2.調査開始
冬休みが終わり学校が始まるまで、新たなメッセージのやりとりはなかった。学校でのミッションはあの日彼女と一緒にいた人を探すこと。
ただでさえ冬は布団から出たくなくなるのに、年末年始で狂わされた僕の体内時計も相まって、早起きはかなり辛い。なんとか重たい体を起こし、眠い目を擦りながら制服に着替える。部屋を出てリビングへと降りると、母親が朝食を用意してくれていた。
「おはよう、宗弥。朝ごはんできてるよ。」
「おはよう。」
テーブルに着くと、父親がネクタイを結びながら現れた。
「おはよう。俺もう仕事行くから。」
「おはよう。あと、いってらっしゃい。」
「行ってきます。」
父親は駆け足で家を飛び出して行った。僕も悠長にしている時間はないので、急いで目玉焼きを乗せたトーストを口へと運ぶ。白身だけの部分はなんだか味気ない。黄身まで到達すると、半熟のトロトロとした黄色い液体が勢いよく溢れ出す。顔ごと皿に近づけてたまごが制服に垂れないようにする。半分くらいまで食べ進めたら、たまごが落ちないようにパンを半分にたたみ、皿に溜まった黄身にディップしながら食べる。これがまたうまい。最後はパンで皿を拭くようにたまごをつける。
「ご馳走様。」
食べ終わったら歯磨きと荷物の準備を終わらせ、ローファーを履き家を出る。
「行ってきます。」
歩いて駅に向かい、ちょうどよくきた電車に乗り込む。朝の電車は混雑しているが一駅で学校の最寄りなのでさほど気にならない。駅から10分と少し歩くと学校にたどり着く。家の近くの高校に入れたのはとてもラッキーだった。
正門を抜けると見慣れた校舎と、その横に建設中の仮校舎が見える。来年度から建て替え工事が始まる校舎を僕が使うのはあと3ヶ月くらいだろう。仮校舎はほとんど完成したように見える。
教室に入ると今まで感じたことのない、思わず息を呑んでしまうような暗く、重たい空気が張り詰めていた。桜庭陽和の席には彼女の明るさを連想させる黄色い花がそえられている。
教室全体、いや学校全体が桜庭陽和の話題で持ちきりだった。事故現場の近くに花を供える生徒や涙を流して悲しむ生徒もいた。僕 そんな教室の雰囲気に、思わず息を止めて自分の席へと向かう。
スマホを取り出し、数日前にした誰だかわからない相手とのやり取りを確認する。12月19日の彼女の動向を探ると言うミッションを与えられているが、そんなことを聞ける空気じゃない。そもそも、僕がそんなことを聞ける相手がこの教室にいただろうか。しばらく何もすることがないのでスマホで漫画を読んでいると、前の席の笹原がこちらを向いて話しかけてきた。
「なあ、桜庭のこと聞いた?」
「ああ。」
笹原は一年の時から同じクラスで、僕がこのクラスで最も仲のいい男子だろう。とは言っても学校以外であったこともなければ、連絡を取ることもほとんどない。ただのクラスメイトだ。
「冬休みが早まった時にはラッキーだと思ったけど、まさかあんなことが起こってたなんてな。」
12月19日の転落事故により、僕らはそのまま冬休みへと突入した。始めは事故の詳細は公表されず、後日メールで何があったのかが送られてきた。
「そうだね、まさかクラスメイトに何があったなんて思いもしなかったよ。」
「なんか、あんまり悲しそうじゃないな。まあ、お前この教室の誰がいなくなっても関係なさそうだもんな。」
僕は彼の発言を悪口として捉えておくことにした。
「それより、何で桜庭は土曜の夜なんかに学校いたんかね。しかも屋上なんかに、何してたんだろう。」
やはり彼女があの日学校の屋上にいたことは、みんな疑問に思っているのだろう。
「何でだろうねー、なんか知らないの?」
「何で俺が知ってるんだよ。」
「だって笹原、噂話とか好きじゃん。」
笹原は学校の噂が大好きだ。席が近い時は、どうでも良い情報を勝手に伝えてくる。
「まあ、確かに噂話はよくするな。まあ、ちょっと耳貸してみ。」
彼はわざとらしく周りを見渡し、手招きをする。僕が彼の方に耳を向けると、彼は右手で口元を隠し小声で話し始めた。
「噂で聞いたんだけどな、その日みなとみらいで桜庭を見たって奴がいるらしいんだ。それで顔は見えなかったらしいんだけど誰か男と歩いてたって。一緒にいたのは多分、伊藤じゃねえかって話だ。」
笹原の話が初めて役に立ったと瞬間だと思う。
伊藤は、桜庭と付き合っていたサッカー部の男子だ。明るい性格で、隣のクラスのリーダー的存在だ。同じクラスの人すらよくわかっていない僕でも知っている、桜庭と同じ、僕らの学年の有名人だ。
「相変わらずどこで聞いてくるんだよ、そんな話。」
彼の情報収集能力には、いつも驚かされる。
「それは企業秘密だな。」
そう言うと笹原は、イタズラな笑顔をこちらに向けてから教室に入ってきた友達の方へと歩いて行った。彼は僕と違って友達がたくさんいる。
まもなくしてチャイムが鳴り、担任の上原が教室へと入ってくる。体育教師の上原はいつもジャージ姿をしているが、今日は真っ黒なスーツを着ていた。
「えー、みんなおはよう。早速だけど話さなければいけないことがある。みんなも知っていると思うが、このクラスの桜庭陽和さんが12月に亡くなった。突然のことでびっくりした人も多いだろう。正直俺も今もあまり実感が湧かない。もし、不安なことや悩みごとがあれば、何でも相談してくれ。俺に話したくないことだったら保健室にカウンセリングの先生も来てるから、一人で抱え込まないように。それから、校舎裏の通路は立ち入り禁止になってるから入らないように。」
改めて担任の口から改めて彼女の死を知らされると教室の空気はさらにずっしりと重くなっていた。真冬でなければ窓を全開にして換気したいと思うような、暗くどんよりとした重い空気だった。
そんな空気を引きずったまま、3学期の始業式は終わった。式では、校長先生の追悼の言葉が読み上げられた。体育館にも教室と同じ空気が流れているようだった。結局、3学期の初日はなんとか無事に終わった。
僕はいつも通り一人で駅へと向かいなが、桜庭陽和のアカウントにメッセージを送る。
「あの日、桜庭と男が一緒にいるのを見た人がいるらしい。でもその男が誰なのかはまだ分からない。」
とりあえず誰だかわからない相手に報告を済ませる。初日にしてはだいぶ大きな成果なのかもしれない。正直、自分が何か大きな情報を得られるとは思っていなかった。
しかし、本当にこれ以上何かわかることはあるのだろうか。笹原という最大のカードを切った僕の手札にもう余力はない。これから先の展開を考えると頭が痛くなりそうだ。
結局返信はその日の夜に来た。
「情報ありがとう。こっちもその男が誰なのかできる限り調べてみるから、君も引き続き調査よろしく。」
一人の人間の死について調べようというのに随分と軽く言ってくれる。しかし、メッセージの相手について分かったこともある。僕ですら掴めた情報を知らなかったとしたら、きっと相手は学校にいない誰かなのだろう。だから、わざわざ僕を使って調べているのか。ではなぜ僕のことを知っているのだろう。一つの新たな発見は一つの新たな謎を生んだ。






