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1 交渉

 名刺を凝視したまま、慶一朗(けいいちろう)はしばらく動けなかった。小さな白い紙切れの中に、見たくはなかった文字を発見してしまった。

 ――“骨董”。

 価値を、古い人形としての価値を、ハナに求めようとしている。そうとしか思えない。

 無意識に、体が震えていた。嫌な汗が額に滲んで、目頭がピクピクと痙攣する。

「ハナを、どうするんですか」

 声までも、震えている。

「こちらの機械人形(マシンドール)は、川端(かわばた)製作所製だと伺いました。先ほどお父様にもお話ししましたが、川端製の古い機械人形は、数が少ないのです。是非、保存させていただきたく」

 秘書の長村(ながむら)が淡々と話す。

 それがまた、気にくわなかった。

「川端製だと、どうして保存って話になるんですか。中小メーカーの古い機械人形なら、ごまんとあるのに。ハナと同じ型の機械人形だって探せばどこかにあるはずだ。ウチのハナは、必要とされてるんです。どこかに譲ったり、ましてや保存されたりなんて、そんなの、納得いきません」

 勢いよく、座卓を拳で叩いた。紺野(こんの)と長村に出されていたお茶が、ちゃぷんと揺れて、横にこぼれた。

「慶一朗、落ち着きなさい。話は最後まで全部聞いてから判断する。始めから結論ありきでは、ダメだ」

 父の信昭(のぶあき)が手を伸ばし、慶一朗の右腕に手を被せてきた。何も言うでないと、目で訴えている。

 父にしろ母にしろ、ハナを手放したくはないはずだ。それを、我慢している。我慢して、話を聞けという。こんなにも、一方的な話でも。

「紺野さん、長村さん、続けてください」

 腕を戻し、落ち着いた声で話す信昭だったが、慶一朗の右腕に触れた手には熱があり、ギリギリと力がこもっていた。

「川端製作所は、現在、機械人形製作から手を引いている、古いメーカーです。小さいながらも丁寧に造られた機械人形は、とても人気がありました。ハナさんもそうだと思いますが、美術的価値も非常に高い。しかしながら、川端製作所が機械人形を造っていたのは、50年以上前。残っている人形は、ごく、わずかなのです」

 スキンヘッドの長村は、まるでテンプレートに沿って繰り返しているだけのような、滑らかな話し口だ。

 一方の機械人形鑑定士、紺野めぐみは、隣で機嫌を損ね、扇子をヒラヒラさせている。若作りの赤い衣装と赤い口紅。色の濃いアイシャドーと頬紅で誤魔化してはいるが、実年齢はかなり高いようだ。何度も同じ話をさせてと、子供のように口をひん曲げていた。

「特に、06(ゼロロク)シリーズは、世界各地の機械人形市場(マシンドール・マーケット)で、高く評価されています。また、ハナさんは製造から70年以上経っている、古い機械人形です。小さなお子様との暮らしでは、何かと故障、不具合が出ては困るでしょう。不具合が出る前に、我々に引き取らせていただくことはできませんか」

 長村の話に、慶一朗はドキリとした。

 不具合はもう、出ている。

 慶一朗は、直ぐそこまで出てきていたセリフを、グッと飲み込んだ。言ってしまえば、彼らに決定的な優位に立たれてしまう。

 どうにかして、諦めて帰ってもらう方法はないのか。

 唇を噛みしめ、父に言われた通り、我慢して話に耳を傾けた。

「もちろん、タダでとは言いません。この家でハナさんが、どれだけ必要とされているのかは、先ほどしっかり伺いました。居なくなってしまえば、代わりの機械人形だって、当然のように必要になってくるはずです」

 スッと、長村は、大きく開いた手のひらを、信昭と朋美(ともみ)に向ける。

「500、で、如何ですか」

「ご……ひゃ……」

「そんなに……?」

 二人は驚いて顔を見合わせた。

「古い機械人形の市場価値は、経年と共に下がっていきます。例え美術的価値を付加したとしても、一般の業者さんで、これほど高い値は付けないでしょう。70年ものの機械人形の買い取り価格は、せいぜい、十分の一、いえ、二十分の一程度。我々であれば、それだけの数字を提示することが可能です。……如何ですか」

