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5 黒い高級車

 田所の言葉が、なかなか飲み込めなかった。

 今、なんて言った?

 父が、ハナのことを、好き、だったと。そう、聞こえた。

「田所さん、何、言ってるんですか」

 聞き返す慶一朗の顔は、どこか引きつっていた。冗談を言うのも大概にして欲しい。現状について問題だと指摘するばかりか、なぜそんな嘘を言うのだ。

 いぶかしげな顔をする慶一朗に、田所はうんうんと小さく頷いている。

「ま、普通そう思うよな」

「父と母は恋愛結婚だって言ってました。ハナのことを好きだったなんて、聞いたこともないし。それに、もしハナのことを好きだったとしたら、普通に考えて、今、ハナといっしょに暮らしてるの、可笑しいと思いませんか。昔思いを寄せていた女性と、恋愛の末結婚した妻が同じ屋根の下に住んでるなんて。まっとうな精神状態じゃないと思いますよ」

 慶一朗が強く否定すると、田所は、堪えきれないようにき出し、ついには肩を震わせて笑い始めた。

「何が、可笑しいんですか」

「いや、親子だなって」

「親子ですけど」

「親に似るって言うけど、こんなにも色々似てると、面白いのなんのって」

「ば、馬鹿にしてるんですか!」

 思わず声が大きくなる。

 と、話が聞こえたのか、「社長、どうしました」と、従業員の声。何でもないと田所が答え、立ち上がって手で合図する。

 もう一度座り直し、慶一朗の方を向いて、田所はンンッと背筋を正した。

「信昭とは、腐れ縁でさ。保育園から小学校、中学校、高校まで一緒に過ごしたんだ。ウチの親がハナちゃんの調律(チューニング)してたこともあって、よく付いて来ては、話し込んだり、遊んだりしたもんだよ」

 何を考えているのか、田所は急に、昔話を切り出した。

 幼なじみだとうのは、知っている。ことあるごとに父は慶一朗に、田所と過ごした青春時代のことを話すからだ。

「ハナちゃんは昔から綺麗で、可愛くてさ。いろんな機械人形(マシンドール)が運ばれてくるが、ハナちゃんは格別だった。古いとはいえ、大切に扱われているからか、大きな故障はなかったし、他の機械人形みたいに現場で酷使されているのとは違って、柔らかさ、丸さがあった。なんて言うんだろう、こう、おとぎ話から浮き出たような、異世界的な美しさ……って言えば良いのかな。とにかく、うちの親も、じいさんも、ハナちゃんのことは丁寧に扱っていた記憶がある」

 ハナの居る母屋に目線を移して、田所は話を続けた。

「機械的な美しさってのは、案外簡単に出せるそうなんだよ。っていうのも、いつだったか、大手の技術者さんと話すことがあってね、聞いたんだけど。造られた美しさと、そこからにじみ出てくる美しさは違うって話。機械人形は人間と接することを念頭に造られているから、本来必要なのは、内面からにじみ出る、所作や気遣いなんかの美しさなんだけど、大抵そんなのは実装されなくて、見てくれだけで終わっちゃう。見た目は美しいんだけど、実際接客させてみたら、機械的すぎてイライラするって理由で返品騒ぎも結構あるらしくて。難しいもんだよな。人間と同じような容姿でも人間じゃないってことを、客である人間は理解しようとはしないって、苦笑いしたんだ。けど、ハナちゃんはそこ、クリアしてるだろ。見た目も美しいが、中身もまるで人間みたいでさ。そこが、他の人形とは違う、最大の魅力だと、昔っから思ってた」

 なるほど、と、慶一朗は小さく頷く。

 言われてみれば、そうに違いない。

 スーパーのレジ、病院の会計で見かける機械人形は、量産型でマニュアル通りの動きしか出来ないし、何より、笑顔が嘘くさい。機械人形だと分かっているからこそ、諦めも付くものの、できれば普通の人間で対応して欲しいなと思うことも多い。

「今でさえ、人間と大差ない対応が出来る機械人形は増えてきたけど、あの当時、ハナちゃんみたいなのは珍しくてさ。中身はどうなってるんだろうと、俺はそっちばっかり気になっていたけど、信昭はそんなこと、考えたことがないって言ってたな。生まれたときからずっと一緒だったくせにさ。で、終いには、“好きだ”、“愛してる”、なんて妄言吐き出して。それが、高校に入ったばかりの頃」

 ドキッと、心臓が高鳴った。

 今の自分と、同じ頃。

 慶一朗の額から、つうと汗が流れ落ちる。

「最初は聞き流してたんだ。馬鹿言うなって。機械人形は人間とは違う。そんな赤子にでも分かるようなことを、なぜ親友に言わなきゃならないんだと憤慨した。でも、事態は深刻だった。思い悩むようになってさ。アイツ、本気でハナちゃんのこと、好きだったんだ」

