんでした」

 ハナは首を傾げるが、沙樹子も菜弥子も、冗談で言っているようには見えなかった。

 困ったなと、慶一朗は口を曲げた。

 家には両親も居る。外は明るいし、近所の目もある。いくらなんでも白昼堂々なんて、あるわけがない――そう、信じるしかない。

「とりあえず、作業に区切りつけて、直ぐにでも家に入った方が良いんじゃないの。ハナも、仕事中申し訳ないけど、沙樹子達も心配してるし、家で休みなよ。それに、子供達の服も着替えさせなきゃ」

 慶一朗は言いながら、菜園の野菜をサッと眺めた。大きく実った茄子やピーマン、それに、長く伸びた太いキュウリに、こぼれ落ちそうな鮮やかなトマト。先日降った雨が、具合良く野菜に取り込まれたのだろうか。急いで収穫したいのが、分からないでもない量と大きさだ。収穫した野菜の籠も、すっかり溢れている。

「野菜は、帰ったら俺が収穫しとくから。ハナは早急に、悠司の着替え。頼むよ」

 両手を合わせてハナにウインクする。

 そうですねと、ハナは少し考えたような間を取って、

「わかりました、そういたします」と、ゆっくりうなずいた。

 ハナはきびすを返して収穫道具を片付け始め、沙樹子と菜弥子も悠司を諭して、泥だらけのおもちゃを水場で洗い始める。

 ようやっと出発できる。慶一朗はホッと息を吐いて、自転車に跨がった。

「慶兄」

 沙樹子が呼ぶ。

「ありがとう。助かった」

 悠司を菜弥子に任せ、濡れた手を振って水を飛ばしながら、沙樹子が近づいてきた。

「私達が話しても、ハナちゃん、なかなか動いてくれないこともあって」

 どういうわけだか、ハナは長兄の言葉を優先する。慶一朗は気付かなかったが、凛々子(りりこ)や沙樹子は、常々そう感じているのだと、以前言われたことがあった。

「気をつけてね」

 沙樹子はそう言って、チラッと生け垣の向こうを見ていた。

 視線の先に何があるのか。慶一朗もその目線に合わせて目を動かすが、特に変わった様子はない。

「何言ってんだよ。田所さんとこに行くだけだよ。気にしすぎなんだって、沙樹子は」

 ハハッと、乾いた笑いで誤魔化すも、沙樹子の表情は晴れなかった。

「何か、嫌な予感がするんだもん」

 項垂れ、肩を落とす沙樹子に、どう声をかければいいのだろう。

「大丈夫、きっと、何も起こらないよ」

 自転車のハンドルを握る手に、力が入る。

「今日もきっと、何ごともなく一日が終わる。そう信じるしかないんじゃないのか」

 ペダルを強く、踏み込んだ。

 何も起こらない――それは、慶一朗が自分自身に、一番、言い聞かせたい言葉だった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