「それとも、少ないかしら」

 それまで様子を覗っていた紺野が、真っ赤な紅で彩られた唇を開いた。

「どうかしら、7……、8つでは?」

 その下に、丸が6個。

 本気で、ハナを買おうとしている。

「昨日、しっかり拝見させていただきましたけれど、あれほど保存状態の良い機械人形は初めてですわ。ただ、お宅のお嬢様たちに追い返されてしまいましたけれど。よいものが手に入るなら、あの程度の無礼には目を瞑ります。ねぇ、如何?」

 子供が五人も居て、共働きで必死に稼いでいる三笠(みかさ)家の両親にとって、現実的過ぎるその数字は、判断を鈍らせるには十分だった。

 が、信昭の口からは、直ぐに了承の言葉は出ない。

「もう少し、時間をいただくことはできますか」

 尋常でない汗が、信昭の額からしたたり落ちているのを、慶一朗は横目に見ていた。

 震えている声も、血管の浮き出た腕も、葛藤しているのだと強く訴えている。

「じゃあ、1000(いっせん)ではどうかしら? わたくし、どうしてもあの人形()が欲しいの」

 紺野はこれでもかと数字を積み上げた。

 沈黙が続く。

 信昭の口から出る言葉を、そこに居る誰もが注目している。


「……お引き取り、願えますか」


 信昭は目線を変えず、言った。


「申し訳ないけど、ハナは売り物じゃない。動かなくなって、修理もできなくなって、鉄の塊になってしまったとしても、ハナを手放すだなんて、そんなこと、絶対にしませんよ。できません。これ以上、粘っても無駄です。お帰りください。慶一朗の言う通り、ハナと同型の機械人形を、別にお探しいただいた方が、私たちを口説くよりも、ずっと早いと思いますよ」


「父さん……」

「あなた……」

 慶一朗も朋美も、ホッと息を吐く。

 この上なくハッキリとした断りの文句に、目の前の二人も諦めるに違いないと思いきや。

「値段のつり上げが目的なら、こちらからお尋ねするわ。幾らなら良くて? この家を立て替えることができるくらい? それとも、大勢の子供達の学費をまかなえるくらいなら、YESと言ってくださる?」

 紺野は引かなかった。

 何が何でも、今日のうちに返事を聞きたいと、そう思っているかのように。

「金額の問題じゃないと言ったでしょう。そもそも、お売りするだなんて、そういう発想が、我々にはないんです。モノじゃないんですよ。ハナは。おわかりいただけないのなら、話は平行線だ。自分の娘を金で余所に売り飛ばすようなこと、と言えばわかりますか。とにかく、お帰りください。これ以上しつこくするなら、警察を呼びますよ」

 怒りのこもった強い口調。

 信昭の言葉に、秘書の長村の方は困った様子で、どうしますかと紺野に確認を取っている。

 仕方ないわねと小さく呟き、紺野は扇子でパンと大きく一扇ぎした。

「考えが変わったら、いつでも連絡くださいな。余所の業者さんがいらして、わたくし共より高値を提示した場合も同様。更に高値で買い取らせていただきます。できるだけ穏便に事を済ませたいの」

 紺野はまだ、諦めてはいないようだ。ニヤッと口角を上げ、信昭と慶一朗、朋美と、ふすまの陰から覗いている子供達全員にグルッと目配せする。

「忠告しておきますけど、今のあなた方は、無防備に金塊をぶら下げて歩き回ったり、高価な宝石を鍵もかけずに自宅に放置したりしているような状態ですのよ。わたくし共は正攻法で来ましたけれど、余所の連中は存じません。大切な子供達に被害が加わる前に、ご判断いただければ幸いですわ。――行きましょう、長村」

 フンと悔しそうに短く息を吐き、鑑定士紺野はすっくと立ち上がった。



          * * * * *



 機械人形鑑定士の紺野めぐみと、その秘書長村の車が出た直後、田所のワゴンが三笠家に到着した。何も知らぬ田所がハナとともにインターホンのボタンを押すと、「なんだ、おまえか」と、信昭がくたびれたような声で出迎えた。

