第1話【門出の日】
「ハァハァハァッッ ハァハァ」
暗闇に包まれた深い森の中を、一人の少年が走っている。赤い髪に青い瞳。そして簡易的な皮の防具に身を包みながら。
枝葉に当たり皮膚が切れても…必死に、必死に走っていた。
「ハァハァッ…クハッッ」
『な、何でこんな事に…』
鬼気迫る少年の姿に、木々達は避ける様に背を向ける。既に血だらけになっている少年だが、なりふり構わず走っていた。
『逃げなきゃ…逃げなきゃ!』
<ゴオオオオー>
轟音と共に、突然大きな火の玉が後ろから飛んで来る。暗闇が一気に明るくなり、視界が一瞬だけ広がった。
「うわっ…クッッ」
見渡す限り草木が生い茂る深い森。そしてまた暗闇に戻っていく。
「ハァハァッ…ハァッ」
『ど…何処に逃げたらいいんだ?』
<<ドゴォーン>>
再度飛んできた火の玉は、少年から離れた所に落ち回りの草木を激しく焼き尽くす。
少年が走りながら後ろを振り向くと…その痙攣する瞳に映ったのは…。
炎をまとった大きな魔獣の異形が。
生い茂る木々の間から、炎と煙を上げ迫って来ていたのだ。
<ドスーン…ドスーン>
「カハッ、ハァハァハァ」
息を切らせながらも素早く逃げ惑う少年に対して、遠くにある大木に追い詰める様に炎を飛ばしていく。
<ドゴゴーン>
<ゴーン>
『こ…怖い…父さん、母さん…』
小さな短剣と皮の防具。戦うには心細過ぎる道具をまとい、少年は必死に逃げていた。
木の根につまずき倒れ、土のへこみに足を取られ転び、木に当たり、石に引っ掛かり…。
がむしゃらに、しかし懸命に炎の魔獣から逃れようとしていた。
<ブオン>
「ブ、ブルーゲート!?」
走る先にブルーゲートが突然現れた。少年はそこに向かって全力で走っていった。
この青い光は、現在地よりゲートの先の魔力が弱い地域に繋がっている時の色だ。
炎の魔獣が腕を後ろへ伸ばす。手の平には…今までより遥かに大きく、激しく渦巻く炎の塊が。その腕は鞭がしなる様に、バチバチと回転しながら勢いよく前へ押し出されていった。
<ブオンッ>
<グゴオオオオオー>
広範囲を見渡せる程の光と熱が、凄まじい勢いで飛んでくる。それが…少年の直ぐ後ろに落ちてしまった。
<ゴゴオオードゴーン>
「うわアッ」
炎と爆風に飛ばされ、ブルーゲートの上を飛び越えて……激しく回転しながら大木に叩きつけられると…バキバキッと身体の内部から異音が弾ける。骨が砕けた音だ。
『グガッ』
声にならない強烈な苦痛が、全身を駆け巡る。
目や口から血が流れ、もう動く事が出来なくなってしまった少年。炎をまとった魔獣を見上げようとするも、血で赤く染まった視界と、炎や煙、土煙でかすれてよく見えない。しかし音だけはハッキリ聞こえてくる。迫りくる恐怖の足音が。
<ドスーン、ドスーン>
『…い…いやだ』
少年は激しく震えていても、絶対に死を覚悟しなかった。親兄妹、幼馴染、育った村の事等を思い出しながら…。
「いやだ、いやだ!」
<ドスーン、ドスーン>
震えていても生きる事を渇望し、進む事を希望していた。
『俺が…強ければ、俺に…力があれば…皆を守ってあげられたのに…』
<ドスーン……>
炎をまとった魔獣が目の前まで…。涙が流れるが、直ぐ蒸発する。焼ける防具と髪と皮膚。そして…身体から立ち上がる煙……。
重度の緊張のせいか、何故か痛みは感じなかった。感じるのは虚しさだけ。そして何も出来ない悔しさだけ。
『…もっと…沢山…話しをしたかったなぁ…
もっと…もっと…みんなと…』
