第10話 お茶会
9月14日昼前。ミュンヘンの中央に位置するマリエン広場。歴史を感じる時計塔……新市庁舎を一望できる喫茶店のテラス席に私たちは座る。辺りには人だかりができていたものの、人目を気にすることなく優雅にティータイムを満喫していた。
「あら、これ美味しい」
小ぶりのフォークを口に運び、私が口にしたのは、チョコレートケーキ。苦みと甘みが調和された奥深い味わいが口いっぱいに広がる。普段なら自ら進んで食べないようにしてたけど、今日はなぜか興が乗った。
「鬼に味覚があったとは驚きだな。血以外の食事は生臭いのではなかったか?」
紅茶をすすりながら、向かいの席で反応を示したのはリア。服装は白のカッターシャツにグレーの軍用ズボン。用意された軽食やデザートには手をつけておらず、一歩引いた目線で私たちを眺めている。彼女のご指摘通り、鬼は人の食事を受け付けない。口にすることはできても消化できないというか、栄養にはならないため、肉体が拒絶反応を示すことが多かった。
「物は試しといいますか、ここのケーキは格別に美味しいのかもしれません」
「血が隠し味とか言わんだろうな。まぁ、どのみち食べんからどちらでも構わんが」
「……そういえば悪魔って、食事は不要なんです?」
「娯楽として嗜むことはあっても、生きる上で必要なものではないぞい」
「では、何を原動力に動いているんです?」
「魂。幽霊の上位互換と言えば、理解が早いか」
「ということは、悪魔の主食は魂?」
「いいや、霊的な意味でも食事は必要ない。強いて言えば、人々が抱く負の感情が好物と言えるか。それも嗜好品ではあるがな」
「じゃあ、どうして仕事で魂を集めるんです?」
「魂を循環させることで、各界の風通しがよくなる。三界を維持するためのコストと言っても差し支えないな。人間界では電力が欠かせんが、タービンを回すことで発電可能となるだろう? あれと似たような原理と言えるぞい」
「悪魔界、煉獄界、天界、人間界……これらを魂が無限ループすることによって、何らかのエネルギーが生じる。循環させなければ、エネルギーは滞る?」
「まぁ、そんなところだ。人間目線だと悪に見えるかもしれんが、全体で見れば吾輩たちが各界のインフラを支えていると言っても過言ではないぞい」
リアから語られるのは壮大な話。夢物語のように思えるものの、彼女は当事者だ。わざわざ嘘をつく必要があるとは思えないし、たぶん真実なんだろう。とはいっても、規模が大きすぎて、いまいち想像がつかないな。電力が人間界に必要不可欠で、発電にはタービンが必須なのは分かるけど、魂が各界にどんな影響を及ぼすかが分からない。それも聞いたら答えてくれるとは思う。ただ、お茶会を開いた趣旨から外れるため、これ以上の掘り下げは不要のように感じた。
「参考になりました。今度はあなたの話を伺いたいのですが、構いませんか?」
視線を右隣にスライドさせ、私は話を振る。そこに見えるのは、赤髪の貴婦人ヴァルブルガ。髪の上部をお団子にしており、宮廷風の赤いドレスにふさわしい清潔感と優雅さを両立させている。そんな彼女は、紅茶が入ったティーカップのハンドルを指先でつまみ、午後のひと時を嗜んでいた。小指を立てる……と言った、18世紀時代を彷彿とさせるマナーをこれみよがしに見せつけることもなく、余った指は軽く丸める程度で留め、様相に見合った礼儀作法を心得ているようだった。
「トゥーレ協会以外のことであれば、何でもお聞きになって」
彼女のスタンスは、今の一言に集約されていた。屋敷強襲の一件の後、『幸魂』の影響で心身に影響が出たのは間違いない。それが私たちと行動を共にするきっかけになったものの、頑なに組織のことは口にしなかった。恐らく、何らかの縛りが課されている可能性が高く、無理矢理吐かせようすれば自死するかもしれない。そんなリスクを冒せるわけもなく、いまいち距離を詰め切れずにいた。
見えない壁をお茶会で取っ払う。それが場を設けた趣旨であり、彼女とこれから行動を共にするなら掘り下げは欠かせなかった。……問題は何を問うか。
「よければ、戦争の騎士に選ばれたきっかけを教えていただけませんか?」
表面的な話し合いに興味はない。知りたいのは彼女の根っこ。聞かれなければ、絶対に自分から話さない領域。私は誰かと話す場合、そこに価値を感じていた。目的のない雑談よりも、目的に沿う可能性が高い会話の方が好みだった。