 母屋に向けていた視線を、田所はそっと、慶一朗に戻した。

 慶一朗はうつむき、その視線を避けた。

「高校卒業するまで、多分アイツはハナちゃん一筋だったんだろうな。女子が寄ってきても、全然興味ない感じでさ。勿体なくて、俺が代わりに相手してやってもなんて、言ったこともあったかな。卒業後、俺は自宅で仕事を始め、アイツは遠くの大学に行った。その後くらいかな、変化があったのは」

「変化?」


「信昭はもう、ハナちゃんを異性として見ることはなくなっていた」


 腕を組み、フゥと息を漏らす田所。

「どうしてだろうな。大学行ったら急に考えが変わったのかな。原因は知らないけど、アイツは何かを感じたらしい。朋美さんとは大学で知り合ったって言ってたから、もしかしたらハナちゃんよりも大切な人をやっと見つけたからかな、程度に思ってた。馬鹿だな、機械人形と人間の女の子の差が、今頃わかったのかって、からかってやったのを覚えてるよ」

 ハナのことを愛し、思い悩んでいた父に、一体何があったのか。

 慶一朗はふと、以前写真で見た高校時代の父の顔を思い描く。今の自分とよく似た、冴えない少年。同じ悩みを持ち、同じように苦しんだ過去。今ではそんなこと、微塵も感じさせないくらいハナとはきちんと距離を取っている。

「つまりはさ。慶一朗君の抱えているハナちゃんに対するその気持ちは、一過性のものじゃないのかって、俺は思う。今はまだ考えたくないと思うけど、いずれ考えた方が良いんじゃないかな。ハナちゃんは、あくまで機械人形だ。君が機械人形調律師(マシンドール・チューナー)を目指すなら、少しでいい、心の隅に置いておいた方がいいと思うよ」



          * * * * *



 休憩後、作業場を出て家路に就いた。

 家までの下り坂を、自転車で軽快に漕ぐ。まだ日は高い。林を抜けた頃には暑さも戻ってきた。汗で濡れた身体を、ジャージを通り抜けた風が気持ちよく冷やしていく。

 車輪の動きとは裏腹に、慶一朗の心は、どこか悶々としていた。

 ハナのことに関して言えば、万全な対策がとれたわけではなかった。極端な衝撃を与えたりしなければ、今まで通り生活して問題ないだろうと、田所は言っていた。それだけが、慶一朗の気持ちを、少し晴らしていた。

 それよりも、田所に言われた様々なことが、頭を巡る。

 ハナと、父・信昭のこと。

 今の気持ちを何とかするべきだということ。

 隠しておこう、誰にも言わないで置こうと思っていた気持ちを見透かされ、気が気ではなかった。同時に、指摘してくれたのが、田所で良かったのかもしれないとも思っていた。

 もし、同じことを家族に言われたら。冷静でいられるだろうか。年の離れた、いつも世話になっている田所だったからこそ、話を最後まで聞けたのじゃないか。

 いくら考えても、答えは出ない。

 今、ハナのことを好きだというこの気持ちを、簡単に止めることはできないのだ。

 住宅街に入り、自宅の近くまで来ると、角で数人の主婦がたむろし、井戸端会議しているのが見えた。普段ならもう少し日が落ちてから見る光景なのだが、どうしたのだろうと、慶一朗が速度を緩めて側を通ろうとすると、

「慶一朗君、ちょっと」中の一人が手招きして、自転車を止めた。

「今日は部活?」

「いえ。ちょっと、田所調律さんに。勉強させてもらってたんで」

 慶一朗が機械人形調律師を目指しているのは、近所の人なら大抵知っていることだ。

「ハナちゃんは、田所さんとこ?」と、別の主婦。

「はい。調子が悪いんで、診てもらってました。夕方には帰ってきますけど、……何か」

 主婦たちは顔を見合わせ、何やらコソコソ耳打ちし合う。

「なら、田所さんに連絡して、ハナちゃん、もう少し長く面倒看てもらえるよう、頼んだ方がいいと思うわ」

「今ね、例の車が来てるのよ」

「今ならまだ間に合うと思うわ」

 畳みかけるよう口々に言ってくる様に、慶一朗は首を傾げる。

「例の? 車って何ですか?」

「公園にいた黒い高級車の話、慶一朗君は聞いたことないの?」

 ――黒い、高級車。

 そういえば少し前、ハナがそんな話をしていた。写真を見せて、こんな車があった、こんな人が居た、通報した方が良いのではと。

 その車が、来てる? 一体どういうことなのだろう。


「慶一朗君は隣町の学校に通ってるから、知らないかもしれないけど、高級車に乗ったどこかの奥様が、古い機械人形について聞き回ってるって、この辺ではもっぱらの噂よ。ハナちゃんも古いから、もしかして、そのことだったりするのかしらって。30分くらい前から、慶一朗君ちの前に車が止まってるのよ」


