豪快に笑う乙女、大阪らんちゅう。 ー大阪らんちゅう編 完結ー
「はぁ。お前もぅ飽きたわ」
鰻は留めをさすように、包丁をきしに向けた。
鈍く光る刃先がきしの喉仏を捕らえ、皮膚を掠めたそのとき、炎に包まれた石が鰻に向かって飛んできた。
驚いた鰻は石に当たる寸前で避けるが、その顔に恐怖が浮かぶ。
「ぎゃっははは! あの鰻のびっくり顔!ひぃー! ウケんなぁ!」
下品な笑い声の主は血だらけの乙女であった。
大阪らんちゅうは、ふんどし姿の子供に支えられながら立ち上がっている。
そして足元には炎に包まれた石がいくつも積み重なって置かれていた。
(子供の着物を燃やして、石を包んで投げてきたのか? なんでだ? どうやって? 火種なんてこの辺にないはずっ!)
鰻はハッと思い出した。
商人が逃げる際に火打石を落として行ったことを。
「あのとき、か?」
火を見て身体がすくむ鰻へ大阪らんちゅうは大きく腕を振りかぶって石を投げ込む。
「くそあまが! お前、俺の血で身体が麻痺していただろうが!」
鰻の問に応えるように大阪らんちゅうはヘッヘッヘとニタりと笑い、着物の袖をたくし上げた。
「その腕、まさか」
「自分で血抜きしたんや」
大阪らんちゅうは得意げに腕を見せつける。
「鰻の毒入り血が身体に入ったんやったら、抜いたらええやろ?」
白く滑らかな柔肌には、切り傷が無数が刻まれ、そこから血がどくどくと垂れ流されている。
「せやからな、腕切りまくってん。血がたくさん流れるようにな」
(コイツ、頭おかしいぞ)
鰻は少しづつ後退る。
「めっちゃ痛かってんけど、まぁ気にせんでええで。寛大やから私。許したるわ」
大阪らんちゅうは尊大な態度でふんぞりかえる。
「その代わり」
言いながら炎に包まれた石を、火傷も恐れず大量に拾い上げた。
「倍返しはするけどなぁ!!」
容赦なく火の石を鰻へ投げつける。
鰻は反撃もできず、ただ逃げ惑う。
何も考えられない。
火が、火が怖ろしい。
ただ、「逃げたい」という意思が鰻を支配する。
「おぅおぅ! やっぱりなぁ!」
大阪らんちゅうは悪い顔で笑う。
「うなぎ屋の鰻はやっぱ火ぃが怖いっちゅうわけやな」
大阪らんちゅうは子供に支えてもらいながら、火の石を投げ続けた。
「おらぁ! 逃げろ逃げろ! 蒲焼きにすんぞ! あっははは! オモロー!」
爆笑しながら鰻へ石を投げつける大阪らんちゅうを見て(このお姉ちゃん、怖い……)と、子供はどん引きしている。
「おい、ガキィ! ちゃんと支えんかい! 私が動かせるん腕だけなんやから! 分かっとんのか!」
「は、はいぃ!」
子供は怯え、涙目で返事をする。
大阪らんちゅうはオラオラァッ! かっ飛ばしてみろや! ボゲェ! と吼えながら怒涛のごとく石を投げ続ける。
「この虫けらどもめ。動けない癖に! お前ら二匹ともグチャグチャに斬り刻んで、肉塊にしてやる!」
恐怖を断ち切るように鰻は目を瞑り、大阪らんちゅうと子供の方へ突進した。
(直に包丁を当てなくてもいい。どうせ動けない奴らだ。少しでも衝撃をあたえれば、俺がか……え……?)
