第11話 準備
9月15日15時。私はBMW本社ビル22階の応接室に足を運んでいた。グレーを基調とした内装で、外壁は扇状の全面ガラス張り。ダークグレーの絨毯の毛足は長く、足音を消し去るような上質な仕上がり。家具は十数人分の黒のデスクチェアと黒の長テーブルのみ。全体的に派手な装飾はなく、落ち着いた雰囲気を醸し出している。幾度となく交渉の場に使われてきたんだろう。一流企業にもてなされる側になって初めて分かったけど、部屋に足を踏み入れた時点で交渉は始まっている。
「帝国で会った以来だから、約二週間ぶりだな。どうぞかけてくれ」
声を発したのは、黒のスーツを着た赤髪短髪の青年リッカルド。年下なのに私より明らかに対応が手慣れている。場数と責任感の違いなんだろうな。親の跡を継いでいるとはいえ、この若さで大企業の代表を任されているだけのことはある。
「失礼します」
メッシュ加工のデスクチェアを引き、私は腰かける。武器は持たず、連れもおらず、一対一で話し合える場が成立している。人数に関しては、前もって打ち合わせしたわけでもなく、図らずもそうなった。早速、本題に入りたいところだったけど、少し気になったことがある。
「あの……猫耳をつけたメイドさんは同席されないのですか?」
「ん? ……あぁ、ナハトのことか。あいつはフレックスタイム制でな。出勤時間はまちまちだ。常に俺のそばにくっついてるイメージがあるのかもしれないが、いないときはとことんいないし、いるときはずっといる。今は悠々自適なプライベートを満喫している頃だろう。具体的に何をしているかは知らんな。月ごとに決められた就業時間さえ満たしていれば、労働契約上、文句は言えない」
「残念ですね。彼女に頼みたいことがあったのですが」
「またの機会にしてくれ。……それより、呼び出した理由は分かるな?」
他愛のない雑談に区切りがつくと、リッカルドは目つきを鋭くさせ、本題を切り出した。怒鳴りつける一歩手前。こうなったのも、全部私が悪い。
「BMWの新車とVtuberコラボモデルの販売。私は販促のためにVtuberをドイツで浸透させると誓った。それなのに、この体たらく。コラボ予定の『鬼龍院みやび』と『775プロダクション』は大炎上。どないなっとんねんって話ですよね……」
「そこまで分かっていて、よく顔を出せたな。忘れていたでは済まさんぞ」
私の取り巻く環境のことを包み隠さず話したとしても、言い訳だ。Vtuberから目を逸らしてきたことには変わりない。オクトバーフェストまで残り5日まで迫っており、BMWおよびリッカルドは、この日のために準備を進めてきた。その目玉の一つが『775プロダクション』とのコラボだ。このままいけば大コケ間違いなし。株価も暴落して、株主総会で彼が大目玉を食らう光景が脳裏に浮かぶ。
責任は取らなければいけない。自分の発言には筋を通さないといけない。好き勝手やってきた代償を支払わなければ、彼に失礼だ。
「あの……オクトーバーフェストに向けて生産されている限定100台の新車。全て買い取らせてもらえませんか?」
私はセレーナと繋がっている。資金援助を受ける当てはある。手元に現金がなくとも、取引は可能。借金という形にはなるんだろうけど、支払えない額じゃなかった。
「損失は埋めてやるから、コラボとイベントはなかったことにしろと?」
しかしリッカルドは、ぬか喜びしない。すぐさま本質を見抜き、耳が痛いポイントを指摘している。そう聞こえても無理はない。金だけ払っとけばいいんでしょという図々しい態度に思われても仕方がない。経営者としての義理は通しているけど、人としては不誠実だ。まぁ、私は鬼なんだけど、その辺の表現の違いは置いといて、この取引を金だけ払って終わらせるつもりは毛頭なかった。
「いいえ。パフォーマンスとして利用します。私の思い通りに策がハマれば、爆発的に売れますよ」
◇◇◇
同日夕方。次に私が訪れたのは、ドイツ博物館の地下に広がる『独創世界』。複雑に入り組んだ樹海を抜け、中央にポツンと立っている赤い館に足を踏み入れる。その三階には、元四首領の工房があり、リアとヴァルブルガを引き連れ、セレーナによる案内のもと、そこにたどり着いていた。
本や釜や大量のフラスコが散乱する部屋の中央付近には、黒の給仕服を着た少女ニコラが地べたに座って本を読んでいた。長い金髪を左右に分け、三つ編みにして、女児が好みそうな半透明の青い星型アクセサリーが備わるヘアゴムを結び付けている。こちらに気付いた彼女は、そばかす混じりの表情を歪め、邪険な反応を示す。
「うわ……劣悪種じゃん。悪魔に成り下がった負け犬が何しに来たの?」
「種別や血統で相手を判断するな。しばくぞ」
ニコラとリアは、開口一番で罵り合い、視線で火花を散らせている。彼女たちは元四首領同士の間柄。過去に何らかの因縁があったのは容易に想像がつく。
「どんないざこざがあったか知りませんが、差別はなしでいきましょう。フラットな目線でなければ話し合いが成り立ちません。……それで構いませんか?」
「はいはーい。ごめんなさい。口が滑りました」
「それは謝罪のうちに入らんぞい、ボケナス。まぁ、ナナコとセレーナの顔に免じて許してやらんこともないが」
喧嘩が本格化する前にどうにか収まり、話し合いに直接関係のない余計なゴタゴタを気にする必要はなくなった。ただ、問題はここから……。
「では早速本題ですが、魔獣化末期症状を寛解させた方をご紹介いただけますか?」
「他の十名は業務で出払ってるから、一名しか残ってないけどいい?」
「ええ構いません。一人いれば十分です」
「そ。だったらいいや。……ユースタスおいで」
ニコラは主の間に隣接する扉に話しかけると、ガチャンと開かれる。現れたのは白髪白眼の少年。髪型は坊主頭に近く、服装は白を基調とした患者衣と拘束着が一体となったような恰好。黒いベルトが両手両足部分に見え隠れし、何かあった場合に縛り付けるような機能が備わっているのが容易に想像がつく。
「白髪に白眼。興味深い症例ね。身体中を隅々まで調べてあげたいわ」
真っ先に反応を示したのは、ヴァルブルガ。声色は真剣そのもので、邪な心は一切感じない。研究熱心というか、魔術にしか興味がないというか。自分の専門分野では推し量れない功績を素直に認め、そこから学びを得ようとしているのが傍から見ていても分かる。
「驚くのはこれからだよ、おばさん」
次に口を開いたのは、白髪白眼の少年ユースタス。レディに対して失礼な一言を言い放つも、事実だし子供だし誰も責めようがない。当の本人であるヴァルブルガは少し面を食らっていたものの、反論することなく彼の言動を見守っている。
「魔獣化には4つのフェイズがある。状態1が部分的な魔獣化。状態2が大部分的な魔獣化。状態3が全身の魔獣化。状態4が完全な魔獣化。どれも使い込めば使い込むほど魔獣の本能が解き放たれ、暴走する危険性が高まる。末期患者だった僕たちは例外なく状態3に到達していた。そこから先は個人差があるけど、寛解した僕たちは、そのどれにも該当しない独自の進化を遂げた」
語られるのは前提知識。これから見るべきものに対する必要最低限の心構え。普通は彼が言った通りの変遷を辿るけど、彼らは特別らしい。説明された内容は十分理解できるけど、これから何が起こるかは想像もつかなかった。
「召喚術。僕らは身に宿った魔獣を自由に使役することができる」




