第12話 修行
9月16日の13時を過ぎた頃だった。
「はぁ……はぁ、はぁ」
薄暗い樹海の中で漏れるのは私の吐息。思うように身体が動かず、槍の真価を引き出せず、完全に足が止まってしまっている。
「そこまでだ。一休みといこう」
声を発したのは黒の革ジャンが良く似合う大柄の男性ヴォルフ・シュトラウス。やや乱られた黒髪を手で逆立て、横に伸びた樹の根っこに腰を落ち着けている。
「です、ね」
無理を続けたところで結果は見えている。私は意見に従い、彼の対面に位置する樹の根っこに座り込む。目標から逆算して行動し続けるのも大事だけど、それと同じぐらいフィードバックも重要だ。がむしゃらに努力を続けても、どこかで限界がくる。今がまさにそれだ。対戦相手のアドバイスはありがたく受け取ろう。
「内容に触れる前に聞きたいことがある。……なぜオレを相手に選んだ」
「私に足りてないのはフィジカル。ナツキに宿るルドルフと接敵した場合、以前のように一発KOされては作戦が成り立ちません。そこで選んだのはフィジカル強者と思わしきあなた。恐らく、関わりのある面々の中でも最も優れた肉体系だと判断し、僭越ながら対戦相手に選ばさせていただきました」
「へぇ、そいつは恐悦至極だね。腕っぷしを見込まれたからには、それ相応のモンを返さないといけねぇな」
今の説明で納得したのか、彼は地面に転がっている木の枝を右手で掴み、講義が開始される。
「フィジカルって一括りにするのは簡単だが、本気で肉体を強化したいなら、もう少し解像度を上げる必要がある。意思能力の基礎は知っているだろうから説明を省くが、肉体系のステータスを伸ばすには三つに枝分かれするスキルツリーのどれか一つを選び、それ以外の二つを捨てる覚悟が必要だと思ってる」
興味のそそる導入と共にヴォルフが砂地に描いたのは、『肉体系』と書かれた文字と、それを頂点にして枝分かれする三つの線。私の知らない専門領域というやつだ。彼独自の理論なのか、体系化されたものかは分からないけど、この時点で彼に頼んで正解だったと半ば確信していた。
「三つというのは?」
「『体外鍛錬』『体内鍛錬』『体上鍛錬』……だな。似たような言葉の羅列に聞こえるかもしれねぇが、ここを曖昧にしていると一生そこで頭打ちだ。心して聞けよ」
彼が口にした言葉が、砂地に文字として描かれ、枝分かれした三つの正体が判明する。私は無言で頷き、やや前のめりになって耳を傾ける。
「まずは『体外鍛錬』。こいつは、身に纏うセンスの質を高める手法だ。肉体系と言えばセンス量に特化した系統だと一般的には言われているが、それだとまだ浅い。別系統が肉体系の能力を鍛えようとした時、同じ理屈は通用しないからな。限られたセンス量で最大効率を発揮するのがこいつの特徴だ」
「具体的には?」
「筋肉量の比率に合わせたセンスの繊細なコントロール。個人差はあるが、上半身10%、胴体20%、下半身70%が黄金比と言われている。意思能力者同士の戦いだと拳にセンスを集中させ、威力を底上げするのが王道だが、こいつは真逆だな。センスの配分を最初から固定化し、肉体のパフォーマンスを最大化させることに重きを置いている。単純な攻防力では他の二つに劣るが、臨機応変にセンス量をコントロールしなくていいから燃費が少なくて済むし、なおかつ再現性が高い。自分の筋肉量を測定し、それにセンスの比率を合わせるだけでいいからな」
「それなら私でもできそうですね。……でも、簡単すぎて伸び代がないのでは?」
「いいや、0コンマ以下の比率コントロールを極めれば、化ける。『肉体系』の攻防力100%の拳に対し、攻防力10%以下に抑えた『体外鍛錬』の拳が勝つことだってあり得る。一見、矛盾してるように感じるかもしれねぇが、こいつはセンスの量で勝負するんじゃなく、センスの質で勝負する。ひいては、肉体の潜在能力を極限まで引き出すことで、最終的に出力される数値で勝つって話だ」
「肉体+センス=攻防力でしたね。攻防力10%以下と言っても、それに内包される肉体の数値が最終的に加算され、筋肉量の比率を無視した攻防力100%の拳に勝つ可能性があるということですか」
