第五話 【 恐怖の暗闇 】
暗闇の中、下から灰色の淡い光に照らされてるエル…。両膝を突き背中を丸めながら佇み…、涙を流しながら震える手を見つめていた。
灰色の輝きが徐々に小さくなり、やがて消えていく。
漆黒の世界…。
何も見えない…。
何も聞こえない…。
そして……、何も起こらない…。
叫び声、悲鳴、逃げ惑う足音、引き裂かれる鈍い異音…。その全ての音が消えている……。
下を向きながら、この異変に気付き驚いた表情をしている。
<バッッ>
エルは勢いよく顔を上げた。
「…えっ?……」
ゆっくり、注意深く辺りを見回す。
目が暗闇に慣れてきたみたいで、薄っすらと回りの状況が見えて来る。
「…ど、どこだ?…みんなは…?」
深い森…、雑草の上に佇む自分……。
そして……、カサトスとラミラ、若者達と魔物が……消えている……。
音の無い暗闇に独り……。
涙がまた流れて来る…。心がきしむ様に悲鳴を上げていて、勝手に溢れてくるのだ……。
「カサトス…ラミラ……」
漏れ出た声の行き先も無く…、ただ暗闇に吸い込まれていく。
天を仰ぐも……星も…二人の姿も…何も見えない。
目を擦り、何度も何度も見回すが…恐ろしい程何もないのだ。
「うっ…ぅうっ……」
地面に腕をつき…うずくまるエル……。
極度の愁傷により…もう動く事が出来なかった…。
<……カサカサ…>
<ガサガサ……バキッ>
何かの弾ける音が遠くで響く。この状況になってから、初めての音だ。
うずくまってたエルは、上半身を起こし音がした方へ振り向いた。
<グルルルルー…>
『!、魔物の……唸り声…?』
何も見えないが、危険だと身体がサインを送っているみたいで、音がする方を避ける様に背中を向けた。
<パキンッ、パキパキッ>
<パキパキッ、バキッパキッ>
『……近付いて来てる…!』
『立たなきゃ…逃げなきゃ!!』
しかし立とうとするが、足腰が言う事を聞かない。
<グルルルルーガウゥ、グルルー>
「クソッ」
エルは、自分の太ももや足をバンバン叩き出した。
「早く…早く!!」
顔や腕、胸や腰…全てを叩いて、心と身体を奮い立たせ様とした。
<ガルッ>
遠くで光っている……魔物の目が……。
「はウッ」
エルは何とか走り出した。よろけてぎこち無い走り方だが、とにかく逃げる事だけ考えて…走った。
「ハァハァッ、ハァハァ」
<ガルッ、パキッパキッ>
<ギャィン>
『お、追いかけて来る!?悲鳴の様な鳴き声も聞こえて来るけど……もっと速く…もっともっと』
エルの身体は、自分が思った以上に動いてくれている。どんな魔物か分からないが、とにかく必死に逃げようとしていた。
<ギャィン>
<ガルルッ、グルルッ、バキッバキッ>
暗闇に目が慣れてきた事もあり、逃げる速度が上がり魔物の音が少し遠ざかった気がした。
その時、雑草と木々のその先に暗闇が広がっている事に気付いた。
「うわアッ」
止まろうとするエルだが、落ち葉に足を取られ直ぐには止まれない。暗闇は直ぐ目の前まで迫ってる。
「くそっ」
必死に手を伸ばして、近くの木にしがみ付く事が出来た。パラパラと…下へ落ちる落ち葉や石ころ…。
エルの目に飛び込んで来たその暗闇は……。
「えっ? 下に空が?……何で?……」
<ガルッ、グルルルルー>
『と、止まっちゃいけない。逃げなきゃ!!』
遠くに巨大な大木が見えた。もしかしたら近くに川か泉があるかも…、人がいるかも…。助けてもらえるかも!と考え、巨大な大木の方へ逃げる事にした。
「ハァハァハァッッ ハァハァ」
暗闇に包まれた深い森の中を、エルは独りで走っている。枝葉に当たり皮膚が切れても…必死に、必死に走っていた。
「ハァハァッ…クハッッ」
『な、何でこんな事に…』
鬼気迫るエルの姿に、木々達は避ける様に背を向ける。既に血だらけになっているエルだが、なりふり構わず走っていた。
『逃げなきゃ…逃げなきゃ!』
<ドスーン、ドスーン……>
遠くで地響きが鳴る振動が伝わって来る。
