その稀代の悪役令嬢は
思いついてすぐ勢いで仕上げた作品ですので、設定が緩い部分などがございます。ご容赦ください。
時系列などもバラバラになっておりますので、読みにくいかもしれないですが、何卒よろしくお願いします!>_<;
「お嬢様、私と簡単な賭けをいたしましょう」
「…賭け?」
「ええ、私が勝つか、お嬢様が勝つか。その二択の賭けです」
そう言い放ったのはお仕着せに身を包んだ赤髪のメイドだった。
「ふ〜ん、いいわよ。それで、何を賭けて勝負するの?」
お嬢様と呼ばれた女性は愉快そうに笑みを深める。
「それはですね…」
王都にある、貴族の子息子女が通うエッケロイツ学園にはここ数年でとあるおかしな”慣習”があった。
それは、最高学年である3年生の中から必ず「悪役令嬢」と呼ばれる者が現れること。
そしてそれは必ず身分の高い令嬢から現れ、それと相対するように「ヒロイン」と呼ばれる者が現れること。
そうして今代の悪役令嬢として名を馳せたのが、儚げな見た目から”深窓の憂姫”として知られていたハーファ・コンチェスタ公爵令嬢。
対して「ヒロイン」として名を馳せたのが、エリィ・ルッツ。ハーファと階級が三つも差のある子爵令嬢。
ことの始まりはハーファと第二王子との婚約が破棄されてからだった。
「ハーファ・コンチェスタ。貴殿との婚約を今日付けを持って破棄させていただく。君のその貴族らしくない陰鬱とした空気はあまりにも窮屈なんだ」
広い講堂の真ん中に制服に身を包んだ人物が3人いた。
ブルーブラックの髪をハーフアップに纏めた女性と、それと向かい合わせにして立つ金髪が美しい男性。男性の隣にはダスティピンクの髪を緩やかに巻いた女性が一人。
儚げな雰囲気をしたブルーブラックの髪色の女性、彼女がハーファ・コンチェスタ公爵令嬢であった。
「…左様でございますか」
「チッ、こんな時でさえ貴方は表情一つ変えやしない。もううんざりだ」
美しい顔を歪めてそう吐き出すのはクロイツ・エル・クリストフ第二王子殿下。
ハーファ・コンチェスタの婚約者だ。元、の方が正しいのかも知れない。
そしてクロイツ殿下の隣に並ぶ女性は困ったような表情を浮かべるも、瞳には隠しもしない喜びが滲んでいた。
「…彼女は?」
「ふんっ、貴方に教えてやる義理はないのだが…まあいい。彼女は私の新しい婚約者となる女性だ」
「エリィ・ルッツと申します。このような形でのご挨拶になってしまってごめんなさい…。それにハーファ様からクロイツ様う奪うような形にもなってしまって…、ハーファ様は怒っていらっしゃいますわよね…?」
突然うるうると瞳に涙を溜めて子犬のように震え出したエリィ。
そんな彼女が愛しくてたまらないとでも言いたげな瞳でクロイツはそっと寄り添う。
「ああエリィ、泣かないでおくれ」
「でも…ハーファ様よりも身分の低い私なんかがクロイツ様の婚約者になれるなんて…今だに夢のようで…」
「君は…なんて愛らしいんだ。安心してくれ、私が愛しているのはエリィ、君だけだ」
「クロイツ様…」
完全にふたりの世界に入ってしまったクロイツとエリィをなんの感情も灯らない瞳でハーファは静観する。
クロイツはエリィの肩をまるで敵から守るようにぎゅっと抱き寄せると、打って変わって厳しい目付きでハーファを睨むようにみた。
「彼女は朗らかで愛らしい女性なんだ。貴方と違ってな。貴方も少しはエリィを見習うといい」
「…左様でございますか」
「チッ」
およそ王子とは思えない舌打ちがクロイツの口から発せられる。
「婚約破棄の打診については我が家から行います。当主にも話を通しておきますわ」
「賢明な判断だな」
「…」
ハーファは2人にお辞儀をすると、くるりと踵を返す。これ以上話すことはないと判断したのだろう。
「おい」
そんなハーファをクロイツは乱暴に呼び止める。ハーファは半分だけ体を王子の方へ向けた。
「一応念のため忠告をしておく。もしエリィに何か手を下そうとするなら容赦はしない。覚えておくことだな」
「…かしこまりましたわ」
何度目かわからない舌打ちが聞こえたが、ハーファは気にすることなく講堂を後にした。
それからハーファ・コンチェスタは学園を休学した。
ハーファとクロイツの婚約は破棄され、その事実は学園内にも瞬く間に知れ渡った。
ゴシップ好きの子息子女たちは口々に噂をする。
ークロイツ王子殿下に振られたショックでコンチェスタ公爵令嬢は儚くなられた。
ー”深窓の憂姫”は二人の行く末を憂いた、真のあだ名だったのでは。
ー彼女はもう社交界にも学園にも戻ってこないのではないか。
など。
そして、噂に拍車をかけたのがエリィ・ルッツ子爵令嬢の存在だった。
以前からエリィはクロイツ殿下に婚約者がいることを知っておきながら、持ち前の明るさでまるで友のように、時に恋人のように親しげに接していた。それをよく思っていなかった貴族たちも少数いたのだが、当のクロイツ殿下がその振る舞いを許していたので苦言を呈すことができなかったのだ。
そうしたエリィに対して妬みを抱いていた貴族たちはここぞとばかりに噂を流した。
ーエリィ・ルッツ子爵令嬢がハーファ・コンチェスタ公爵令嬢からクロイツ殿下を略奪した。それにコンチェスタ公爵令嬢は大変傷ついたのではないか。
と。
エリィは学園内で泥棒猫としてあっという間に孤立した。
それまで朗らかな性格と可愛らしい見た目から人気を集めていたエリィだったが、腫れ物に触れたくないと言わんばかりに人が離れていく。
そうしてその噂が間違いではないかも知れないと決定打になったのが、彼らの婚約が成り立っていないことからだった。
貴族という生き物は勘繰ることが大好きだ。
エリィがハーファからクロイツを略奪したという後ろめたい事実があるからこそ、真に愛し合っていても婚約が成立しないのではないか、と。
もとより身分差もあるために婚約は難しいのだが、そんな当たり前の事実がかすむほどに噂は過熱していった。
ハーファが学園を休学している今、お互いの仲を誰にも咎められることなく深められるはずだったのに、噂のせいで次第にクロイツとエリィの仲にもなんとも言えない溝ができるようになった。
2人の中に亀裂が入ったことでこの噂もようやく収まるかと思ったそんな矢先のこと。
生徒たちの記憶からハーファの印象が消えかけていた時のことだった。
「みなさま、ごきげんよう」
颯爽と現れて自信気に挨拶をしたその令嬢は、休学をしていたハーファ・コンチェスタの席へと座った。
その席へと誰かが座ったのは約1ヶ月ぶりのことだった。
それまで朧げに覚えていた儚気な印象から離れた勝気な表情に、ハーファと同じクラスである生徒たちは訝し気に彼女を見遣る。
ハーファ・コンチェスタとはこんな見た目だったか? と。
しかし髪の色も瞳の色も一緒だ。変わったのは髪型くらい。
今まではずっとハーフアップに髪を纏めていたのが、前髪はかきあげられ後ろも全て下ろし細かくウェーブに巻かれていた。
記憶に正しい彼女はこんなふうに挨拶をするはずがない。クラスの生徒たちがみんな思ったことだった。
だが元の印象がだいぶ薄れていたこともあり、すぐに否定ができない。
当の本人は自信満々の笑みを湛えている。
みんなが胸の内に疑問を抱えたまま、その日は特に何もなく終わった。
そうして次の日にはその疑問もどうでも良くなるくらいの出来事が起きたのだ。
「あら、ごめんあそばせ。”猫”だと思ったらまさか人間だったなんて。ほら、猫は濡れるのが嫌いとかよくいうじゃない」
悪びれもせずそう話すのは昨日から様子のおかしいハーファ、その人であった。彼女の手には空になったコップが握られている。
そうして彼女の目の前で、頭から水を被ったのか髪から雫を滴らせているのは、エリィ・ルッツ。
泥棒猫と呼ばれた少女だ。
「ハ…ハーファ、さま…? ど、どうして…いつ…、いつ学園に戻られましたの…?」
エリィは状況がうまく読み込めないという表情でぽつりぽつりと言葉をこぼす。
そんなエリィにハーファは意味深に笑みを深めた。
「あら、私、あなたに名前で呼ぶことを許可した覚えはないのですけど」
表情とは裏腹に剣呑としたその声音にエリィは息を呑む。
そのあまりの変わり様にその場にいた生徒たち全員が口を噤んだ。