「おっ、理解が早いねぇ。ザックリと言えば、そんなところだ。専門的な説明をすることもできるが、それは選んでからにしよう。次は『体内鍛錬』だな」
適度に合いの手を挟みつつ、小気味いいテンポでヴォルフの講義は進む。地面には『体外鍛錬』と書かれ、その下に端的な特徴が箇条書きで記されている。隣り合う場所には達筆な字で次の項目が記入され、説明が始まった。
「こいつは、体内にある骨や神経や血管を強化する。繊細な作業が得意な感覚系におすすめのスキルだな。肉体強化の恩恵が薄いため、受けるよりも、避けることに特化してる印象があるな。装甲を薄くして、その分、俊敏性に回すって感じだ。これに関しちゃ専門分野外だが、取っ掛かりだけは教えられる」
「感覚系の私には合っていそうですけど、手探りになりそうですね」
「だな。力及ばずで申し訳ないが、最終的にそれを選ぶんなら尊重するし、最大限のサポートはする。……そんでもって、残すところは最後、『体上鍛錬』だ」
『体内鍛錬』の箇条書きを終え、説明は大詰めに差し掛かる。肉体系一つとってもこの奥行き。意思能力を修めたと言っても、まだまだ知らないことだらけだなと浅学を恥じつつ、一言も聞き漏らさないよう真剣に耳を傾けた。
「こいつは肉体の上に疑似的な肉体を形成する。肉体とセンスを切り離して考えるんじゃなく、センスそのものを肉体にするって発想だ。言うまでもないかもしれねぇが、今の三つの中で最も高度で複雑。センスの創造可変が得意な芸術系におすすめのスキルだな。ただ、その分の見返りはデカい。仮に使い手の肉体がガリガリだったとしても、力自慢のボディビルダーに勝てたりする」
「それって、目に見える筋肉ですが、それとも……」
「こいつは目に見えねぇ。『体上鍛錬』を極めた相手と接敵しても、パッと見じゃ判別不能だ。手を合わせた時に初めて分かるが、その頃には決着がついてる展開もザラにある。対策方法としては、ガリガリが相手でも侮るな……ぐらいしか言えねぇな。優れた目や感覚を持ってたら話は別かもしれねぇが、繊細な作業が苦手なオレにとっては見分けがつかなかった」
スラスラと箇条書きを進めていたヴォルフの手が初めて止まる。誰と敵対したのか分からないけど、苦い思い出があったのは容易に想像がついた。深く突っ込みたいところだけど、それではデリカシーがなさすぎる。肉体が鬼であることは避けようのない事実だけど、心まで鬼に染まる気はなかった。
「ともかく、以上の三つから一つを選べってことですよね」
「あぁ、その通りだ。個人的には感覚系と適性のある『体内鍛錬』を推すが、得意系統とマッチしたものを選ぶのが必ずしも正解になるとは限らない。大事なのは気持ちだ。その項目を選んだときに、どんな感情を抱くかが重要だ。一見、自分の得意系統とは正反対のものを選んだとしても、それを上回る気持ちが乗っかれば、化けるぜ。体系化された知識ってのは便利だが、あくまで大きく失敗しないためのガイドラインだ。大成功を収めたいなら、効率を度外視するのも時には必要になる。俗にいう『型破り』ってやつだな。基礎も何もできてねぇやつが危ない橋を渡ろうとすれば全力で止めるが、アンタはそうじゃねぇだろ? 思うがままに興が乗ったもんを好きに選べばいい。俺はどれを選んだとしても、全力で応援するぜ」
語られるのは心強い一言。背中を押してくれるような前向きな言葉。意思能力者とはこうあるべきだ……なんて頭の固い指導法じゃなく、使い手の自主性を重んじる教育方針。理想の上司とはこういう人のことを言うんだろうな。口に出すことはないだろうけど、素直にそう感じる。
後は選ぶだけだ。三択から私に合ったものを一つ極めると誓うだけだ。それでルドルフに勝てる保証はないけど、今までよりもぐっと勝率が上がるのは間違いない。ただ、勝つことだけにこだわる必要はなく、どれが一番心に響いたか。長期的な努力を続けるためには、フィーリングと尽きない好奇心が欠かせない。だとすれば……。
「私は……これとこれを選びます」
人差し指で砂地をなぞり、形作られたのは二つの丸だった。