包丁が大阪らんちゅう達に届こうとしたとき、鰻の身体は縦真っ二つに斬られ、裂けた間からきしの悲しそうな目が覗く。
きしの手には鎮魂の願いが込められた刀がしっかりと握られている。
「?」
鰻は自分の視界が左右に分かれた違和感はあるが、斬られたことには気づいていない。
ただ、思い出していた。
大きな人間の背中。
立ち込める煙。
炎が揺らめく様。
「怖い、怖い、怖い」
鰻の抱える恐怖がきしに伝わる。
そよ風が江戸の町の通りを、ふわりと輝きながら吹き抜ける。
そこに鰻の姿はなかった。
「あーあ! 楽しかった! きっしん、また呼んでや!」
鰻が消えてから、大阪らんちゅうの身体の麻痺も一緒に消えたらしい。
元気に伸びをする。
「うん。本当に有り難う大阪らんちゅう。痛かっただろう?」
「かまへんかまへん!」
大阪らんちゅうはワッハッハ! と豪快に笑う。
その笑顔に、きしの心が少しだけ解きほぐされた。
「ほな!」
きしに軽い別れの挨拶をしたあと「あっ!」と言って子供を見る。
「ガキィ!」
「ひぃっ! はいっ!」
子供は硬直し、声が上擦る。
「よぅ頑張ったやん! 私の舎弟にしてやってもええで!」
「え? しゃ?」
「ほなな! ガキ!」
「ほ、ほな……な?」
片手をひょいっと上げる大阪らんちゅうに合わせて、おっかなびっくり片手を上げる子供。
大阪らんちゅうは満足そうに子供に笑い掛けた。
刹那、乙女の姿はどこにもなく、樽の中には優美な大阪蘭鋳が一匹、ゆったりと泳いでいるだけであった。
ほどなくして、岡っ引や町の人達がわらわら集まって来た。
母子を見て「怪我人を養生所へ運べ!」と町の人々が母親を抱え運んで行く。
人々の喧騒に紛れて、きしは一人静かにその場を去った。
ー 後日 ー
商人の問屋に隣接する広い庭。
きしはその庭で大きな睡蓮鉢に樽の中の金魚を移している最中だった。
睡蓮鉢の横には商人がおり、相変わらず手拭いを首に掛けている。
「水温、水質は合わせてあります。今日は餌をやらずに金魚達を休ませてやって下さい。新しい環境で金魚達も緊張しているでしょうから」
「おぅ、分かった。鉢の設置まで有り難うよ。助かるぜ」
商人は珍しそうに、まじまじと睡蓮鉢の金魚を眺めた。
「すげぇ。金魚って綺麗なんだな。なんかあの地震以来、妙に金魚が飼いたくて仕方なくてよ。なんでだろなぁ急に」
(あの鰻の件、地震があったことにしたのか)
きしは複雑な表情になる。
「わぁっ金魚来たの!? わぁあ!」
子供が歓声を上げて睡蓮鉢に駆け寄る。
その子供の後を母親が松葉杖をついて歩いて来る。片足はないが、顔色は良く「こら、母ちゃんの職場で走らないの!」とよく通る声が庭に響く。
「アハハ、仕事には慣れましたか?」
きしは子供の耳をつねり上げる母親に苦笑いをしつつ元気そうな姿に安堵する。
「えぇ。前のとこよりうんと良い仕事に就けたわ。子供も一緒に居ていいって言ってもらってさ、ほんっと有り難いよ」
商人は頭をかきながら照れる。
「いや、有り難いのはこっちですよ。姐さん、読み書き算盤も早ぇし帳簿までつけもらって助かるぜ。俺はそういうのとんと駄目なんだ」
楽しそうに話す大人達を他所に、子供は金魚に夢中だ。
「わぁあ、きれい!」
子供の顔が水面の光を受けてキラキラと輝きを放つ。瞳の中には美しい金魚がたゆたいでいる。
子供と母親と商人。三人が睡蓮鉢の金魚を楽しそうに眺めている姿を見て、きしは独り言ちる。
「有り難うな、大阪らんちゅう」
大阪らんちゅう編 完
おおきに! ほな!