第16話 小休憩
最初の演目が終わり、私は控え室として抑えていたテントに足を踏み入れる。広さは二十畳程度。中央には折り畳み式の簡易的な木のテーブルやパイプ椅子が並び、空間の四隅には着替え用のカーテンがあり、ハンガーラックに吊り下げられた数々の衣装、そして、身の丈程度の大きさのブラックボックスが置かれていた。
「お疲れ様だな。波乱の展開が予定通りか、はたまた、偶然の産物かは分からんが、会場は大盛り上がり。結果としては成功と言えよう」
反応を示したのは、ちょこんと端のパイプ椅子に座っているリアだった。足元には魔術刻印が施された錠前付きのリュックが地面に置かれている。
「今のところは……ですね。まだまだ気は抜けません」
私は被っていたヘルメットを脱ぎ、レーサー用の服装のままパイプ椅子に座る。時刻は16時頃。次の演目まで時間があり、小休憩を挟めるだけの余裕はあった。
「ストイックなのはいいが、根を詰めすぎると壊れるぞい」
「これでも一度、病で壊れかけた身です。塩梅は分かっていますよ」
合いの手を打ちつつ、テーブル上に視線を落とすと、そこにはクーラーボックスがあった。中身は輸血用の血液パック。鬼には欠かせない栄養源だ。ただ、極度に疲れているせいか、食欲がまるでない。今はボーっとしていたかった。
「だったら少し、出店巡りといかんか? 見回りも兼ねてな」
彼女はおもむろに席を立ち、リュックを背負い、問いかける。断られるとは思ってもいないのだろう。返事をしていない今もなお自信満々に歩みを進めており、テントから飛び出さんとばかりの勢いだった。
「えっと……着替える時間は」
「無論、ない。己が成果を肌感覚で噛みしめろ」
◇◇◇
「うぉ、この人ってもしかして、さっきの」
「ナナコさん、ですよね。握手してもらえますか?」
「おねえちゃん。カメラで一緒に写真とってもらってもいーい?」
通りすがる人たちから受けるのは、温かい反応。鬼であることを分かっていながら、好意的に接触してくれている。今のところ支配の騎士に操られた人間もおらず、Vtuberの『鬼龍院みやび』としてではなく、配信者の『ナナコ』として認知されつつあった。それが良いことなのか、悪いことなのか、判断がつかない。喜びたい気持ちはあるものの、素直に喜んでいいのか分からなかった。
「解せんな。あれだけの賞賛を受けても、まだ不服か?」
リアはハートを描くように結ばれた焼き菓子パン、プレッツェルにかじりつきながら私の顔を覗き込むようにして言った。
「慣れていないといいますか。引け目があるといいますか。鬼という立場上、人間は栄養源という側面もあり、好意に付け込んで血を頂戴する化け物に成り下がる展開が紙一重のような気がするんです。注目されていなければ、鬼だからそうなるよね……という反応になるのでしょうが、私自身の好感度が上がった状態だとそうもいかない。多分ですけど、鬼の悪い一面をお見せした時に生じる落差が怖いんです」
彼女と同じ菓子パンを袋越しに手で持ちながら、私は質問に答える。一口も食べてはおらず、落ち着いて食事ができるほどの余裕はなかった。
「リアルで人気者になりつつあるがゆえの悩みか。吾輩からしてみれば、贅沢に思えるな」
「……というと?」
「可能か不可能かは置いといて、吾輩は大統領になりたい。ドイツで人気者になり、国家の意思決定に携わりたいと思っておる。まぁ、現状、人類以外が大統領になった前例はなく、吾輩はドイツ国籍も持たぬ悪魔。さらに言えば、ヒトラーの血を継ぐ者という悪い評判も堂々と開示しておる状態。前途多難というか、ビジョンが見えんというか、ゴールは決まっておるが、チェックポイントのない山道を延々と歩いているような感覚に近い。だから吾輩はお前に嫉妬している。鬼でありながら人気を獲得し、吾輩が求めている地位に近付きつつあることにな」
語られた内容に対し、私は的確な言葉を投げかけることができなかった。適当に相槌を打つこともできたけど、どうしても薄っぺらい反応になってしまう。悪魔やヒトラーの件を包み隠さず人気者になりたいという思いは伝わっていたけど、その理由までは聞いていなかった。
夢物語のように聞こえるけど、『人間と化け物の共存』を目指す私なんかよりも現実を見据えている。大統領か、もしくは、それに近しい役職につくことさえできれば、私の夢も実現する可能性が高まる。例えそれが、ドイツ国内に限った話であっても、計画が一歩前進するのは間違いなかった。
「今回、矢面に立つべきは、私でなく、あなただったかもしれませんね」
彼女の夢を肯定も否定もできなかった私は、プレッツェルに一口かじりつく。甘くてしょっぱい。この味を私は二度と忘れることはないだろう。
◇◇◇
小休憩を挟み、着替えを済ませ、私とリアは大型のテントの裏口に入り込んだ。そこでは、セレーナやヴァルブルガ、魔術商社『リーガル』の面々も含めた演者たちがスタンバイしており、次の演目に備えている。
辺りには小道具や魔術道具が散乱し、ニコラはクリップボードに挟まる紙にボールペンを走らせ、慣れた様子で搬入した物資の最終チェックを行っている。
ここでの私の役割は主役じゃない。何かあった場合に備え、待機しておくこと。背中には赤い鱗を帯びる三叉槍を背負い、服装は紅白の袴。時刻は17時前となっており、残り時間を逆算すると、ルドルフが仕掛けてくる可能性が極めて高かった。
「いい? あたしたちが提供するのは、あくまでエンタメ。魔術を手品のように見せて、親しみを持たせることが目的。カルト集団のようにのめり込ませるつもりでもなく、魔術を知るきっかけを持たせ、当たり前に存在する事象の一つとして一般人に浸透させるのがゴール。利益なんてものは二の次。まずは目の前の一人を楽しませることだけ考えること。以上、終わり。後は全力で好き勝手やりなさいな!」
代表を務めるセレーナは音頭を取り、場の雰囲気を一気に高め上げる。前もって予定していたものではなく、ヴァルブルガの一言によって急遽決まったイベント。裏方に回っているとはいえ、ほどよい緊張感がリアルに伝わってくる。これはいい刺激になるな。予測不能な公演を前にして、胸の高まりが止まらない。
「皆様、長らくお待たせいたしました! シートベルトと防水コートの着用はお済みですか? お済みのようですね。注意事項ではありますが、写真撮影やSNSでの投稿はNGでございます。もし確認されれば、ご訪問させていただきますのであらかじめご了承ください。……では、ただいまより、一夜限りの夢と魔術のショーを開演します。奇妙奇天烈な光景をその目で御覧くださいませ!!!」
続いてマイクで拡張されたセレーナの熱い前説が響き渡り、興奮冷めやらぬままに舞台の幕が上がった。