これはほんとうにハーファ・コンチェスタか? と誰もが思った。
しかし友達と呼べるほど親しい仲の者もおらず、ほんとうのハーファというのがなんなのかわからない。
だから次第に誰もが納得した。これがハーファ・コンチェスタの化けの皮が剥がれた姿なのだと。
そうして、エッケロイツ学園の慣習が今年も始まったのだと心の中で呟いた。
それからというもの、ハーファはエリィを徹底的にいじめ抜いた。
ある日はびりびりに破いた教科書をエリィの机の中に詰め、筆記用具をゴミ箱に捨てたり。
またある日はわざとらしく足を引っかけたり、時には身分の差をネタに馬鹿にすることもあった。
大胆なものから陰湿なものまで。中には目撃情報のないものもあったが、貴族たちは口を揃えてそれをした犯人は一人しかいないと言う。それほどまでに、ハーファの印象は悪いものに落ちていった。
今までの悪役令嬢とは比べ物にならないほど、ハーファはあらゆる手を尽くしてエリィをいじめた。
そうすると最初はただ傍観するだけだった生徒たちも、ハーファの苛烈さに同情を抱き次第にエリィの肩を持つようになる。そうしてそれは生徒たちだけに留まらず、クロイツとの恋を再燃させるきっかけともなった。
エリィのことを泥棒猫と罵る噂はすぐになくなり、今ではハーファの話題で持ちきり。
このエッケロイツ学園にあるおかしな慣習も相まって、彼女は”深窓の憂姫”を改めこう呼ばれるようになった。
”稀代の悪役令嬢”と。
「あ〜、おかしい」
「ずいぶんと楽しそうですね、お嬢様」
紅茶を淹れながら赤い髪を三つ編みにまとめたメイドが静かに言う。その言葉に、笑いすぎて目尻に溜まった涙を拭いながらお嬢様と呼ばれた女性はにこりと微笑んだ。
「ええ、もちろん。だって滑稽なんだもの。どいつもこいつも」
「…お嬢様、口調が悪うございます」
「ああ、ごめんあそばせ」
「…」
ブルーブラックの髪をくるくるといじる。メイドはただ無言で淹れたての紅茶を差し出した。
「ねえ、そう言えば私ってなんで”深窓の憂姫”なんでしょうね?」
「…それは、お嬢様が社交界にも顔を出さず、いつも憂うような表情ばかりをされているからかと」
「ああ」
納得したようにそう返事をすると淹れたての紅茶を口にする。
「あつっ…」
「淹れたてでございますから」
「…ほんと、可愛くないメイド」
「左様でございますか」
じっとりとした視線を涼やかに交わしながらメイドは自身の主人である人を見つめる。
「くれぐれも、賭けの途中ということをお忘れなきよう」
「…言われなくても、そこはちゃんとわかっているわ」
メイドは小さくにこりと微笑むと、舌を火傷したであろう主人のために氷を用意してやるのだった。
〜〜〜〜
場所は変わり、王都の中央街。エッケロイツ学園と王城のちょうど中間にある街に赤い髪を三つ編みにまとめたメイドが一人。
「ここかしら」
お仕着せの上からフードを目ぶかに被り、メモに書かれてある住所と目の前にある建物を交互に見る。
少し逡巡した後、メイドはゆっくりと扉を開いた。
カランカランと鈴が鳴る。
そこはバーのようなカフェのようななんとも不思議な内装をしたお店であった。
出迎えてくれた店員に何かを伝えると、メイドは迷うことなく奥の部屋へと進む。
仄暗い廊下を進んだ先にある扉を静かに開けると、そこには陽の光が差し込むガーデンテラスがあった。
「あら? お客様だなんて、珍しい」
ガーデンテラスにはすでに女性が一人座っていた。
突然の来客に特に驚いた様子もなく優雅にお茶を飲む金髪の美しいその女性からは、貴婦人と呼ばれるのが相応しい気品を感じる。
「何か私に御用かしら?」
読み取れない表情で笑った女性の目元にうっすらと皺が刻まれる。
メイドは被っていたフードを払うことなく、すっと女性の前に立った。
そうしてそのまま何をするわけでもなくただ静かに立ちすくむメイドに、女性は首を傾げる。
聞こえてくるのは風が葉を揺らす音と、城下町から聞こえてくる声、そして店内の客であろう話し声。
「ここは、とても声が聞きやすいですね」
唐突にそんなことを言う。
何か意味がありそうな言葉に、けれど女性は一切表情を崩すことなく微笑む。
「私のお気に入りの場所なの。あなたも一杯飲んでいかれる?」
「いえ、遠慮しておきますわ」
「そ? 残念」
女性はゆったりとした動作でお茶を口に運ぶ。
「今日はあなたと、簡単なものではありますが賭けをしに参りました」
「…賭け、ですか?」
初めて、女性の表情が少し崩れる。
メイドはポケットから紙を取り出すと、女性へと手渡した。
「…まあ」
「条件はここに、面白そうだとは思いませんか?」
「そうね…退屈はしなさそう。それで、あなたが勝った場合の条件は良いとして、私が勝った場合は何を差し出してくれるのかしら?」
試すように女性がメイドを見る。
「それにはこちらを」
「これは…出国用のチケット?」
「ええ、尋ね人の行先の切符…と申す方が正しいでしょう」
その言葉に女性はさらに表情を崩す。
「…あなた、どこまで知っているの?」
「さあ。私はお嬢様の言い付けできた、ただの使用人ですので」
太々しくもいっそ清々しくもあるその態度に、女性は諦めるように長いため息を吐いた。
「…いいわ、その賭け乗りましょう。条件も全て呑むわ」
「お互い検討いたしましょう。それでは」
綺麗なお辞儀をした後、メイドはくるりと踵を返す。
メイドが出て行ったことを確認した女性は静かにため息を吐くと、ポツリとつぶやいた。
「なぜでしょうね…彼女にあなたの面影を重ねてしまったのは…」
その言葉が誰かに届くことはなかった。
”稀代の悪役令嬢”と呼ばれたハーファ・コンチェスタはその後も数々の悪行を積み重ねた。
ハーファが着火剤となって燃え上がったクロイツとエリィの恋は、勢いを止めることなくどんどん加速をしていく。
障害物があるほど恋は燃えるとはよく言ったもので、共通の敵を前に2人の中は確かに以前よりも深いものとなっていた。
それはもちろん生徒たちにも言えるものだった。
「おい、ハーファ・コンチェスタ! 貴様よくもこんなことをっ!」
食堂でハーファが昼食を食べている時だった。顔を怒りで真っ赤にしたクロイツが、食事中にも関わらずハーファに突撃してきた。周囲にいた生徒たちの視線が優雅に一人で食事をとるハーファへと注がれる。
ハーファはナフキンで口元を拭うと涼しげな態度でクロイツに向き合った。
「こんなこと…とはどのようなことでして? 身に覚えがありすぎて分かりませんわ」
「き、きっさま…エリィがこんなに苦しんでいるのに、のうのうと…」
クロイツはその綺麗な顔を般若のように歪ませた。その様を眺めながらハーファは余裕そうに笑う。
「まあ、ルッツさんがなんて?」
「これは貴様の仕業だろう?! もう全てわかっているんだぞ!」
「まあまあ、勇ましいこと」
歯牙にも掛けない態度にクロイツは思わず出そうになる手をなけなしの理性で抑える。
「これが何かわかるか?」
「なんですの、そのボロ切れ…ああ」
一瞬眉を顰めたあと何かを察したように発せられた声に、ギリっとクロイツが歯噛みする。
「やはり貴様か…そうだ、これはエリィのブレザーだ。それがなぜかボロボロに引き裂かれていたんだ。こんなことをするのは貴様しかいないだろう?!」
あまりの形相に普通の令嬢ならば怯えることだろう。しかも相手はこの国の第二王子。顔を真っ青になる程怯えてもいいはずが、稀代の悪役令嬢様はさらりとした表情で小首を傾げる。
「決め付けはあまりお勧めしませんわよ?」
「っ…!! 死にたくなければその口を閉じることだな…!」
今にも殴りかかりそうな雰囲気に周囲がざわつく。けれど止めようとする生徒はどこにもいない。
ピンチである状況にも関わらず、ハーファはおかしいものを見たように笑った。
「何がおかしい!!」
「申し訳ございませんわ…その、どうして”王子”というだけでそんなに威張れるのかしら…とおかしくなってしまって」
「貴様…ほんとうに不敬罪で死にたいようだな…!!」
ゆらりとクロイツが見たことのない動きをする。
護身用に隠し持っていたのであろう短剣を懐から取り出すと、徐に鞘を抜いた。
何の躊躇いもなくハーファに向かって振りかざす。きゃあっといった悲鳴が周りから上がった時だった。
