7 諜報戦争
1.「見えざる戦域」 ―― 抑止の傘と謀略の網
1946年後半。《帰還艦隊》は、まるで夜霧が晴れるかのように歴史の彼方へと消え去っていた。
しかし、彼らが遺した「帰還鋼」と「基礎素材研究学(材料科学)」、そしてアメリカ占領時にロスアラモスから完遂された接収事業は、東西の力学を劇的に、そして圧倒的に塗り替えていた。
さらに改良された「火星五十四型改MK5」へ統一された空軍力と、日本版マンハッタン計画によって量産された「日本製核弾頭」。そして何より、太平洋とインド洋と北極海の深海に潜む「弾道ミサイル潜水艦隊」――。
耐圧船殻に帰還鋼を纏い、無音で深海を潜航するこの「存在しない艦隊」は、潜水艦発射弾道ミサイルという防御不能の刃を常に敵国の喉元に突きつけていた。
モスクワ、ロンドン、パリ――。
核開発において決定的な遅れをとったスターリン率いるソヴィエト連邦と、旧秩序の奪還を狙うイギリス・ヨーロッパの共産・リベラル反日連合体は、完璧な「第二撃報復能力」と高高度防空網の前に、国家の命運を賭けた大規模な軍事侵攻という選択肢を完全に奪われることとなった。
「奴らの核は、数分で我が国の心臓部を灰にする。……もはや、戦車と重爆撃機で地図を塗り替える時代は終わったのだ」
クレムリンの地下深くでスターリンが吐き捨てたこの言葉は、新たな時代の到来を象徴していた。
直接的な「戦争」という手段を封じられた敵対勢力は、戦略の転換を余儀なくされる。彼らが生き残りをかけて見出した唯一の勝機――それは、「諜報・工作・思想戦」の爆発的大拡充であった。
2. 影の膨張 ―― 敵対勢力の「非対称戦争」
「抑止の傘」によって直面の平和を享受する日本と同盟諸国(汎太平洋平和圏)に対し、欧州・ソ連連合は国家予算の膨大な割合を暗黒の「裏の機構」へと注ぎ込み始めた。NKVD(のちのKGB)と英国秘密情報部 MI6、そして、世界の共産主義者が結託し、巨大なリベラル共産ネットワーク「反汎太平洋諜報同盟」が構築される。彼らの狙いは明確であった。
技術の強奪と破壊:日本統合兵站研究所が秘匿する「帰還鋼の冶金データ」および「金星五四型改良型(MK5)」そして、最新の試製ロケットエンジン「Dream CAST」の超高熱耐性合金技術の奪取。
内応と分断:日本主導の同盟国圏内における民族対立の発掘、学生運動や労働組合への思想工作による内部からの自壊。
3. 守護者の誕生 ―― 「国家安全保障情報局」の君臨
敵の陰湿な侵食に対し、日本政府は従来の諜報機関の枠組みを改め、まったく新しい国家格の国家情報機構を誕生させた。それこそが、「国家安全保障情報局」である。
この組織の頂点に立つのは、日本のあらゆる国策・国際、対外リスクを検討し、政府に提言し、管理する「総合国家政治戦略企画機関」。彼らの直轄下において、陸軍と海軍の従来の縄張り争いは完全に解体された。
国家安全保障情報局は、大きく二つの巨大な歯車によって駆動していた。
《1》企画・分析・工作の頭脳――『情報局』
国家安全保障情報局の戦略部門として設立された『情報局』には、総合国家政治戦略企画機関の要請に応じ、陸海軍の枠を超えた真の精鋭が集集した。
そこには、かつて太平洋や樺太、大陸、そして《因幡の白兎》作戦で戦功を立てた「新・連合艦隊」「新・太平洋艦隊」、陸軍の歴戦の将官・参謀たちが名を連ねていた。世界中に張り巡らされた高高度電波傍受網(一〇〇式司偵改修機群)や帰還艦隊の技術を解析して生まれた「計算機(高密度真空管計算機)」による巨大なデータ照合システムと、暗号解読器から集まる膨大な情報を統合し、敵の謀略を「未然に撃ち抜く」攻勢的諜報を立案する。
《2》攻勢と鎮圧の「牙」と「手足」――『国家保安隊』
かつて陸軍大臣の管轄下にあった「憲兵隊」は、総合国家政治戦略企画機関と統合兵站本部の直轄組織である『国家保安隊』として完全再編され、国家安全保障情報局の強大な下部組織(実行部隊)として組み込まれた。
国内のみならず、満州、朝鮮、旧アメリカ領、東南アジアに至るまで張り巡らされた憲兵の緻密な網の目が、そのまま新機関の『手足』および『センサー』として機能。不審者の摘発、反乱分子の調査、そして即座の武力鎮圧までを「国家保安隊」が一手に担った。
「我々は情報を集めるだけではない。その情報をもって敵の牙を抜き、骨を砕く」
総合国家政治戦略企画機関の威光を背に、国家安全保障情報局は世界規模で敵対工作員を狩り尽くす、文字通りの「国家秩序維持の守護者」となったのである。
4. 「黒い磁気テープ」作戦 ―― 撃滅の要塞・横須賀
1952年9月。雨の降りしきる横須賀海軍工廠。
漆黒の船体をドックに横たえているのは、就役を目前に控えた最新鋭の弾道ミサイル潜水艦「伊号四〇一改(伊四〇〇型帰還鋼仕様)」であった。その垂直発射管には、ソヴィエト全土を沈黙させる日本製核弾頭ミサイルが装填されようとしていた。
その夜、欧州・ソ連合体工作員の手先である特殊工作部隊が、濡れた岸壁をよじ登り、基地内部へと潜入を果たした。彼らの目的は、伊号四〇一改の消音スクリューの設計図と、帰還鋼の分子構造が記録された「黒い磁気テープ」の強奪、そして高濃縮放射性物質への時限爆破工作であった。
「侵入者確認。『国家保安隊』特殊挺進班、ならびに『情報局』直属防衛班、配置につけ」
雨音のなか、ドックの闇から音もなく姿を現したのは、かつてハルビン強襲作戦で地獄を潜り抜けた元海軍特陸・陸軍挺進団の猛者たちであり、現在は国家安全保障情報局の直属部隊として編制された者たちであった。
「な……!? なぜ我々の潜入ルートが判っていた……!」
工作員の工作責任者が息をのむ。彼らが狙撃体制に入る前に、周囲の物陰から「国家保安隊」の黒い腕章を巻いた憲兵将兵たちが、夜間暗視スコープと消音機関短銃を構えて網の目のように包囲していた。
情報局に所属するかつての名参謀たちは、ウラジオストクから発信された微弱な暗号通信を解読した時点で、敵の作戦計画を100%把握していたのだ。各地の憲兵網(国家保安隊)が手足となり、敵工作員が潜伏した横須賀の港町のアジトを事前に特定・監視していたのである。
ッバババババ……ッ!
雨音に掻き消される低い連射音。サイレンサー付きの弾頭が次々と吸い込まれ、敵工作員たちは一発の反撃すら叶わず、泥水の中に絶命していった。
「全敵性分子の無力化を完了」
国家保安隊の将校が冷酷に言い放つ。国家安全保障情報局の存在は、謀略戦において敵に手出しを一切許さぬ「鉄槌」そのものであった。




