逃げてはいけません
ことの起こりは三カ月と一日前。
自分の屋敷でのんびりしていたアーノは、フィリップから呼び出され、自分も話があったから幸いと日が沈む前に城へ向かった。
フィリップの部屋の前で会ったレオナルドに挨拶して、ノックしてから扉を開ける。
直後に手が伸びてきて、部屋にひきづり込むように抱きしめられた。
後ろの扉が多分レオナルドによって閉められる。
アーノは驚いたが、抵抗はしなかった。
犯人が誰かなど言うまでもない。
「フィリー」
アーノは自分の肩辺りに見える白金を軽く叩いて、はなすよう伝える。
フィリップは少し体を離し、でも腰にまわした手はそのまま視線を合わせた。
「久しぶり、アーノ。会いたかった」
女なら誰でもころっと落ちてしまいそうな笑顔を浮かべて、アーノの頬を撫でる。
ついでに頬へキスも落としてきて、アーノはため息をついた。
「疲れてるの?」
「少し」
まいるとスキンシップが増えるのはフィリップの癖だ。
即位してから半年経つが、まだいろいろと多忙なのだろう。
フィリップは、アーノの肩に頭を乗せる。
「アーノ、王様って大変だよ。やることが多すぎる。特にアーノにめったに会えないのが嫌だ。はあ・・・兄上が逃げた気持ちがわかる気がする」
アーノは苦笑して、フィリップの頭を撫でた。
このフィリップ・ルータ・シルケットは先代の王の弟の第四子として生まれた。
先代には優秀な一人息子がいて、さらにフィリップの上に三人も兄がいるのだから、彼に王位がまわってくるはずはなかった。
しかし人生はわからない。
フィリップが20才になった頃、優秀なはずの王太子がいい年してどこぞの娘と駆け落ちしてしまったのだ。
その上、一番上の兄は王なんてごめんだと家出、二番目の兄は病気にかかり自分から辞退、三番目の兄はそのころ既に他国へ婿にいっていた。
王弟である父は老齢を理由に王太子の座を断り、残ったのはフィリップと年の離れた弟だけであった。
こうして陰謀でもなんでもなく、とんとん拍子にフィリップは王太子となり、数年も経たないうちに先代が亡くなって王位についた。
幼い頃からフィリップの婚約者であるアーノにも到底予想しえなかった事態だった。
「元気かしらね、ピエール様とフランシス様」
「あの人達ならどこでども上手くやってけるだろうさ。人にいろいろ押し付けといて全く・・・まあ、いいけど。それより、アーノ」
元王太子と家出人の名前にフィリップはため息をつき、気を取り直して顔をあげた。
逃げたのは元殿下と兄という。
次に続きます。