汎反共産リベラル防衛部(PACLDD)の設立 12-2 情報収集の倫理的境界
■ 情報収集の倫理的境界
PACLDDの総合情勢分析局には、創設以来、一つの奇妙な規則が存在していた。それは、情報を集めることよりも、「集めてはならない情報を定義すること」を重視する規則だった。情報分析官たちは、毎朝、膨大な資料を受け取る。
新聞
市場統計
企業の公表資料
鉄道の運行統計
政府機関の発表
議会記録
公開された研究論文
これらは原則として収集対象だった。しかし、そこから先には境界線が引かれていた。一人の市民が、どの新聞を読んでいるのか。どの宗教施設を訪れているのか。誰と友人なのか。どの政党を支持しているのか。どの思想を信じているのか。そうした情報は、それだけでは国家安全保障上の情報とはみなされない。
「国家にとって不都合な思想を持っている」ことと、「国家に対する具体的な脅威を生じさせている」ことは、まったく別の問題だからである。
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■ 一枚の名簿
ある日の奉天支部。若い分析官が、一冊の資料を局長の机に置いた。
「外国人団体の名簿です。公開されていたものを整理しました」
局長は資料を開いた。そこには数百人の名前が並んでいた。
年齢
職業
所属団体
居住地域
そして、一部には政治的な活動歴まで記されている。
「これは何のために作った?」
「外国政府との関係を調べるためです。幹部の中に、外国政府機関との接触歴がある人物が――」
「その人物が、具体的に何をした?」
「まだ分かりません」
局長は名簿を閉じた。
「では、この名簿を個人監視資料として保存してはいけない」
若い分析官が驚いた。
「ですが、公開情報ですよ」
「公開されていることと、国家が個人の思想や交友関係を無制限に集積してよいことは同じではない」
局長は壁に掲げられた「情報活動規程」を指した。そこには三つの原則があった。目的。必要性。比例性。
「我々は情報を集めるために情報を集めるのではない」
「はい」
「国家安全保障上の具体的な目的があるから集める。そして、その目的を達成するために必要な範囲だけを扱う。それ以上は、情報ではなく権力の濫用になる」
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■ 「公開されている」だけでは十分ではない
その夜、分析官たちは新しい基準について議論した。公開情報なら自由に収集してよいのか。公開されている住所を大量に整理することはどうか。公開された写真から人間関係を推測することはどうか。市場データから特定の個人の生活状況を推測できたとして、それを国家安全保障情報として保存する必要があるのか。
議論は簡単には終わらなかった。あるベテラン分析官は言った。
「情報は組み合わせることで意味を持つ。だから、個々の情報が公開されているからといって、無制限に組み合わせていいとは限らない」
別の分析官が答える。
「しかし、組み合わせなければ危険を見つけられないこともある」
「だからこそ、判断基準が必要なのだ」
部屋が静かになった。PACLDDが恐れていたのは、敵だけではなかった。
自分たち自身が、情報という力に酔うことだった。
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■ 情報には「消去」という責任がある
そこで導入されたのが、情報保存期間の制度だった。国家安全保障上の必要性が確認できない個人情報は、一定期間後に再評価される。必要性がなければ廃棄する。誤情報であることが判明すれば訂正する。情報源が不確かな場合は、その不確実性を明記する。そして、分析官の推測と確認された事実を、同じものとして記録してはならない。
報告書には必ず、「確認された事実」「分析上の推定」「未確認情報」の区別が付けられた。それは面倒な作業だった。だが、情報局の幹部たちは、それを「安全保障のための余計な手続き」とは考えなかった。むしろ、それこそが安全保障だった。誤った情報によって一人の市民を敵と認定すれば、その情報はやがて組織全体を誤った方向へ導く。だから、情報の精度だけではなく、情報を扱う人間の権限そのものを制限する必要があった。
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■ 監視する者も監視される
さらにPACLDDには、情報部門を監査する独立監察室が置かれた。総合情勢分析局が何を収集したのか。なぜ収集したのか。誰が閲覧したのか。どのような分析を行ったのか。その記録は監察室によって定期的に確認された。情報部門の人間は、これを最初は嫌がった。
「我々を信用していないのですか」
そう尋ねた分析官に、監察官は答えた。
「違います」
「では、なぜ?」
「人間を信用しているからこそ、権限に限界を設けるのです」
監察官は机の上に置かれた資料を指した。
「善意の人間でも、強すぎる権限を持てば判断を誤ることがある。だから、制度そのものに歯止めを組み込む」
そして、最後にこう付け加えた。
「PACLDDが守るべきものは、国家だけではありません」
「……」
「国家を構成する人間の権利もまた、守る対象です」
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■ 敵を探すことと、異論を消すこと
この原則は、時として政治指導者との間にも緊張を生んだ。ある政治家が、政府を激しく批判する団体について調査を要求したことがあった。
「国家秩序を乱す可能性がある。調べるべきだ」
PACLDDの回答は簡潔だった。
「政府批判だけでは、情報収集の根拠になりません」
具体的な暴力計画。外国政府による違法な工作。国家機密の不正取得。組織的な違法行為。そうした具体的な根拠が存在するなら、法に定められた手続きによって調査する。
しかし、単に政府を批判しているという理由だけで対象にすることはできない。それを認めれば、PACLDDは安全保障機関ではなく、思想を取り締まる機関へ変わってしまう。そして一度その境界を越えれば、昨日まで「敵」と呼ばれていた思想とは別の思想が、明日は新しい敵として指定されるかもしれない。
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■ 境界線の意味
深夜。ハルビン支部の屋上で、若い分析官が主任に尋ねた。
「では、我々はどこまで調べていいのでしょう」
主任はしばらく街を眺めていた。駅では、夜行列車の準備が進んでいる。無数の人々が、明日の仕事へ、故郷へ、あるいはまだ見ぬ土地へ向かおうとしていた。
「境界線は、敵と味方の間にあるのではない」
主任は静かに答えた。
「国家安全保障に必要な情報と、国家が知りたいだけの情報。その間にある」
若い分析官は黙って聞いていた。
「我々が何でも知ろうとすれば、国家は強くなるように見える」
「しかし?」
「同時に、市民の自由は弱くなる」
主任は振り返った。
「だから、情報機関には『知る能力』だけではなく、『知らないでいる規律』が必要なのだ」
その言葉は、翌年改訂されたPACLDD情報活動規程の冒頭に記された。
「知り得ることのすべてを知ろうとしてはならない。
国家の安全に必要なものだけを、法の定める範囲で知るべし。」
そして、その規程は国家安全保障情報局にも送られた。PACLDDが守ろうとしていた「新秩序」の本当の試練は、外から来る敵だけではなかった。強大な情報収集能力を手にしたとき、その力をどこまで使うのか。そして、どこで止めるのか。その選択こそが、この新しい国家体制の理念が本物であるかどうかを試すことになるのだった。