「“機械人形鑑定士”、か。随分な肩書きだな」

 リビングに通された田所(たどころ)は、信昭に渡された名刺を、面白そうに眺めている。

「業界のことは業界人に聞いた方が良いんじゃないかと思って」

 緊張から解放された信昭は、ダイニングテーブルに田所と向かい合って座り、コレでも飲めと冷たいお茶を差し出した。

 小さな子供達も各々コップを持ちながら集まり、ボトルからお茶を注いでもらってはゴクゴクと飲みながらリビング中に散っていく。こぼさないでくださいねと、帰ってきたばかりのハナがタオルを持って末っ子の悠司(ゆうじ)の側で待機。飲み干した後のコップを回収し、キッチンへと持っていく。

「あんまり、評判の良い商売じゃないよ。絵画や茶碗と同じように、機械人形に美術的価値を求めるだなんて。実用されてこその機械人形だと、俺は思うがね」

 機械人形調律(マシンドール・チューニング)の現場で働く田所にとっても、彼らは厄介な存在らしい。

 指で名刺をはさみ、チラチラさせ、深くため息を吐く。

「ハナちゃんが狙われたってのが、面白くないな。近頃、変な輩が古い機械人形のことを聞き回ってるらしいって噂は、もちろん知ってただけに、だ。やっぱり、“川端製”だからかなぁ」

「川端? 川端製作所製のって、そんなに高価なの」

 ついさっき、鑑定士の秘書長村が丁寧に説明してくれたが、念のためと、朋美が子供達の面倒を見ながら口を挟んだ。

「高価だね。何で川端製だけ、値段があんなにつり上がるんだろうと思うくらい、高価だ」

 コップを両手で挟み、テーブルに肘を付いて、田所は長いため息を吐いた。

「どこの業界でも、信頼されるメーカー、高く評価されるメーカーがある。老舗の料理屋やお菓子屋で、ちっさいお皿にちょこんと乗っただけのモノが、何でこんなに高いんだろうって、思ったこと、あるだろ。あれと一緒。確かに良いものを使ってる。技術も高い。だからこその値段だとは思うが、どこかで変に価格操作されてるんじゃないかと疑ってしまう。高くても買う人が居るから高いんじゃないのかってね」

 田所の話を聞きながら、信昭はコップの中の氷を揺らし、カラコロと音を立てる。

 父親が難しい顔をしながら思案するのを、リビングの端でソファに腰掛けた慶一朗は、腕組みしながらじっと見ていた。

「ハナちゃんが高性能なのはわかる。70年以上前に造られた割に、|人工知能(AI)はしっかりしているし、表情も作れるし、会話も動きも滑らかだ。難点と言えば水に弱くて、雨程度ならともかく、胴体が水にどっぷり浸からないようにしなければならないくらいか。あの当時の製品の多くは、人工皮膚の結合部がまだ緩かったからな。それにしたって、別に日常生活では何の問題もないわけで。どう考えたって、最新式の機械人形の方が機能は上回ってるってのに。そう考えると、ヤツらは“古いモノ信者”、なのかもしれないなぁ」

 ゴクリゴクリと、冷たいお茶を喉に流し込む田所の表情は硬い。午前中に話していた、設計図と違うことが、慶一朗だけでなく、田所の頭の中までもグルクルさせているんだろう。

「『大切な子供達に被害が加わる前に、ご判断いただければ幸い』って、鑑定士の女が言ってたのも、気になるんだ。自分たちは正攻法で来たけど他は知らないぞって。それって、ただの“脅し”、だよな? 本当に、他の誰かが……なんてこと。まさか、な?」