恐怖に敏感になっているエルの心と身体は…震え、今にも消えて無くなりそうな感覚に陥っていた。
<ゴオオオオー>
「えっ?」
突然轟音と共に、大きな火の玉が後ろから渦を巻いて飛んで来る。暗闇が一気に明るくなり、視界が一瞬だけひろがった。
<ドゴゴオーン>
「うわっ…クッッ、何だ?」
「さっきとは違う魔物か?」
見渡す限り草木が生い茂る深い森。そしてまた暗闇に戻ってゆく。恐怖に縛られた心と身体だが、何故か疲れや痛みは無かった。
「ハァハァッ…ハァッ」
『ど…何処に逃げたらいいんだ?大木はどっちだ?』
<<ドゴォーン>>
再度飛んできた火の玉は、エルから離れた所に落ち回りの草木を激しく焼き尽くす。
エルが走りながら後ろを振り向くと…その痙攣する瞳に映ったのは…。
炎をまとった大きな魔獣の異形が…。
生い茂る木々の間から、炎と煙を上げエルに迫って来ていたのだ。
<ドスーン…ドスーン>
「カハッ、ハァハァハァ」
息を切らせながらも素早く逃げ惑うエルに対して、大木に追い詰める様に炎を飛ばしていく。
<ドゴゴーン>
<ゴーン>
『こ…怖い…父さん、母さん…』
小さな短剣と皮の防具。戦うには心細過ぎる道具をまとい、エルは必死に逃げていた。
木の根につまずき倒れ、土のへこみに足を取られ転び、木に当たり、石に引っ掛かり…。
がむしゃらに、しかし懸命に炎の魔獣から逃れようとしていた。
「ックハッ、ハァハァゥグッ…ハァハァハァ」
<ブオン>
「ブ、ブルーゲート!?」
走る先にブルーゲートが突然現れた。繋がる先がこの地より危険度が低い事を示す色。エルはそこに向かって全力で走っていった。
炎の魔獣が腕を後ろへ伸ばす。手の平には…今までより遥かに大きく、激しく渦巻く炎の塊が。その腕は鞭がしなる様に、バチバチと回転しながら勢いよく前へ押し出されていった。
<ブオンッ>
<グゴオオオオオー>
広範囲を見渡せる程の光と熱が、凄まじい勢いで一直線に飛んでくる。木々をなぎ倒し、破裂させ、燃やしながら…。それが…エルの直ぐ後ろに落ちてしまった。
<ゴゴオオードゴーン>
「うわアッ」
炎と爆風に飛ばされ、ブルーゲートの上を飛び越えて激しく回転しながら大木に叩きつけられると…バキバキッと身体の内部から異音が弾ける。骨が砕けた音だ。
『グガッ』
声にならない強烈な苦痛が、全身を駆け巡る。
目や口から血が流れ、もう動く事が出来なくなってしまったエル。炎をまとった魔獣を見上げようとするも、血で赤く染まった視界と、炎や煙、土煙でかすれてよく見えない。しかし音だけはハッキリ聞こえてくる。迫りくる恐怖の足音が。
<ドスーン、ドスーン>
<ドスーン、ドスーン…>
『…い…いやだ』
エルは激しく震えていても、絶対に死を覚悟しなかった。親兄妹、幼馴染、育った村の事等を思い出しながら…。
「いやだ、いやだ!」
<ドスーン、ドスーン>
震えていても生きる事を渇望し、進む事を希望していた。
『俺が…強ければ、俺に…力があれば…皆を守ってあげられたのに…』
<ドスーン……>
炎をまとった魔獣が目の前まで…。涙が流れるが、直ぐ蒸発する。焼ける防具と髪と皮膚。そして…身体から立ち上がる煙……。
重度の緊張のせいか、何故か痛みは感じなかった。感じるのは虚しさだけ。そして何も出来ない悔しさだけ。
『…もっと…沢山…話しをしたかったなぁ…
もっと…もっと…みんなと…』
とてつもなく悲惨で過酷な状況の中、エルの脳裏に様々な思い出が蘇る。
火を起こし、親兄妹、幼馴染、村の人達を光で照らしたり、暖めたり、作業や勉強をしやすくしたり……。
『エル、何が食べたい?』
突然優しい声が…聞こえた様な気がした…。
エルは口を動かすも…音は何も出て来なかった…。
魔獣の熱で…燃え、崩れ、消えゆく身体。もう言葉を発する事も出来ない。
しかし……エルは笑顔だった。
『みんなを暖かい光で照らしてあげたかったなぁ』
<<カッ>>
寄りかかる背中と大木の間が突然紫色に光り、その輝いた空間に…エルの笑顔は吸い込まれていった。
<バシュン>