「ダメですっクロイツ様!」
生徒の合間を縫って現れたエリィがひしっとクロイツの腕にしがみついた。その瞳に大粒の涙をたたえて。
「エリィ!」
途端に脱力した腕から短剣が滑り落ちる。さっきまでの形相はどこへやら、クロイツの表情はエリィへの愛情で溢れた。
生き別れた恋人が悲願の末会えたかのような、熱い抱擁を交わす。
「ああ、エリィすまない。君に嫌なものを見せるところだった。君がきてくれなければ、今頃私は穢らわしい血で汚れていたことだろう」
「いいえそんな…私はクロイツ様にお怪我がないのであればそれだけで幸せですわ」
「エリィ…」
「クロイツ様…」
途端に2人の世界に入り込んでしまったクロイツとエリィに呆れたようにハーファはため息を吐いた。
「愛を確かめ合うなら人様に迷惑がかからないところでやってくださる? …それと、これは見世物ではなくてよ?」
「ひっ」
ギラリとした瞳で睨みつけられた周囲の生徒たちから小さな悲鳴が上がる。
「ハーファ様…そんな言い方ひどい…っ」
「貴様はブレザーの件といい、今といい…全く反省する気がないようだな」
ほろほろと涙を流し訴えるエリィを抱きしめながらクロイツが拳を握る。
ハーファの視線が涙を流すエリィへと移った。そのことに生徒たちは胸を撫で下ろす。
「泣けば許されると思っているのでしたら、あなたの脳みそは幼児と一緒ですわねルッツさん。それに私はやられたからやり返している、ただそれだけのことですわ」
そんなハーファの言葉にエリィは余計に涙を溢しながらクロイツに抱きついた。
クロイツが睨みつけるもエリィは皮肉げな笑みを浮かべて続ける。
「婚約中でもない男女が人目も気にせず抱き合うなんて、はしたないこと。ああ、幼児には難しいマナーでしたわねぇ」
「いい加減にしろ!!」
クロイツの怒鳴り声にエリィはか弱く首を横に振った。
「いいの…最初にハーファ様を傷つけたのは私ですもの…。私が…私なんかが、クロイツ様と思いを通じ合わせてしまったから…そうなのですよね…?」
ふるふると小さく震えながら、クロイツの腕の中からハーファの表情を伺うようにちらりと見る。
その表情を見て、エリィはヒッと小さく悲鳴をあげた。
ハーファの顔からは先ほどまでの余裕そうな笑みは消え失せ、まるで感情が全て抜け落ちたような無表情に、心までも凍りつきそうな冷めた眼差しがエリィをひたと捉えていた。
あたりの音が聞こえなくなるほど、ハーファからは異様な威圧が放たれる。
「あなたの脳みそにはお花しか詰まっていないのね」
冷え冷えとした声が静まり返った空間に響いた。エリィの肩がカタカタと小刻みに震える。
またクロイツから怒声が響くかと思いきや、ハーファの威圧に圧倒されてしまったのか歯噛みをするだけで口は開かない。
「ほんと、おめでたい人たち」
ハーファの冷え切ったその声に、誰もが言い表せない緊張感を覚える。
固唾を呑んで次の展開を待っていたが、それは思いの外早くやってきた。
パンっと、手の平を合わせて緊張感の漂う雰囲気を壊したのは、他でもないハーファ自身だった。
「私、あなたたちにずっと構っていられるほど暇ではないの。と言うわけで失礼いたしますわね、ごきげんよう」
一変、パッと笑顔を浮かべたハーファはカーテシーをすると颯爽と踵を返す。
途端に緊張感は解け、皆が胸を撫で下ろした時だった。
「ハーファ・コンチェスタ!」
クロイツの声にまた緊張感が走る。呼ばれたハーファは立ち止まるも振り返る気配はない。
「今度の交流会、覚悟をしておけ。…最悪、貴様の首が飛ぶかもしれないことも覚えておくんだな」
「ご忠告痛み入りますわ。でも…もう私失うものなんて、何もないのよ」
「なに…?」
「それでは」
去っていく後ろ姿をクロイツは怪訝な眼差しで睨みつけていた。
〜〜〜〜
「いよいよですね、お嬢様」
「そうね」
コンチェスタ公爵邸の化粧台にて、同じ髪色をした2人の女性がメイドによって化粧を施されていた。
その鏡に映し出される顔はよく似ている。
時は経ち、今日は例の交流会の日だ。エッケロイツ学園の生徒だけでなくこの国の貴族ならば誰でも参加可能な、年に一度の夜会。
「緊張しておいでですか?」
「いいえ…といいたいところだけど、少しね」
「ふふ、珍しい。噂の”稀代の悪役令嬢”様は可愛らしいところもおありなのね」
「…うるさい」
口を尖らせて可愛らしく拗ねる白のドレスに身を包んだ女性の髪に手際よく装飾品が飾り付けられていく。
「今や城下町でもお耳にするほど大人気ですもの。それに今日の日のためにメイドがよりをかけて磨き上げたんです。お嬢様なら大丈夫ですわ」
「…ここまできて今更引き返すなんて、そんな恥を晒すようなことできないわよ。最後までやり遂げて見せる」
その瞳には確かな覚悟が宿っていた。
隣に座った黒のドレスに身を包んだ女性は無表情を少し緩めると、自身の髪をハーフアップに纏めるようメイドに命じる。
「私も今日は久しぶりの大舞台ですから、気合を入れてみます」
「あなたが気合を入れたら私なんて一瞬で霞むわね…。それと!」
じっとりとした視線が黒のドレスに身を包んだ女性に注がれる。
「あの、いつまで口調はこのままなのかしら。そろそろあなたの前では限界なんだけど…」
「そうなのですか? てっきり楽しんでおられるのかと…、でもかなり板についてきましたよね、お互い。なんだか今更変えるのも勿体無いです」
「あなたねえ〜〜…、もう真似をする必要もないのだから元に戻ってもいいと思うのだけど」
「いえ、お嬢様には最後まで私に成り切ってもらわないといけませんから。それに、そちらの口調の方がお似合いですよ?」
長いため息の後、がっくりと項垂れる。
「…あ〜あ! 賭けの勝敗もあなたの圧勝で終わりそうだし、なんだかしてやられた気分」
言葉とは裏腹にその顔は晴々とした表情をしている。
「それでは、参りましょうか」
「ええ、そうですね」
黒のドレスを着た女性が差し出した手に、迷うことなく白のドレスを着た女性は自身の手をのせる。
美しく着飾った女性が2人、馬車へと乗り込む。
向かう先は交流会の会場、エッケロイツ学園大広間。
入場とともに周囲がざわつく。
純白の生地に青のリボンやレースがあしらわれた可愛らしさと上品さを兼ね備えたドレスに、ブルーブラックの髪や首元を飾る金色の装飾品たち。
一見儚げな顔立ちに勝気な笑みを浮かべて入場したのは、ハーファ・コンチェスタ。
齢18歳にして、”稀代の悪役令嬢”と呼ばれる女性。
「あれが…」
「今にも手折れてしまいそうな儚げな美女と聞いていたが…だいぶ印象が違うな」
「でも彼女が噂の悪役令嬢様なのだろう?」
ひそひそとした喋り声があたりから聞こえてくる。おそらく学園の生徒以外の貴族たちだろう。
そんな声も気にすることなくハーファは一点を目指して歩みを進める。その側にはメイドの姿は見当たらない。
「ごきげんよう、クロイツ殿下、ルッツさん」
「ハーファ・コンチェスタ…」
向かった先にいたのは肩を寄せ合ったクロイツとエリィだった。
ハーファを見つけた瞬間エリィは子犬のように震え始める。
その様子に周囲にいた貴族たちのひそひそ声が大きくなる。
「よくも挨拶なんてできたな。さすがは”稀代の悪役令嬢”様だ。貴様のその貴族の令嬢らしからぬ度胸のデカさと厚かましさ、恐れ入る」
クロイツなりの嫌味なのだろうが、ハーファに響いている様子は全くない。
「クロイツ殿下におかれましては本日も威勢のよろしいことで、私感激致しましたわ」
「くっ…」
王族に対してあまりにも不遜な態度により周囲がざわつく。
その態度を注意しようと前に出た貴族をクロイツは片手で静止した。
「まあいい。今日はお前にとって記念すべき日になるだろう。せいぜい楽しむといい」
「ええお二人も、今宵の交流会を存分に楽しみましょう」
にこりと微笑むと、ハーファはその場を後にする。
「今に見ていろ…ハーファ・コンチェスタ…!」
その後ろでクロイツが悔しそうに歯噛みをしていることを知ることはない。
交流会は順調に進み終盤に差し掛かかる。
その間両者に動きはなく、最初は何が起きるのかと緊張していた貴族たちも時間が経つにつれ、純粋に交流会を楽しむもので溢れていた。
