豪胆な乙女、大阪らんちゅう
「っしゃ!こっから本番や!」
豪胆な乙女、大阪らんちゅうはひらりと町家の屋根の上に飛び乗った。
セキショウの刃が太陽光を反射し鋭く光る。
きしは急いで商人が逃げる際に落としていった手拭いを拾い、母親の元へ駆け寄る。
「今、止血する!」
母親の着物を捲り上げて、太腿に手ぬぐいを巻きつけた。
さらに硬く巻くために手ぬぐいの端を噛んで引っ張り上げる。
「母ちゃん!どうしよう!母ちゃん!母ちゃん!」
泣きながら縋る子供に母親は薄目を開けて声を振り絞る。
「あんた…は…無事?」
「オレは大丈夫だから母ちゃん死なないで!」
母親は子供の頬に触れ、少しだけ微笑む。
「…よか…た」
安心したのか、気を失うように瞼が下ろされる。
「どうしよう!どうしよう!どうしよう!母ちゃんが死んじゃう!母ちゃん!母ちゃん!」
過呼吸になりながら母親を激しく揺する子供をきしが抑える。
「動かしちゃ駄目だ、大丈夫だから!」
きしはこれ以上子供が動揺しないよう自身の呼吸を落ち着けて話す。
「君のお母さんは死なない、絶対に。血も、もぅ止まったから」
止血したとはいえ、既に血が流れ過ぎており助かるかどうかは五分五分だった。だが、嘘だろうが間違ってようが今は子供を安心させる言葉を言わなければならない。
「 ヒッッ!ヒッッ!」と息が止まりそうな子供をきしは優しく抱き、大丈夫だよ、大丈夫となだめる。
「ゆっくり息を吸うんだ。…ゆっくり吐いて」
早く浅くなっていた子供の呼吸がだんだん深くなっていく。
きしは祈るように小さく呟いた。
「大阪らんちゅう、頼む…」
「いてかますぞ、われ!」
大阪らんちゅうは気分良く吼えた。自身の背丈ほどもある長いセキショウの刃を構えて鰻を見据える。
ニラのように細長く先が尖っている葉、セキショウ。
そのセキショウの刃を軽々と横に振る。
刹那、鰻は空気が震えるを感じ取り、嫌な予感と共にすぐ後退りした。
だが、遅かった。
鰻の瞳に大阪らんちゅうの顔がすぐ間近に映る。
間合いに入るやいなや、鰻の腹は刃で切り裂かれた。
後ずさったおかげで寸前で致命傷は避けたが、傷口からは血が噴き出す。
麗しい乙女に似つかわしくない闘いに慣れた腕裁き、無駄のない足運び。
一切の迷いのない所作は猛々しささえ感じる。
鰻は大阪らんちゅうの刃を見切ることが出来ず、その後もすぐに間合いに入られては、ただただセキショウの刃で斬られ続けた。
力はあちらさんのがあるやろうけど、スピードは私の方が上やなぁ。
「手に持ってるその包丁、飾りなんか?」
鰻は何度も大阪らんちゅうに包丁を振りかぶるが、その度にスルリと簡単に避けられ、隙が少しでもできれはセキショウで裂かれてしまう。
久々に出陣したのに、こんなん準備運動にもならんやん。
一方的にリンチしてるみたいやん。
「気ぃ悪いわ」
何度も鰻を斬り上げた大阪らんちゅうは辟易としてきた。
大鰻の返り血を大量に浴びて、紅白模様の艶やかな着物が赤色一色に変わってしまった。
鰻を斬り上げた一瞬、血ちぶきが大阪らんちゅうの目に入った。その隙を鰻は逃さず、包丁が大阪らんちゅうの右腕を少しだけかすった。
が、すぐさま後に飛び退いて難なく立て直す。
「まぁ、擦り傷ぐらいつけてもらわななぁ。流石におもんな過ぎやろ」
大阪らんちゅうは溜息混じりに宣言する。
「ほんでも、そろそろ終いにしよか。ひとおもいにやったるで、まぁ安心しぃ」
とどめを刺すため、セキショウの葉を握り直そうとした瞬間、手の感覚がないことに気づいた。
「!!」
セキショウが手からズルリと落ちる。
「あ…れ?なん…で?」
何が起こってるんや?
