遠くの酒と出目金
「きしさん、出目金さん、本当に有り難うございました」
市郎は深々と頭を下げる。
「彼らにも最後にしたいことが色々とあるでしょうし、明日一緒に山を降りて自訴してもらおうと思います」
広間にて縄で腕を縛られいる庭師を見て、市郎は顔を曇らせる。
「僕が屋敷を留守にしていた間、父が訳ありの親子を使っていない小屋に住まわせ、無賃で庭仕事をさせていたようです。父のことですから彼らの足元を見てろくな生活をさせず、娘さんの治療もできていなかったのでしょう」
きしは市郎の凹凸の激しい顔を見て、何と答えたら良いのか分からず「そうでしたか」と気遣わしげに相槌を打った。
市郎はそんなきしを伺うと「余計な話をしてすいません」と空笑いを浮かべた。
「良かったらこの屋敷にあるもの何でもお持ち帰り下さい。せめてものお礼です」
「私は金魚なので物は不要です。きしさんどうぞお選び下さい」
市郎の言葉を受け、出目金は関心無さげに言い放つと、暇そうにそっぽ向いている。
事件解決後、名探偵出目金はすっかり鳴りを潜めた。
太陽は高く昇っているが、鬱蒼とした木々が生えている山の中は薄暗く、木漏れ日から刺す光も心許なく揺れている。
出目金ときしは湿った草を踏むザッザッという音を鳴らしながら共に下山していた。
きしの後ろを歩く出目金は不服そうな顔できしの背中に向けて詰る。
「きしさん、バカなんですか? 文箱なんて。そんなものよりもっと高そうな掛軸とか壺とかありましたけど?」
「うん、でも見てこれ出目金」
きしは立ち止まると、懐から出した手紙を出目金に見せつける。
睡蓮鉢の横でニヤけながら読んでいたものである。
「弟からの手紙がピッタリ入る大きさの文箱なんだ。凄くない? 寸分違わずだよ? これきっと弟のために作られた文箱なんだよ」
きしは市郎からの礼に、広間に置いてあった小さな文箱を選んだのだ。
出目金は興味のない話題に社交辞令で付き合っているのだと言わんばかりの無表情で話す。
「そういやきしさん、前に歳の離れた弟がいるって言ってましたね」
「うん、弟とは離れて暮らしてるからさ、手紙を貰うだけでもすっごく嬉しいんだ。うへへ」
きしは出目金の冷めた表情を気にせず目尻を下げた。
「で、持ち歩いてるんすかそれ。常に?」
「うん。この文箱のサイズだといつでも懐に弟の手紙を入れてどこでも持ち歩けるだろう?」
きしは手紙を大事に文箱に入れ、懐にしまうと「あぁ〜。今、弟が俺の懐にぃ〜いるぅう〜」と恍惚とした顔で空を見上げた。
「下山したらきしさんを岡っ引に引き渡さないと」
出目金は侮蔑の眼差しをきしに向ける。
「えっ! なんで?」
「犯罪者予備軍ですので」
「いや、なんで?」
きしは自身の不審者ぶりには全く気づいていないらしい。
出目金はやれやれと露骨に溜息をついた。
「それとぉ、きしさん、事件を解決したのはこの私です」
「うん、有り難う出目金」
「あ、そんな感じなんですね。なるほどなるほど。はいはいはい。お礼言って終わりみたいな」
「ん?」
「きしさんってやりがい搾取する感じの方なんですね。へぇぇ、そうですか。私はいつでも無駄なく状況に応じて最適化した行動を卒なくこなしているのに。それが当然のことであると思っていらっしゃるんですね。人にやってもらって当たり前って感覚の方なんですね。それってぇ、どうなんですかね?倫理的に」
(なんか俺めっちゃ詰められてる!)
きしはつい先程、誰かれ構わず拷問した乙女に平然と倫理感について説かれ、何故か焦り出す。
「分かった! うん! ごめん! 出目金、山を降りたら何でも好きなものをご馳走するよ」
「まぁ、きしさんがそうしたいならそれで、はい」
ひとまず納得した出目金の様子に安堵するきし。
「何が食べたい?」
「そっすねぇ。とりあえず酒とぉ……」
ーードオォオオオン!!
きしと出目金は突然の轟音に目を見開き振り返る。
先程二人がいた辺りから土煙が上がり、鳥達が四方八方へ飛び立っていく。
「屋敷の方だ。出目金、戻ろう」
きしは柔和な顔から打って変わって瞳孔が開いた厳しい目つきになり、元来た山道を駆け登る。
「えぇぇ、酒はぁ?」
出目金は肩を落として、しぶしぶきしの後を付いていく。