ハーファというと、供もつけず1人で立食を嗜んでいた。
周りからよく思われていないのが目に見えてわかるように、彼女の周りだけ円形にぽっかりと人がいない。
「人って単純だわ」
だからこっそりと呟かれたハーファの言葉も誰に届くこともない。
話す相手もいないのでグラスに入ったジュースをくるくると回しながら眺めていた時だった。
周囲がざわつきハーファを遠巻きにしていた貴族たちが二手に分かれていく。
その分かれた先から現れたのは、クロイツ・エル・クリストフ第二王子殿下とその恋人であるエリィ・ルッツ子爵令嬢。
今ではもうお約束の2人の登場に、ハーファはほくそ笑む。
「これはこれは…お二人揃って私に何か?」
「貴様には側にいてくれる者が誰もいないのだな、寂しいやつだ。それもこれも全ては自業自得だろうが」
「あら、私寂しいだなんて思ったことはございませんわ。上辺だけの化かし合いのような交流に何の意味がございましょう」
クロイツは、ハッとバカにしたように鼻で笑う。
「まるで悪役のようなセリフだな、コンチェスタ。…いや、貴様は真に悪役令嬢であったか」
「あら、それはお褒めの言葉と与っても?」
「よく回る口だ…だがそれもここまで。ハーファ・コンチェスタ。この場において貴様に言い渡す」
ごくりと誰かが喉を鳴らす音がやけに鮮明に聞こえる。
「今ここで、クロイツ・エル・クリストフの名の下に貴殿を糾弾いたす! ハーファ・コンチェスタ! 貴様は我が愛しきエリィ・ルッツを虐め抜いた罪、また悪魔のようなその悪辣さはこの国の貴族にしてあらず。その横暴さは国に悪影響を及ぼすと判断致した! よって、貴殿には永久に我が国からの追放を言い渡す!」
堂々たる宣言。今この場の主役は自身であると主張するように、クロイツの姿に光が当たっているような錯覚さえ起こす。
クロイツの腕に抱かれたエリィはうっとりと頬を染め、王族の風格を目の当たりにした貴族たちも心を奮わせた。
「これは決定事項である。もしこれを拒む場合、貴殿の処刑を執行する」
”処刑”。その言葉にあたりはしんと静かになる。ただ1人を除いて。
この場においてそぐわない拍手の音。もちろん、ハーファ・コンチェスタからのものだった。
「お見事ですね、クロイツ殿下。しかしながら、このことを陛下は承知しているのでしょうか?」
「聞かずとも答えなど知れている」
「そうですか、殿下の采配には恐れ入りますわ。謹んでお引き受けしたいところですが、無礼を承知で最後にお願いをしても?」
今しがた糾弾されたとは思えない余裕綽々の様子に、貴族たちは揃って困惑気味に顔を見合わせる。
誰もが混乱するハーファを想像していたために薄気味悪ささえ感じるその態度は、クロイツの眉間にも深く皺を刻んだ。
「………まあ、いいだろう。貴様とはもう2度と会うことはないだろうからな、許可しよう」
「感謝いたしますわ。それでは殿下、殿下には私の罪状を読み上げて欲しいのです」
「…は?」
何を言っているんだ、こいつは。会場の誰もが思ったことだ。
自分の罪状を読み上げろなんて頭でも狂ったのか、とクロイツはさらに眉を寄せる。
「念のため問うが、正気か?」
「至って正気でございます」
「…そうか」
クロイツは大きくため息を吐き出すと、罪状が書かれた書簡を側近に持って来させる。
読み上げた罪状はまさに悪辣だった。
水をかけたことから始まり、教科書を破いたこと、足を引っ掛けわざと怪我をさせたことに始まり、ブレザーを引き裂いたことなど。中には、エリィの紅茶に泥を混ぜてお菓子には虫の死骸を混ぜたたりなどの卑劣極まりないものもあった。彼女の罪状はおよそ10分にわたって読み上げられた。
とても貴族の、しかも上級貴族である者の行いとは思えない所業。まさに”稀代の悪役令嬢”の名にふさわしい。
「…以上だ。貴様の行いはエリィを傷つけた事実をおいても、我が国における誇りある貴族のものであるとは到底思えない。即刻処刑にされなかったことに感謝すべきだな」
「確かに、私が犯した罪に間違いはありませんわ。…ですが、その中には私でない犯行も混ざっているようですね? それも結構な数で。恐れながら、殿下はちゃんとお調べになられたのですか?」
「そ、そんな…あれだけのことをしておいて…っ、逃れようとするなんて…!」
エリィがたまらずと言った様子で声を上げる。その瞳からは大粒の涙がこぼれ落ちる。
「この後に及んで言い訳とは…馬鹿にするのも大概にしろ!! 衛兵! あいつを摘み出せ!」
控えていた衛兵たちがハーファを拘束しようと動くも、なぜか一定の距離から近づかない。
その行動に痺れをきたしたクロイツが衛兵を怒鳴りつける。
「お前たちっ何をしている!!!」
「し、しかし…我らは王妃様から拘束するなと…」
「ここでなぜ母上の名前がー」
パンッ、と手のひらを強く合わせた音に皆が音を鳴らしたものを見る。
「殿下、少々質問してもよろしいでしょうか?」
「っなんだ!」
「殿下は、私がほんとうに全ての罪を私が行ったとお思いですか?」
「当たり前だ! 私が直々に調べたのだぞ、嘘があるはずがないだろう!?」
「それでは殿下は私が真犯人であるとおっしゃるのですね?」
「真犯人などと…最初から全て貴様の仕業ではないか!」
「少し思い出話をしましょう」
「は?こんな時に何を呑気な…っ」
衛兵たちがハーファを捕えないことへの苛立ちから食ってかかりそうなクロイツを彼女は涼やかな笑みで躱す。
「私たちはかつて婚約者同士でありましたね。”深窓の憂姫”と呼ばれた私を殿下がつまらないと仰った。覚えていますか?」
「…今となっては思い出したくもない忌々しい過去だが…覚えている」
「以前の私は殿下がつまらないと仰られるほどおとなしい性格でした。けれど今では”稀代の悪役令嬢”と呼ばれるほどの悪行を重ねている。人間誰しも、そうそう簡単に生来の素質が変わることはありません。それはお分かりになりますか?」
「私を愚弄しているのか…っ?」
「いえ、そのようなことは。ただ不思議には思われなかったのかと」
クロイツの瞳をハーファはまっすぐに見つめる。
その瞳があまりにも真っ直ぐだからかクロイツは若干たじろぐ。
「まるで全くの別人のように様子の違う私に、元婚約者である殿下は何を感じましたか?」
「ふんっ、そんなこと…ただ貴様がエリィに嫉妬して醜くなっただけだろう」
「本当にそう思いますか?」
「ああ」
間を置かずに返された返事に、ハーファは一度瞳を閉じる。
再び瞳を開くと、射抜くようにクロイツと視線を合わせた。
「殿下は、私が、ハーファ・コンチェスタであると、真に疑わないですか?」
真意の掴めない質問にクロイツの瞳は困惑気味に揺れる。
「…お前は先ほどから何を言っている…? 疑うも何も…最初から貴様はハーファ・コンチェスタでしかないだろうが」
「…、そうですか」
小さく肩を落としてため息を吐く。
「だそうです。賭けは私の完敗です、お嬢様」
「何を…」
ざわり、と周囲がざわつく。
クロイツたちが登場してきたように貴族たちが二手に分かれた先から登場したのは、
「…は? ハーファ・コンチェスタ……?」
「お久しぶりでございますね、殿下」
ブルーブラックの艶やかな髪をハーフアップに纏め、まるで喪服のような漆黒の生地をベースに金のレースをあしらったドレスに身を包む女性は、にこりと微笑むと綺麗なカーテシーをしてみせた。
クロイツは突然現れた女性を凝視する。
今にも手折れてしまいそうな儚げな雰囲気、長いまつ毛が頬に影を落とし、その表情はまるで憂いているよう。
彫刻のように美しい顔立ちであるにも関わらず印象が薄いのはその儚げな雰囲気のせい。
けれど今夜は身に纏っている漆黒のドレスのおかげで印象が際立っており、それが返って未亡人のような色気を放っていた。
クロイツはわなわなと口を震わせる。
間違いなく漆黒のドレスに身を包む女性が、ハーファ・コンチェスタ本人だと確信したからだろう。
純白のドレスに身を包むハーファ・コンチェスタと漆黒のドレスに身を包むハーファ・コンチェスタ。
比べてみても、2人の顔立ちは確かによく似ている。がしかし、隣に立つとその違いが際立ってわかった。
(これはどういうことだ? なぜ、今まで気づかなかった…?)