とてつもなく悲惨で過酷な状況の中、少年の脳裏に様々な思い出が蘇る。
火を起こし、親兄妹、幼馴染、村の人達を光で照らしたり、暖めたり、作業や勉強をしやすくしたり……。
『エル、何が食べたい?』
突然優しい声が…聞こえた様な気がした…。
少年は口を動かすも…音は何も出て来なかった…。
魔獣の熱で…燃え、崩れ、消えゆく身体。もう言葉を発する事も出来ない。
しかし……少年は笑顔だった。
『みんなを暖かい光で照らしてあげたかったなぁ』
<<カッ>>
寄りかかる背中と大木の間が突然紫色に光り、その輝いた空間に…少年の笑顔は吸い込まれていった。
<バシュン>
神や天使の存在が記憶から無くなりつつあるこの世界。唯一、慢性的に伝統的な儀式等は残っており、人間達はその力の存在を少なからず感じていた。
それに反して、この世界は魔力が浸透しており、魔物が生息する危険な世界となっている。
その中で、人々は必死にもがきながら生きているが、魔物の力が微かに強くなってきている様なのだ。
そんな魔物と人間の間では、生息圏の奪い合いが頻繁に繰り広げられ、それを職業とするハンター達は花形職業として英雄視されていた。
<ゴオオオオー>
アテラス王国、カサフィン公国領、ノートス地域。国が治める領地は広大で、その中に数多くの城や街、村が点在している。
古くから伝わる伝統行事として、もっとも神秘的なのは成人の儀。
成人としての儀式は14歳になる年齢で行われる。
儀式前の行事として難易度の非常に低い魔物討伐へ行き、その後、スケールと呼ばれる秤で、神の祝福を授かる決まりがあるのだ。
大きな太陽の恵を受ける大地。生き生きとした草原に、優しい風が吹いている。その風はサラサラと草の上を走り、なだらかな丘を登ってゆく。
<ブワッ>
優しく舞い上がる草木の葉。その先に幾つもの建物が見えた。
ここは貧困層の人々が集まる小さな村、ナノーグ。その村の玄関口には、儀式を受けに行く3人の少年少女の姿があった。
「エル!帰ってきたら何が食べたい?」
「何でもいいよ!かーさんの料理はどれも美味しいから! しいて言えばお団子かな!」
赤い髪に青い瞳。首にスカーフを巻いたエルと呼ばれる少年は、少しはにかみながら笑顔を両親と妹に見せている。
他の二人、アンクレットを付けたカサトスも、綺麗な指輪を付けたラミラも笑顔で楽しげに両親達と話
をしていた。
村人達もそれを見守る様に、笑顔で沢山集まって来ている。
賑わっている合間を縫って、笑顔の村長が出て来た。白く長いヒゲを生やし、祭服に身をつつんでいる姿だ。ここの村長は小さな教会の司祭でもある。
「タナニコス村長が出て来たぞ。いよいよだな!」
何処からか、村人のそんな声が聞こえてきた。
村長は一度、「コホン」と咳払いした後、短く太い杖を小さく上へ掲げた。
「さぁ、門出の祝福を!」
村長の言葉に、キリッと身が引き締まるエル、カサトス、ラミラ。
彼等は村長の前で横一列に並び、凛々しく育った姿を見せていた。
村長は、其々の顔を感慨深くユックリと見ている。そして、誇らしげな笑顔で小さくうなずいた。
村長の杖が、それぞれ頭の上に軽く添えられてゆく。
彼等にとって、この儀式は冒険なのだろう。小さな短剣と皮の防具を身に着け、食料や飲み物を入れた袋を身体に縛り付けていた。
「よしっ、いいぞ!」
村長のその言葉に反応し、彼等は広い草原の方へと身体を向けた。
「カサトス、ラミラ行こうか!」
「うん」
エルはそう幼馴染二人に声をかけ、皆で家族に手を振りながら二頭立ての馬車に乗り込んでいった。