大航海時代
1493年。
クリストーバル・コロンはアメリカ新大陸発見の探検からスペインへ帰国し、バルセロナで開かれた盛大な記念式典に出席したコロン提督は、一部の貴族から批判を受けた。
その内容は、コロンでなくとも大陸発見は可能であったということ。
そこでコロンは、卵を指で示し、
「この卵を立てることができるかな」
と謎かけをしたという。
誰もこれを立てることができず、怒り出す者もいたが、コロンは冷静にテーブルをたたくと、卵を立てることができた。
だが、コロンは提督といっても爵位のない平民。
後ろ盾であったイザベル女王が死去すると、コロンは疎ましがられ、行政官としての能力に乏しく、政治を苦手とする彼にはその業務を果たせず、天才航海士は失意のうちにこの世を去った、という――。
コロンの意志を引き継いで、続々と海へ飛び出す若者もあったが、度重なる戦争の影響というものはすさまじく、しまいにはオスマン・トルコのハイレディンの一族と、イタリアの法皇艦隊などがやりあい、結果的にはスペインに勝てず、敗北した提督の姿もあった。
それが、アンドレア・ドーレア提督であった。
彼はコロンと同じジェノヴァの出身で、1度目はバルバロス・ハイレディンに勝てた。
しかし、2度目には悪条件が重なったこともあり、トルコにとらわれた奴隷の解放を成功させた英雄は、惨めに国へ戻っていった……。
勝負は、ときの運というが、ドーレアの場合はいかがなものだったのだろう。
時代変わって現代日本。
アレクサンドル・デュマ・ペール作、「モンテクリスト伯」エドモン・ダンテスのことを、ここに回想する人物があった。
歴史物は久しぶりに書く。
なぜかデュマなのが気になったり。。