そんな疑問でクロイツの心は支配された。
隣でエリィも困惑したようにクロイツを見上げるが、その視界にエリィは映らない。
「どういうことか、説明をしろ」
「どうもこうも…自宅療養中の私の代わりに、この私と顔立ちがよく似たメイドに私の代理として学園に通ってもらっていた。それだけです」
純白のドレスに身を包んだもう1人のハーファ・コンチェスタを見やる。その女性は恭しく首を垂れた。
「そんな話が通るとでも」
「事実、学園の先生方は了承済みでしたわ」
「……俺は知らないぞ」
「当たり前でございます。混乱を生まないようにと、私が事情を話さないで欲しいと先生方にお願いしたんですもの」
「っ、じゃあ! その間お前は何をしていたんだ! まさか2人で入れ替わりにエリィをいじめていたのではないのか?!」
「いいえ。私はそちらのメイドに代わって使用人のお手伝いをしていましたわ」
「は? …仮にも公爵令嬢であるお前が使用人の真似事だと?」
クロイツが訳がわからないといった表情を浮かべる。一方で、ハーファの隣に控えたもう一人のハーファは呆れたようにため息を吐いた。
「ええ、誰かになりきって過ごす、というのも思ったより楽しかったですわ」
「はあ? お前は先ほどから何をいっているんだ…っ。そっちの女は本当にメイドだと申すのか?!」
「左様でございます。名をクロエ、と申しますわ」
「………クロエ…?」
無表情に、感情のこもらない淡々としたしゃべり口。クロイツの脳裏に忌々しい記憶が蘇り憎々しげに顔が歪む。
その横でエリィの口から小さく疑問のような声が漏れた。
ハーファの瞳が真っ直ぐにエリィに向かうが、すぐにクロイツの声によって引き戻される。
「我々を騙していたのか…っ!
「騙していた…ですか。でもそのクロエの正体も見抜けず、それが私本人であると信じきっていたのは殿下たちではありませんか」
「ぐう…」
王族とは思えない鳴き声。周りでことの成り行きを見守っている貴族たちも理解の追いついていない表情を浮かべる。
「さて、話を元に戻しまして殿下。先ほどのクロエが問うた質問にお答えした殿下の言葉は全て、殿下の本心でございますね?」
「…そうだ…」
「こちらをご覧ください」
ハーファは側に控えていたクロエから書類を受け取ると、その全てをクロイツに渡す。
クロイツは憎々しげな瞳でハーファを睨みつけると奪い取るように書類を受け取る。
「それは我が公爵家の全力をあげて調査した全てでございます」
「……」
クロイツは黙って書類を読み進めた。その瞳がだんだんと驚愕に見開かれていく。
「………おいこれはどういうことだ。なぜお前がこんなものを持っている」
その声は信じられないとでも言いたげに微かに震えていた。
「それになぜ…なぜ、なぜお前の持っている書類にはっ、王家の認定印がついているのだ?!」
その悲痛な叫びに貴族たちはどよめく。
王家の認定印。それは王族のものが正式に認めたものにだけ使用される特別な印。この国の貴族であれば大半が知っており、それが意味することも当然理解している。
だからこそ、ハーファの用意された調査書類に押された印に、そしてそこに書かれた内容にクロイツの顔色は真っ青に近い色になっていった。
「少々コネを使わせていただきました」
「コネだと…? ……ははうえ…か…?」
にこりとハーファが微かに微笑む。
「その印がどういった意味を持つのか…、殿下はお分かりですよね?」
「くっ…ああ」
「さあ殿下、どうぞ最後までお目を通してください。そしてその上で殿下の答えを今一度、お聞かせくださいませ」
クロイツは苦虫を嚙みつぶしたような表情を浮かべるものの、再度書類に目を通す。
そうして今度は驚愕ではなく絶望に瞳が染まっていった。
「クロイツ様…?」
その様子を一番近くで見ていたエリィが心配げな声をあげる。
その声にクロイツの虚ろな瞳がゆっくりとエリィに移る。やっと自身のことを瞳に映してもらえた喜びからか、エリィは瞳にうっすらと涙を浮かべた。
「クロイツ様…大丈夫ですわ。私がずっとそばについております」
「ああ…」
嘆くような声が漏れるとクロイツの顔がくしゃりと歪む。
クロイツはそっとエリィの肩に手を置く。
「クロイツ様…?」
「殿下、答えをお聞かせください。この場においてあなた様の取るべき正しい行動は、お分かりですよね」
「っ〜、わかっている!!」
クロイツは苦しそうに叫ぶと、エリィの肩に置いた手をぐっと引き離すように押した。
「えっ?」
「…」
「ク、クロイツ…様…?」
エリィは何が何だかわからないとでも言いたげに声を上げ、その表情には困惑と焦りが浮かぶ。
「どうされたのですか? 私、何か粗相をしてしまったでしょうか? その書類には何が書かれていたのですか?」
「…」
「クロイツ様? どうして先ほどから何もお答えしてくださらないのですか?」
「……すまない」
顔を伏せたクロイツから弱々しい声が溢れる。エリィはその顔を覗き込むと、何かを察したように口元を押さえた。
「い、いや…」
「衛兵…エリィ・ルッツを捕えろ」
「いやあ! クロイツ様!!」
衛兵たちがエリィの両腕を後ろ手に押さえる。エリィは「いやいや」と泣きじゃくりながら必死にクロイツに近づこうとするも、鍛えられた衛兵の力には敵わない。
急展開すぎる出来事に会場は騒然となる。
「どうして…どうしてですかっクロイツ様! 私何も…悪いことはしてないです!! 信じてくださいクロイツ様!!!」
どれだけエリィが涙ながらに訴えようと、クロイツの目がエリィに向くことはない。
「ひどい…っ、私のことを愛していると、守ってくれると仰ってくれましたよね!? あれは全て嘘だったのですか?!」
「いい加減にしろ! 殿下を困らせるな!」
「あなたたちこそ罪のない乙女を力ずくで捕えるなんて恥ずかしくないの?!」
「猿轡をされたくなければその口を閉じることだ!」
キッと鋭い目つきで衛兵たちを睨みつける。
尚も抵抗しようとするエリィに衛兵たちが手を焼いている時。
クロイツが徐にエリィに近づくと衛兵たちに力を抑えるよう手で合図をする。クロイツと視線があった途端にエリィの瞳は輝き始め、夢心地のようなうっとりとした笑みを浮かべた。
「クロイツさ」
「君に贈った言葉は…全て本物だったよ」
遮るように発せられた言葉に、一瞬で夢から醒めたようにエリィの顔が焦りで歪む。
「でしたら! この衛兵たちを退かしてくださいませ! 私は、クロイツ様の隣にずっといたいですわ!」
「…君への気持ちは、確かに愛だった。だが…私はこの国の王族なんだ。その愛のためだけに、君を攫うことはできない」
「…っ、」
「君のいう愛とは…なんなのだ」
「…私の愛は、クロイツ様の…隣にずっといることです…」
「そうか」
静かにクロイツは瞳を閉じる。
「っそれ以外にも」
「衛兵、彼女を連れて行け。そしてルッツ家当主とまたその家族も全て捕えるのだ」
「クロイツ様っ!」
「もう、その名を呼ぶことは禁止する。私たちの縁が交わることは今後一切ないだろう」
「そんな…っ」
最後は視線すら交わることなくクロイツはエリィに背を向けて歩き出す。
エリィの表情は絶望に染まったかと思いきや憎々しげに歪むと、ハーファの側に控えていたクロエと呼ばれた女性を恐ろしい形相で睨みつける。
「思い出したわ…クロエ…、クロエ・ダイナー!! 下等で哀れな貧乏貴族のくせにっ、私を貶めようだなんて何様よ!!! あんたが全部その公爵令嬢に話したんでしょ?! バカな貧乏貴族風情が…全部あんたのせいよ!! 許さない…許さないから!!! 一族もろとも滅んでしまえ!!」
「もう…失うものなんてとっくにないのよ」
クロエの言葉がエリィに届くことはない。
その後もエリィは可愛らしい顔に鬼のような形相を浮かべながら、クロエに向かって呪いのような言葉を吐き続ける。
そのあまりの変わりように貴族たちは困惑し、信じられないものでもみたかのような表情を浮かべる。