「…………」
踏み入った質問に対し、軽やかな雰囲気が重くなったのを感じる。ヴァルブルガはティーカップを受け皿にそっと置き、言葉を選んでいる。地雷を踏んだのかもしれない。私が相手の本質に迫る話が好きだからといって、相手が好きとは限らない。話せるラインは人それぞれ。互いの足並みを揃えてこそ、キャッチボールが成り立つ。答えたくないというなら、それ以上の詮索はしない。鬼龍院みやび時代を経て培われた会話の鉄則だった。
「ミュンヘンには四つの封印が施されていた。それが何かご存じ?」
ヴァルブルガは神妙な面持ちで語り始める。否定的というより、どちらかというと肯定的な印象。まずは外堀から埋めて、最後に結論を添える構成らしい。深い会話に興味がない人からすれば回りくどく思うのかもしれないけど、それがむしろ私の興味をそそった。感覚的には、報酬がもらえる謎解きに近いものがある。
「封印と言われると怪しいですが、四つと言われると見当がつくかもしれません」
「……予想をお聞かせ願える?」
「四首領。魔術結社『イリーガル』が何らかの封印を担っていた」
連想される言葉から、私が知り得る情報の中で最も有力な候補に絞る。合っているかどうかは別として、実現可能なレベルの発想ではある。
「ご名答。四首領から四騎士へ。セレーナの大活躍により、結社が施した封印は解かれ、こうしてアタシたちは世に解き放たれた。それがきっかけね」
ヴァルブルガの発言と共に時計塔の鐘が鳴り響き、からくり仕掛けの人形が一斉に動き出す。計ったとしか思えない絶妙なタイミング。運命じみた何かを感じた。
「へぇ。その話、もう少し詳しく聞かせてもらえる?」
ようやく口を開いたのは、私の左隣に座るセレーナだった。相も変わらず黒基調のメイド服を着ており、コーヒーは飲み干され、軽食はすでに平らげている。
「ミュンヘンは時間のループに囚われていた。それはご存じ?」
「えぇ。フランクの魔術により、今年の8月1日から8月31日までを永遠と繰り返していた。その目的と根幹は不確かだけど、あたしが打ち破ったのは確かね」
「目的は四騎士の封印。根幹は新市庁舎の時計塔……だとしたら、色々と辻褄が合うのではなくって?」
「それは……そうだけど、いまいち話が見えない。封印を解いたから何? 四騎士は何をしようとしているの? 被害に遭った方がいたら申し訳ないけど、あたしに実害が及んでないから、どうでもいいって感想しか浮かばないのよね」
当事者のセレーナが参加することで話が深まり、謎が謎を呼ぶ。行き着いたのは、四騎士の動機。トゥーレ協会と関係しているかは分からないけど、ここが明らかにならないと危機感に欠けるものがあった。支配の騎士は化け物に目立って欲しくなかったみたいだけど、四騎士の共通見解かと言われれば別の話。ヴァルブルガの回答によっては、包み隠されていた部分がようやく見えてくるかもしれない。
「残り三つの封印が解かれれば、人類は一掃される。それでも他人事?」
言われたと同時に、私とセレーナは立ち上がる。反射的にセンスを纏い、ヴァルブルガに敵意を向ける。
「あらぁ。気が早いわねぇ。――着席」
彼女は左腰から赤い宝石が埋め込まれた杖を取り出し、短い呪文を唱え、席に縛り付ける。傍から見れば座っているだけに見えるけど、身動きが全く取れない。ヴァルブルガの魔女じみた意思能力は未だに健在だった。
「言っておくけど、アタシは味方よ。最後まで封印を解かせる気はない。それでも敵対したいなら受けて立つけど、どうする?」
ただ、建設的な話し合いを続ける気はあるようで、彼女の思惑がようやく明らかになった。拘束が緩んだ首から上を使い、顔を左右に振る。時を同じしくしてセレーナも全く同じ動作を行い、私たちの見解は一致しようとしていた。
「よーしよーし、聞き分けのいいワンちゃんで助かるわぁ。……では早速だけど、人類救済の作戦会議といきましょうか」
ヴァルブルガは私たちの頭を軽く撫で、場を取り仕切る。私は彼女に勝てたようでいて、勝ててない。条件付きの試合で勝って、大局を見据えた勝負に負けた。『幸魂』によって形成された人格なのか、元々そのつもりだったのか。聞くのも恐ろしい質問で、その答えを知りたいとは思えなかった。




