第15話 鬼龍院みやび杯
ぶっちゃけて言うと、このレースで私が勝つ必要はない。祭りを『盛り上げる』のが重要であり、『盛り下げない』ようにするためにも嫌われ役の私は誰かに負けなければいけない。その意図を読めない演者はいないものの、やはりというべきか、競技ライセンスを持っている者と持っていない者の間には明確な格差があった。
「――――」
コーナリングで差をつけ、私は一周目を一位で独走。AIによるアシスト走行をオフにし、大人げないやり方で突っ走り、共演者から更なるヘイトを買っていた。レース用のヘルメット内には無線のインカムが内蔵されており、マイクとしてもイヤホンとしても機能している。私を除く9名のライバーや付属のドライバーと繋がっており、普段は配信に声が乗っているけど、ミュートにして彼女たちにだけ作戦を伝えることも可能だった。
「二周目後半から三周目前半で何方かと接触した体を作り、私は脱落します。ヒーローになりたい方はいますか?」
アクセルペダルの踏み込みを緩ませつつ、ヘルメット側頭部のボタンを押して、私は彼女たちに提案する。どうしても追いつけないと判断すれば、プロのドライバーに運転を代行してもらうことも視野に入れていた。
『『『『『『『『…………』』』』』』』』
萎縮してしまっているのか、追いつける自信がないのか、ライバーたちの反応は悪い。誰も何も言わず、嫌な沈黙で満ちていた。
『いやいや社長、それはつまんないっしょ』
そんな中で響いたのは、一度聞いたら忘れられない粘っこい声音。Vtuber『桃瀬桃子』だった。私が病床に伏す中、『775プロダクション』の社長を代理してくれた時期もあり、立場的にも実力的にも口を挟めるのは彼女しかいなかった。
「国際ライセンス持ちに、素人が勝てると?」
『ガチでやってこそのエンタメでしょ。手加減とか寒いから』
「ですが、あなたは『迦楼羅』の後遺症が……」
『後続に託したから問題なし。それより、レースに集中したら?』
秘匿通信はそこで終了。各々は配信者モードになり、サイドミラー越しに後続が追い上げてくるのが見て取れる。さすがというべきか、想定以上というべきか、どうやら私は彼女たちを舐めていたらしい。表面上は自分の名を冠した車を応援する配信のはずだけど、声に異様な熱が入っているのが伝わってくる。
負けていられないな。私はダッシュボードに付属する液晶をタッチし、あるモードを選択する。それに呼応して、運転席と助手席の間にあるセンターコンソールが裏返り、馴染みのある6速シフトレバーが登場した。
本来、電気自動車とマニュアル操作は共存しない。昨今の自動車業界は【火】の概念消失により、ガソリン車やハイブリッド車は廃れ、電気自動車一強の時代が訪れた。それに伴い、マニュアル操作という概念は形骸化した。加速、減速、ステアリング操作は機械で自動制御されるようになり、企業は無駄にコストがかかるマニュアルトランスミッションを毛嫌いし、導入する意味が薄れた。
私はそこに目をつけた。
『ものは相談なんですけど、電動車にマニュアルってつけられます?』
9月15日のBMW社に訪れた際、私は去り際に質問をぶつけた。できるとは断言しなかったものの、リッカルドの目の色が変わったのを今でも覚えている。職人魂に火をつけてしまったというか、採算度外視の面白さに気付かせてしまったというか。こうして、疑似マニュアルが搭載されたナナコカスタムは誕生した。販売する予定は今のところない。世界に一つしかない私だけの車だ。
「…………」
配信中であることを忘れ、私は無言のままシフトレバーをせわしなく操作し、加速、減速、ステアリング操作を自分の手で制御する。後ろを気にする余裕なんてなかった。今はこの車の性能をどこまで引き出せるか試したい。それしか頭になかった。それ以外は二の次になっていた。
あっという間に二周目が終わる。後続と接触することなく、私は相も変わらず、一位を独走していた。それどころか、周回遅れの最下位の車さえ見えてくる。手加減するなと言われたけど、さすがにこれは……。
『あちきにこんな才能が……じゃなくて、がんばえー!!!』
舌足らずな口調が特徴的な幼女系Vtuber『路湖模湖ドン』が声を張り、彼女が担当する車が後ろにピッタリと位置付けたのが見える。まさに、ダークホース。桃子が追い上げてくるかと思ったけど、大番狂わせも良いところだった。
彼女とのデッドヒートを繰り広げ、追い抜き追い越しを繰り返し、気付けば三周目に差し掛かる。その時点で大半が一位を争う場から遠のき、一対一の状況が続いていた。焦点となるのは最後のコーナリング。私たちは横並びの状態で、内側に位置している私の方が不利な状況。カーブは速度を維持したまま、緩やかな曲線を描くことが望ましく、コース外側からコース内側にハンドルを切ることで、理想に近付く。AIが操作しているおかげか、彼女に天性の才能があったのかは分からないけど、アシスト機能がオンの状態なら、相手がコーナリングで失敗することはない。それを理由に負けを演出することも可能だけど……。
「ここまできたら、負けていられませんね!! マニュアルの面子を保つためにも、補助輪には勝たせてもらいますよ!!!」
私はコーナーに差し掛かり、繊細な減速を試み、ハンドルを切った。時を同じくして『路湖模湖ドン』も同様の手順を踏み、車体を緩やかにカーブさせている。プロ顔負けの淀みない動作。理想のターンインを完璧に再現している。
減速の大小がそのまま速度の差に直結し、減速を控えた向こうの車体の方が相対的に勢いが増したように見えた。普通にやれば負ける。位置取りの時点で敗色は濃厚。プロ同士の競り合いだったら、私に勝ち目はないけど……。
「――前方にご注意!!」
先にカーブしたのは私。その恩恵を活かし、後続が通るであろう理想のコースを先んじて塞ぐ。速度では劣っているものの、減速によって車体を動かせる可動域が増えた。マニュアル操作でしかできない動き。安心安全の理想のルートしか通れないAIでは決して再現できない乱暴なコーナリング。
『あひっ!! そんな、殺生なぁ!!!』
ドンと物々しい音が鳴り、リアバンパーと後続車が接触した感触があった。『路湖模湖ドン』の泣き言じみた発言を耳にしつつも、勝負はまだついていない。私は手を緩めることなく、最後の直線で加速を繰り返し、6速に入れる。
見えるのは、道路脇でレースクインが振るう白黒のチェッカーフラッグ。本来は静かなはずのエンジンが唸りを上げたような音が聞こえ、私は風と一体になった。
「――――――」
やってしまった。全身の血の気が引いたのが分かる。ブレーキをかけ、減速し、車をコース外に止め、降りた場所から見える巨大モニターには、一位『ナナコ』の文字が刻まれている。これじゃあ、おもんない。嫌われ役が勝ったらエンタメとして成立しない。私が勝っても、大した報酬はない。誰にも何も与えられない。それどころか、祭りは盛り下がって『七つ目の封印』が解かれてしまう可能性だってある。
しかし。
「………………っっ」
聞こえてきたのは割れんばかりの大歓声。地鳴りのように観客は声を上げ、オクトーバーフェスト最初の演目は『大盛り上がり』を見せていた。