可憐なるヒロインの最後の舞台はあまりにもあっけなく、そして悲惨のもので終わった。
「さあ、私たちも帰りましょう」
「かしこまりました、お嬢様」
漆黒のドレスを着たハーファを先頭に、純白のドレスを着たクロエが付き従うように歩き出す。
誰も何も言わなかった。咎めの言葉も静止の言葉もなくハーファたちのために道を開けるのみ。
あまりにも急すぎる展開に貴族たちは互いに困惑した顔を合わせることしかできない。
ただ、何が起こったのかわからない状況であるにも関わらず、ハーファの泰然とした姿に感服し、この舞台は初めからハーファ・コンチェスタのために用意されたものなのだと、それだけははっきりと理解する。
そうして、今までのエッケロイツ学園の慣習の歴史では必ずヒロインが悪役令嬢を退けて終わるのだが、その歴史が覆される瞬間を目の当たりにした学園の生徒たちはこぞって口を揃えた。
彼女こそが”稀代の悪役令嬢”、そして”稀代のヒロイン”であると。
「お嬢様、少し忘れ物をいたしましたので先に行っててくださいませ」
ハーファは歩みを止めると振り返り、後方にいるクロエを見る。
なぜか俯いているためクロエの表情は見えない。
「待っていましょうか?」
「いえ、お嬢様のお手を煩わせるわけにはいきませんので」
「…ふふ、ほんと可愛くないメイド」
「…うるさいご主人様ですね」
「左様でございますか」
笑った気配がした後ハーファの靴音が遠ざかっていく。
クロエは立ち尽くしたまま時間だけが過ぎる。しばらくそうしているとポタポタと、雨も降っていないのに雫が地面を濡らした。
「…お父様…お母様…やって、やりましたわ…! ダイナー家の無念…やっと…っ」
嗚咽混じりに吐かれた弱々しい声。絶えず地面を雫が濡らす。
「なのに…どうして…? ぅぅ…ああ…っ」
クロエはスカートの裾をぐっと握りしめる。
誰もいない屋外で、クロエは溢れ出るものを全て解放するように声を上げて泣いた。
「お帰りなさい。忘れ物は無事に回収できたかしら?」
「…はい、ありがとうございました」
数十分遅れでクロエがハーファの馬車に乗り込む。
斜め前に座ったクロエの方からスンスンと鼻を啜る音がするが、ハーファは気づかないふりをした。
「そう、よかったわね」
「……はい」
釈然としない返事にハーファはクロエに気づかれないよう微笑む。
「出来の悪いメイドにこれをあげるわ」
「…? こ、これ」
あえてクロエの方を向かずハーファはとある封筒をクロエに渡した。
その中身を見たクロエの声が驚愕に染まるのを聞く。
「あなたさえ良ければ、お父様は承諾してくださるそうよ」
「なっ…でもこれはあまりにも私には過ぎたものでございます!」
「クロエ」
困惑するクロエにハーファは視線を合わせる。
「あなたの無念は、こんなことで晴れるの? もっとやりたいことがあるのではないの?」
「っ!?」
確信をつかれたようにクロエが目を見開く。ぐっと言葉を飲み込み一度深呼吸をするとクロエはハーファに尋ねた。
「お嬢様は、どうされるのですか?」
「私はしばらくしたらここを離れるつもりよ。私に貴族の世界は合わなかったみたい」
黙り込むクロエにハーファは静かに語りかける。
「ちょうど1週間後に私はこの国を発つ。それまでに答えを聞かせてちょうだい」
「…わかりました」
馬車が走り始める。コンチェスタ公爵家の屋敷に着くまでの間、2人に会話はなかった。
〜〜〜〜
時は遡り交流会の1週間前。
「まさかこんなところに呼び出されるとはね。あなたには驚かされてばかりだわ」
フードを目深かに被った女性がエッケロイツ学園の生徒会室へと入ってくる。
そこに最初からいたであろう女子生徒に話しかけるとその生徒は深々とお辞儀した。
「この度は私のわがままに付き合ってくださりありがとうございます」
「ふふ、この前とはなんだか逆ね。私もあのメイドがあなただとはゆめゆめ思わなかったわ、ハーファ」
女子生徒ーハーファはゆっくり頭を上げると静かに微笑んだ。
女性がフードを払うとその中から美しい金髪がこぼれ落ちる。
「ご冗談を。聡明な王妃様には簡単な変装であったはずです」
「買い被りすぎだわ」
優美に微笑んだ女性、この国の王妃にしてクロイツの母親であるティナ・クリストフ。
以前ハーファがメイドのフリをして会いに行った女性、その人であった。
「それで? 王妃である私を学園の生徒会室へ呼んだのは、この前の件が関係しているのかしら?」
「はい。それでは賭けの答え合わせをいたしましょう」
ハーファはティナに緑色のなんの変哲もない一冊の本を差し出す。
「あらこれは、学園の記録文書かしら?」
「その通りでございます」
「これが、何か?」
「私実は結構秘密だったりスリルがあるものが好きでして、こう見えて好奇心旺盛なんです」
「? ええ」
「その日もこっそり生徒会室へと忍び込み、そちらの文書を見つけましたの」
「…ここで聞いたことは無かったことにしてあげるけれど…公爵令嬢ともあろうあなたがあまりそういった行動をするのは感心しないわね」
呆れ気味に発せられたティナの言葉に無表情を緩めてにこりと微笑む。
「このエッケロイツ学園におかしな慣習があるのはご存知ですか?」
「…ええ、知っているわ」
「数年前から突然始まった慣習…それは必ず最高学年の代から”悪役令嬢”と”ヒロイン”が現れるというもの。慣習というにはおかしなものだと思っていたのですけれど…、あながちその認識は間違いではないのかもと思ったきっかけとなったのがその記録文書でございました」
「…」
「”悪役令嬢”と呼ばれるのは身分の高い令嬢、反対に”ヒロイン”と呼ばれるのは身分の低い男爵や子爵、果てには平民の女性が必ずなり、そして”悪役令嬢”は”ヒロイン”に対して悪事を犯し、最後には断罪される。まるで呪いのようにそれが一年周期で繰り返されるのです。普通であれば首を傾げるほどのおかしさではありませんか?」
ティナは何も言わない。代わりに続きをどうぞと言いたげな視線をハーファに送る。
「この慣習におかしな点はいくつかございまして…まずは”悪役令嬢”と”ヒロイン”と呼ばれる女子生徒にそれまで接点がないにも関わらず決まって最高学年になると問題に発展する事。もう一つは、”悪役令嬢”と呼ばれた女子生徒が必ず貴族令嬢らしからぬ行為を犯してしまうのもおかしな点でございますね。そして最後に…」
ハーファの瞳とティナの瞳がしっかりと交じり合う。互いにその瞳が逸らされることはない。
「なぜか大きな問題になるのはその時だけで、その後に大した問題には発展していないのです。まるで何事もなかったかのように噂は途端に収束し、”悪役令嬢”と”ヒロイン”には誰も見向きもしない…。こんな美味しい話、貴族たちが逃すはずがありませんのにおかしいですわよね。身分の高いものが下のものを虐めるだけでも醜聞として広まってもいいはずですのに、事の顛末を本当に知るものはいない。もちろんその文書にも詳しい内容は書かれておりませんでしたわ。まるで誰かに仕組まれているような巧妙さを感じませんか? 印象操作のような…」
「そうね、そうだとしたら大問題だわ」
「ああ、後もう一つおかしな点がございました」
実に楽しそうにハーファはいたずらっ子のような笑みを浮かべる。
「王妃様はなぜ、その冊子が記録文書だとお分かりになられたのですか?」
「……」
ティナは微笑んだまま微動だにしなかった。少ししてから可愛らしく小首を傾げると、まるで少女のような表情を浮かべてみせる。
「私実はここの卒業生なの。だから記録文書を知っていても何も問題ないはずよ」
「あら、それはおかしいですわ。確かに王妃様がここの卒業生ということは事実のようですが、生徒会の歴代役員名簿に王妃様の名前はございませんでしたわ。この記録文書はもちろん生徒会管理のものですので、生徒会役員であれば誰でも閲覧可能。役員名簿に名前のない王妃様はどちらでこの文書を読まれたのでしょうね? それとも私と同じく好奇心旺盛な生徒だったか、ですね」