何された?
いや、致命傷を負う攻撃なんかなんも受けてへん。
でも、身体が言うこと聞かん。
目の前の景色が歪む。
「鰻の血にはなぁ、毒が入ってんだ」
鰻は低い下品な声で嬉しそうに話した。
「おま、話せたんかい!」
大阪らんちゅうは麻痺して倒れそうな身体をなんとか支えながらツッコミをする。
「人間は俺ら鰻を必ず焼いて食うだろ?それは生のままでは食えないからさ」
鰻はふらつく大阪らんちゅうの様子を見て嬉しくなり、饒舌になる。
「火を通していない鰻の血には人間に有害な毒がある。傷口に入れば、そこから炎症を引き起こし化膿する。口に入れば感覚麻痺、呼吸困難を引き起こす」
感覚麻痺?
「ああっ!!あの掠り傷付けられたときか!」
最悪や!しかも口の中にも血ぃ入っとるし!キモッ!
「俺はずっとお前に攻撃していたんだ。俺の毒入りの血でな!」
言った瞬間、鰻は自身の尻尾を大阪らんちゅうに振り降ろす。
「グェ゙ッ!」
手足が麻痺しているため、避けることもできず、大阪らんちゅうはそのまま地面に激しく叩きつけられた。
ウゥッと呻きながらなんとか起き上がろうとするが力が入らない。
倒れたままの大阪らんちゅうの片足を鰻が踏みつけた。
骨が曲がっていく音がミシミシと鳴る。
大阪らんちゅうは目を見開き、苦しげな悲鳴を上げる。
だが、抵抗したくとも鰻の血が全身の感覚を奪い続ける。
鰻がニヤッと笑った瞬間、ボキィッと鈍い音が江戸の町に響いた。
「っあああああー!!!」
激痛で涎を出しながら地面の土を握りしめる大阪らんちゅう。
「あははっ」
鰻は動かなくなった大阪らんちゅうの腹を何度も尻尾で蹴り上げ、顔を殴る。
包丁でとどめを刺さず、ただ相手をなぶるのを楽しんでいるのだ。
大阪らんちゅうの顔は涎と血と土が混じりドロドロに汚れているが目だけは鰻を睨み続ける。
闘志は全く無くならない。
「くそ…たれ…」
なんとか四つん這いになり立ち上がろうとするが力が入らず痛みだけが襲う。
「やられっぱなしで…寝て…られるか!」
「もぅいい大阪らんちゅう!起き上がるな!」
朦朧とした頭にきしの声が微かに届いた。
「うる…さ…い」
黙っとれ。きっしんに心配されるなんて焼きが回ったみたいやんか。
私は大阪らんちゅうやぞ。
(関係ない)
身体が裂れたって
痛みで息できひんくても
(関係ないんや)
負けたら…
私が私を許せん。
そんだけや。
ハネられたって私は大阪らんちゅうやから。
大阪らんちゅうは日本一の金魚なんやぞ。
せやから負けられへん。
負けたないんや。
私は…
ドオオオンー!
鈍い音ともに鰻は全体重を掛け、尻尾を金槌ように振り下ろし、大阪らんちゅうの頭を釘のように地面に打ち付けた。
大阪らんちゅうは意識が薄らぎ、目を開けることもできなくなった。
動かなくなった獲物に落胆する鰻。
「なんだ?もぅ壊れたのか。もっと楽しめるかと思ったのになぁ。まぁいいや。別の玩具で遊ぶか」
大阪らんちゅうに興味を無くした鰻はきし達の方を見る。
きしは母親と子供を庇うように前に出た。
「次はお前らだな。そうだ、女の足はもいで食ったんだった。じゃあ、お前ら三人ともお揃いで腕と足を引き千切ってやろう。で、球蹴りにでもして遊んでやるか」
鰻が振り下ろした包丁がきしを捕らえた。