 喉が、一気に渇いた。

 頭の中で、何が起きているのか整理しようと必死になって、余計混乱する。

 慶一朗は礼も言わぬまま、血相を変えて自転車を漕ぎ出した。

 嫌な予感がする。とてつもなく、嫌な予感が。

 自宅が見えてくると、更に心臓が高鳴った。

 さっきの会話にあった高級車が、確かに、家の真ん前に駐まっている。気味の悪いほど黒光りしていて、悪寒が走る。

 敷地まで自転車を漕ぎ入れ、庭先に急いで止め、玄関ドアをドンと開いた。

「ただいま!」

 家の中は、思ったより静かだ。

 玄関には、赤いハイヒールと、男性ものの革靴。来客は、ヤツらに違いない。

 和室から、知らない男の声が聞こえる。そこに居るのか。

慶兄(けいにぃ)、しーっ」

 人差し指立て、警告しながら、次女の沙樹子(さきこ)が玄関に顔を覗かせた。他の子供達も、廊下から和室の会話に耳をそばだてている。

「お客さん来てるから、大声立てちゃダメ」

「わかってるよ」

 問題はその、お客さんがどんなか、だ。

 慶一朗はイライラする気持ちを必死に押さえながら、靴を脱いだ。

「で、何の用だって?」

「それがね。あの人たち、ハナちゃんのこと……」

「やっぱりそうか」

 昨日の二人だ。

 家に帰って、ハナを田所が連れて行って、それから事の顛末を聞き、インターホンの画像記録を確認した。公園駐車場の写真にいた、羽帽子の貴婦人によく似た女性が、スーツ姿の男の後ろに映っていた。姿を見ていたのに、ハナは何故かドアを開けたのだと、凛々子(りりこ)が言っていたのを思い出した。

 何の目的で、わざわざ家を訪ねてきたのか。何となく理由がわかっているだけに、家の中にまで入れた両親にも、怒りがこみ上げてくる。

 落ち着け落ち着けと、自分に暗示をかけながら、慶一朗はズンズンと廊下を進んだ。

 和室のふすまに手をかけたところで、凛々子が止める。首を左右に振って、我慢してと訴えてくる。

 それでも慶一朗は手を振り払い、思い切りふすまを開け放した。

 バン! と勢いよく音が鳴り、会話が止まる。

 座卓を挟んで、両親と見知らぬ男女が話をしていた。

 床の間側、手前にスキンヘッドのスーツの男。目つきは悪いが、礼儀正しそうだ。座布団の上にきちっと正座をし、膝の上に手を添えている。

 床の間側の奥には、赤いドレスの女。足を横に崩し片手に扇子なんぞ持ちながら、機嫌悪そうに慶一朗を睨んでいる。彼女の横に置かれているのは、写真で見たあの黒い羽帽子。

 間違いない。サングラスこそかけていないが、コイツらは。

「何しに来たんだ……。何で二人とも、この人たちを家に」

 ギリギリと歯が鳴った。

「慶一朗、どうしたんだ。帰ってくるなり」

 父の信昭が、困ったなと顔をしかめる。

「ハナのこと、どうするつもりですか」

「え?」

「古い機械人形のこと聞いて回って、一体、どういうつもりかって、聞いてるんです」

 我慢できずに、言ってしまった。

 当然のように空気が凍る。両親も、物陰から見守る妹弟たちも、慶一朗に注目している。

「また……、一からお話しした方がよろしいかしら?」

 低い声で、女が言う。眉をぴくぴくさせ、ウェーブがかった豊かな髪を指ですいて、如何にも機嫌を損ねましたとばかりに、信昭をチラと見ている。

「愚息が、申し訳ありません。慶一朗、落ち着いて。座りなさい」

 母の朋美も、そうしなさいと、目で訴えてくる。

 なんだ、二人とも。どうしてそんなに落ち着いて。

 仕方なく、慶一朗は膝を付き、入り口側の、朋美の隣に座った。

 これでいいのかと周囲に目配せすると、客の男が咳払いし、慶一朗の前に名刺を差し出した。

「わたくし共は、こういうものです。近頃、この界隈でいろいろお話を伺いまして、三笠様のお宅に辿り着きました」

 名刺の肩書きに、長い文字。

「骨董機械人形保存協会認定機械人形鑑定士、紺野(こんの)めぐみ……?」

「わたくしは、その秘書、長村(ながむら)です」


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