「…名簿に漏れでもあったのではないかしら」
「それこそおかしな話ですわ。生徒会役員は代々高位貴族によってノブレス・オブリージュの信念のもと、選出されております。そもそもそこに当時の王妃様の名前があること自体がおかしな話なのですわ。ティナ・クリストフ様。いえ、かつての名でお呼びするのであればティナ・アデイル男爵令嬢の方が正しいでしょうか? それとも初代”ヒロイン”様の方がよろしいですか?」
「………」
「沈黙は肯定と捉えても?」
ティナは静かにゆっくりと瞳を閉じると、浅く息を吐き出す。その瞳が開くと少女のような表情は途端に隠れ、毅然とした淑女の表情を見せた。
「…確か賭けの内容は私の罪を暴く、でしたわね」
「はい、そうでございます」
「あなたは私の何を”罪”と呼ぶのかしら」
「裏でヒロインを唆し、一部の生徒たちを”悪役令嬢”に仕立て上げ追い詰めたこと。大きな問題に発展しないように貴族たちを内密に買収したこと。並びに生徒会室の記録文書の改竄。そしておかしな慣習を作り上げ、いたずらに生徒たちの学園生活を混乱させたこと。これら全てを王妃様は仕組み、貴女様は愉しんでおられた。これは王妃様にはあるまじき過ちですわ」
「…随分と威勢よく言い切るけれど、証拠はあるのかしら?」
「確固たる証拠はございませんわ」
「は?」
堂々と放たれた言葉に思わずティナの表情が崩れ落ちる。
ハーファは佇まいを正すとしっかりとティナの瞳を見据えた。
「お恥ずかしながら確実な証拠をこの場にご用意することはできませんでしたわ。だから今、私は王妃様の良心に語りかけております。アデイル男爵家は元々商家からの成り上がり貴族ではございますが、確かな実力と功績を讃えられ爵位を賜ったとお聞きいたしました。当主様は正義感の強いお方で疑り深い貴族たちの信頼をも集める人格者であるとも。そんな方の娘であられる貴女様も庶民にも分け隔てなく接する心優しき王妃様として民から慕われております。そんなお方がいたずらに他者を傷つけることを見逃したくはありません」
「それは私に自ら罪人になれ、とおっしゃっているのかしら? もしその学園の慣習を誰かが仕組んだとして、それを仕組んだ人が私でなかった場合はどうするのかしら?」
「罪人になれと申し上げているのではなく、これ以上無意味な罪を重ねてほしくないだけでございます。そして王妃様以外のものが仕組んだという可能性はほぼ無しに等しいかと」
「あら失礼ね。それはどうして?」
「手口が全て、初代ヒロインと全くもって一緒なのです。時期も、流れも、収束の仕方も全て。誰か相当な思い入れのあるものの犯行か、かつての当事者の犯行かしか考えられないのです。そしてその条件を全て満たしているのは王妃様、ただ1人でございます」
しばしの沈黙の後、ティナは眉間に皺を寄せて長いため息を吐く。
「…詰めの甘いお粗末な推察だわ」
「私もそう思いますわ」
「あなた不敬罪として私に訴えられるかもしれないわよ」
「そうなれば私は甘んじて罰を受け入れるだけでございます」
「…可愛げのない娘ね」
「左様でございますか」
長い沈黙が続く。ティナも、ハーファもお互いに黙り込む時間だけが刻々と過ぎていく。
その沈黙を破ったのは学園のチャイムだった。
「あら、もうこんなお時間なのですね」
ティナがやってきてからおよそ1時間の時が過ぎていた。時計を見遣ったハーファは視線をティナにずらす。
「不敬を承知の上で申し上げます。私はこの一連の出来事、まるで誰かに止めてもらいたいように感じました。貴女様も本当はこんなこと辞めてしまいたいのではないですか?」
「…さあ、案外本心から愉しんでいるかもしれないわよ?」
「”終止符は、早めに打たなければ止まることができなくなる。打たねば鳴らぬ鐘のように、止めねば不協和音も鳴り止まない”」
「…!」
「王妃様なら、この言葉をご存知のはずです」
「…ええ、よく知っているわ」
どこか懐かしむような声。ティナの瞳が切なげに揺れる。
徐に顔を伏せるとティナは自身を守るように片腕を握りしめた。
「…ごめんなさいね、私の本心が今日はこれ以上貴女とおしゃべりしたくないみたい」
ハーファと視線を合わせることなく隣を通り過ぎる。扉に手をかける直前、ティナの動きがぴたりと止まった。
「あなたはなぜ、こんなことをするの? 正直あなたにメリットなんて、ないと思うのだけど」
少しの間をおいて、ハーファは答える。
「私、ミステリが大好きでして。ミステリ好きとしてはそこに謎があるならば解き明かしたいのが性なのです」
「…そう」
「王妃様。私さきほど貴女様の罪を申しあげましたが、もう一つだけ、これはあくまで個人的ではございますがこれが一番貴女様の重い罪だと思うものが」
「…何かしら」
「それは、すれ違ってしまった貴女様の想い人である方に、貴女様が胸の内に隠したものを明かさなかったことですわ」
たっぷりと間を置いてから、ティナは答える。
「答えについては後日、書簡を届けさせます。それでは」
後日、コンチェスタ公爵邸に王家の印がついた正式な書簡がハーファ・コンチェスタ宛に届いた。
屋敷が何事かと騒然とするなか、書簡の内容を読んだ赤髪のメイドは静かに息を吐き出すと他の使用人たちへと通達する。
その内容は、コンチェスタ家の全力をあげて調査を行うこと。並びにハーファ・コンチェスタを交流会までに磨き上げること。
後にコンチェスタ家の使用人たちはこの出来事を仕えさせて以来初めての大仕事だったと語り、その当時の赤髪のメイドの瞳を忘れることはないと語ったそうだ。
〜〜〜〜
その後、交流会での大事件は瞬く間に知れ渡った。
後日明かされた内容によると、”ヒロイン”であったエリィの一族であるルッツ子爵家が横領を行っていたこと、他家の功績を略奪し不正に手柄にしていたこと、そしてエリィ自身もその悪事に積極的に手を貸し数々の下級貴族を没落させていることがわかり、社交界に衝撃が走ったという。
その筆頭として、ダイナー男爵家の名が挙げられた。
没落してしまったダイナー男爵家は一人娘のクロエ・ダイナーを残して一家心中を図り、亡くなっていたこと。そうした貴族はダイナー男爵家だけでなく、平民に落ちて飢餓で死んでしまったものもいることが後の調査によって判明した。
またエッケロイツ学園での出来事も、エリィをいじめていたのがハーファだけでなく、そのほとんどがエリィの家を恨んだ下級貴族たちが行った犯行であることが明かされた。
結果、クロイツの調査には大きな偏りがありそれが王族としての資質を問われるとして、クロイツは今一度再教育となった。
そして学園のものたちに衝撃を与えたのは他にも。それが、エリィがクロイツを愛していなかったということだった。
「私がクロイツ様とお付き合いできるように援助をすると唆されて近づいた。認めるわ、もちろん愛なんかではなくて打算よ。だって私がクロイツ様と結婚すれば、家が儲かるじゃない。贅沢を求めて何か悪いの? でも結果的には私も騙されていたのよ! 被害者だわ! …名前は知らない。だって何も教えてもらってないもの。顔も見てないわ、フードを深く被っていたから。でもあれは女性の声よ。間違いない。ただ絶対にクロイツ様と結婚できるように手伝ってあげると…私のいうことを聞いていれば間違いは起きないって…。それなのにっ!!」
そのあとは取り乱したようにクロエへやハーファへの恨み言を叫び続けたそうだ。
このエリィが尋問によって吐き出した証言は、しばらく貴族たちの間で話題になったという。
それはエリィの化けの皮が剥がれた恐ろしさのことやルッツ家の悪行のこと、そして一番話題となったのが”エリィを唆したのは誰”ということだった。
ルッツ家は衛兵によるきつい尋問の末この罪を全面的に認め、当主であるエリィの父親は処刑となった。