 信昭は恐る恐る、危惧を口にする。

 田所はどんな顔をするのだろうと、表情を確認しながら。

「単なる“脅し”、で済めばいいけどな」

「済まないかもしれないってこと?」

 今度は、我慢できなくなった慶一朗が口を挟む。

「ああ。で、どれくらい金を積んできた? んー百万とか?」

 田所の問いに、信昭は首を横に振る。

「丸の数が違う。ヤツら、金に糸目は付けないから、とにかくハナを寄越せと」

 改めて口にしたことで、場が重くなる。

 話に混じっていた朋美や慶一朗だけでなく、他の子供達も、表情を曇らせた。

 しんと静まりかえったリビング。何も知らない末っ子の悠司だけが、楽しそうにおもちゃで遊んでいる。


「わたくし、その女鑑定士の元へ売られても、構いません」


 沈黙を破ったのは、ハナだった。

 悠司の側で、おもちゃを手にしながら顔を上げ、ぐるっと目配せする。

三笠(みかさ)家の皆様の平和な暮らしを乱すくらいなら、わたくし、売られても構い……」

「――そんなこと、誰も望んでない」

 慶一朗は、思わず立ち上がり、大声を上げていた。

 家族の視線がハナから慶一朗にバッと移る。

「ハナのことを、手放したいだなんて、誰が思うもんか。父さんが言ってた通り、金の問題じゃない。ハナは家族なんだ。取引の材料にすべきじゃない」

「だがな、慶一朗君。優先順位ってモノは、確実に存在する。何かを犠牲にしなければ、何かを得ることはできないってのも、同時にね」

 田所は、努めて声の調子を抑え、慶一朗に話しかけた。

「もし、鑑定士たちが、もしくはそいつら以外の誰かが、全力でハナちゃんを奪いに来たらどうする。幼い妹や弟たちの身に何かあったら、君はどうするつもりだ? 金で解決するなんて、確かに汚い方法だ。だが、ある意味合理的でもある。知っての通り、今日のところは応急処置しかできなかったわけで、いずれ必ず、ハナちゃんは動かなくなってしまう。それは、彼女自身も、よくわかっているはずだ。――信昭だって、同じだ」

 田所はギロッと、信昭を睨み付けた。

「どういう会話がなされたのか知らないが、どうせお前のことだ、『絶対に売るもんか』とか適当なこと言って啖呵切ったんだろう」

「い……いや、まぁ。大体合ってるけど……」信昭は田所から目を逸らす。

「きれいごとじゃ済まされないことだって往々にある。ハナちゃん自身も知ってるから言うけどさ、ウチじゃ、ハナちゃんは完全に直すことができないんだ。直す方法がわからない以上、ごまかしごまかし、寿命を延ばしていくしかない。延命措置だよ。治療じゃない。それがどういうことか、お前らよく考えてから行動しないと、大変なことになるぞ」

 田所の言葉は、一つ一つグサグサと、三笠家の一人一人の心に刺さった。

 それらはどれも、わかっていたけど絶対に口にしたくなかったこと。

 うっ……と、始めに泣き出したのは凛々子(りりこ)だった。沙樹子(さきこ)菜弥子(なみこ)と一緒に、キッチンで夕食の準備をしようとしていた凛々子が、突然、泣き崩れた。

「ごめんなさい。私が、私があんな雨の中でハナちゃん倒れたまんまにして置いたから。ハナちゃん、だから直らなくなって」

「それは違うよ、凛々子ちゃん。雨が原因じゃないから。問題があったのは記憶系統。物理的な衝撃じゃない。何か衝撃的な出来事が、ハナちゃんの頭脳に異常を(きた)した。そこはわかって欲しい」

 カウンター越しに田所が慰めるも、ほとんど耳に入っていないのか、凛々子はぐずり続けた。

「難しい話はわからないけど、つまりハナちゃんは、どんなに頑張っても、壊れて居なくなっちゃうかもしれないって、田所のおじさん、そう言ってるの?」

 凛々子の背を擦りながら、五年生の沙樹子が不安そうに言う。

「そういうこと。必ず、寿命がある。人間にも、機械人形にもね」

「そんなの嫌だ。ハナちゃんと、お別れしたくない」

 キッチンから出て、菜弥子も言う。

「参ったな。俺がまるで悪者みたいだ」

 頭をくしゃくしゃっと掻きむしり、田所は苦い顔をした。すっかり露の付いたグラスを傾け、氷ごとお茶を頬張ると、バリバリと口の中で氷を噛み砕き、ゴクッと飲み込み、ふぅと溜め息。

 三笠家一同の、不安そうな顔をグルッと見回して、最後にハナを見た田所は、「仕方ないな」と一度項垂れて、それからゆっくり、頭を上げた。

「川端製作所について、調べられるだけ、調べてみる。が、これはあくまでハナちゃんの修理が思うようにできなかったからだ。川端のデータ引き継ぎ先がわかれば、ハナちゃんを直せるかもしれないからな。ついでに、なんで川端製の機械人形が高値で取引されているか、調べてみよう。――だが、期待はするなよ。川端製作所は、随分前に機械人形製作を止めてるんだ。調べるにも限界があるってことを、忘れるないでくれ」


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