ルッツ家に手を貸していたものは全て各刑に処され、エリィもまた、父親の悪事に手を貸したことや下心から王族に近づいたことから、貴族牢に永遠の幽閉を言い渡された。
そうしてこの事件の重要人物であるハーファ・コンチェスタなのだが、彼女がその後社交界に顔を出すことはなかったという。
誰も彼女の姿を見かけることもなく、ただ遠い辺境へと姿を消したという、不確かな噂だけが残った。
〜〜〜〜
「貴女も、辺境へ行くことにしたのね」
「ええ、私はお嬢様の専属メイドですから」
コンチェスタ公爵邸の門の前に止まっていた豪奢な馬車の中、2人の女性が向かい合うように座る。
1人はハーファ・コンチェスタ。もう1人は、クロエと呼ばれたメイドだった。
「なんだか久しぶりね、貴女のその赤い髪」
「誰かさんの思いつきのせいで、ずっとブルーブラックに染めていましたからね」
メイドらしからぬ強気な態度に、ハーファから笑みが溢れる。
向かいに座ったクロエは赤色の髪を三つ編みにしてまとめていた。
「でも、いいの?」
「…いいんです。私には荷が重いですし、それにお嬢様に付いて行った方が面白そうなので」
「そう」
しばらくの沈黙の後、2人は互いに窓の外を見つめながら喋り始める。
「それにしても、思い返せばよくあんな強気な賭けに出れましたよね。持ちかけられたときは驚きました。…まあ面白そうだったのですぐ乗りましたが」
「ふふ、あなた面白そうと思ったことに案外弱いですものね」
「…商人の血が流れているからですかね、面白そうなのものには昔から弱いんです。それにあれは賭けの内容がいけないと思います。私がお嬢様のフリをして、これが誰かにバレたら私の勝ちで、バレなかったらお嬢様の勝ち。お嬢様が勝ったらルッツ家への報復を、私が勝ったらコンチェスタ家の後押しを受けられるなんて…私に利のあることしかない賭けに乗らない手なんてありません」
不服そうに話すクロエにハーファは首を傾げる。
「なんだが納得いってなさそうね? あんなに楽しそうに私のフリをしていたのに」
「だって…今冷静に考えると、乗るべきではなかったと。もし私が勝っていたら、お嬢様はどうなさるおつもりだったのですか? 最悪牢に入れられる可能性だってあったのですよ?」
「その時は結果を受け入れるだけよ。それに勝算はありましたもの」
「…まあ、お嬢様は空気のように過ごせるのが特技でしたからね」
「ひどい言い草。でも、それが貴女のいう通り勝算よ。私昔から人の記憶に残らないのが得意でしたから。おかげで誰にもバレなかったでしょう?」
にっこりと笑うハーファにクロエはため息を吐く。
「そうですけど…なら、どうしてこんないちメイドでしかない私によくしてくださるんですか? お嬢様に利益はないですよね?」
「なんだか聞いたことのある質問だわ。そうね…強いていうなら、そこに解けそうなミステリがあって、その先の利害と貴女の願望が一致していたから…かしら」
クロエは少しの沈黙の後、眉をしかめる。
「…よくわかりませんが、これ以上教えてくれそうにないのでとりあえず納得しておきます」
「ふふふ。でも、これも全て王妃様の協力がなければ成立は難しかったわ」
「まさか、王妃様とも賭けをしているとは…。当主様が可哀想です」
嘆いて見せるクロエにハーファはただ笑うのみ。
そんなハーファを見て諦めたのか開き直ったのか、クロエはそれで、と尋ねた。
「王妃様とはどんな賭けをなさっていたのですか?」
「そうね…、賭けの内容は話せないけれど、私が勝ったら王妃様に全面的に協力をしてもらうこと、王妃様が勝ったら尋ね人の行先を教えてあげること、という条件だったわ。結果、私が勝って王妃様が協力をしてくださったおかけで私たちは大勝利、というわけね」
「ふ〜ん、その尋ね人という人は王妃様にとってそんなに重要な方だったのですか?」
「そうね、…きっと陛下よりも愛を捧げたかった人よ」
遠くを見つめながら呟くように答える。クロエは一瞬ためらうように口を閉じた後、意を決してハーファに問う。
「王妃様は、なぜその方と一緒にならなかったのでしょう?」
「…愛というのは、一つ間違えてしまったら案外簡単に歪むものらしいわ。私にできるのはお粗末な推察だけだけれど、きっと王妃様は方向性を間違えてしまったのだと思うわ」
不敬になるからここだけの秘密よ、とハーファは困ったように眉を下げていう。
クロエは少し考え込んだ後、もう一度ハーファに尋ねた。
「お嬢様はなぜ、それにお気づきになったのですか?」
「あら、それは簡単よ」
「?」
不思議そうな表情を浮かべるクロエに、イタズラげな笑みを浮かべて答える。
「ミステリには、歪んだ愛がつきものですもの」
クロエは何か言いたげな表情を浮かべるも、満足そうに微笑んでいるハーファの顔を見て言葉を飲み込む。
「左様でございますか」
「クロエも私の真似が板についてきたわね」
馬車がゆっくりと走り出す。
「…もう、この地に戻るつもりはないけれど、クロエは本当についてくるのね?」
「…はい。もう未練はございませんから。それに、復讐というのは案外、心が晴れないことに気づいてしまったので」
「そう」
その会話を最後に2人はまた窓の外を見つめる。
どんどんと遠ざかっていくコンチェスタ公爵邸にハーファは切なげに瞳を細めた。
「お嬢様は、辺境で何をなさるのですか?」
尋ねられた問いにハーファは一度浅く息を吸うと、気持ちを切り替えるように微笑む。
「…実はもうやりたいことは決まっているの」
「それはどういったことなのですか?」
「ふふ、実はね…」
ハーファ・コンチェスタが社交界から姿を消して1ヶ月後。
エッケロイツ学園のある王都ではハーファの話題はすっかり忘れられ、今では二つの話題で持ちきりだった。
一つは、エッケロイツ学園に伝わるおかしな慣習が自身の犯行だと、王妃であるティナが宣言したこと。
これは社交界を揺るがす大事件となった。多くの貴族が混乱し、ティナへの非難の声も多数上がったという。それを皮切りに、実はティナに唆されていたのだという証言や賄賂を受け取っていたという証言も多数上がった。
ティナはこれを全て肯定し、夫である陛下に離縁を懇願した。
最初は3ヶ月の謹慎にするつもりであった国王も、想像以上の貴族たちの反感の声と、またティナ自身が固く離縁を所望する姿勢から、これを認め、ティナは王都追放となった。
その後ティナはあっさりと姿を消し、どこにいったのか噂の一つも上がらなかったという。
ただ、最後にメイドがティナに尋ねた行先に、「あの日伝えられなかった言葉たちを伝えに、私の人生をかけて探しにいくわ」と答えた言葉だけが手掛かりとなった。
そしてもう一つは、ローレイと呼ばれる辺境にて謎の館が誕生したという話題。
その館は”ミステラ”という名で、そこではどんな困りごとも解決してくれるという。
館はいかにもあやしげな雰囲気を醸し出す黒塗りの建物であるのに対し、中に待っているのはゆったりとした空間のガーデンテラスというちぐはぐな構造も話題の一端となり、聞いたものの興味をそそった。
そして館の中に待っているのは、顔にベールのかかった女性が2人。
漆黒のドレスに身を纏った女性が1人と、その後ろに控えるようにして立つお仕着せの女性が1人。
薄いベールから見えるその2人の女性の顔立ちはよく似ているらしく、雰囲気も相まって神秘的にも見える実に不思議な体験だったと利用者は語り、そうしてこの館で決まって最初に言われるセリフが特に話題となった。
「お客様、私と簡単な賭けをいたしましょう。お客様が勝つか、私共が勝つか、その二択でございます」
その賭けに、未だかつて勝てたものは現れていない。
未熟な文章だったかと思いますが、ここまで読んでくださりありがとうございました!(TT)
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