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〈死体拾い〉のエマ  作者: しゃかもともかさ
3.信仰を爪先で蹴り上げる
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32

 私の目的は果たされた。

 だから、今度は私が約束を果す番だった。


 〈人喰い〉は「静かに消えて無くなりたい」と言った。

 屋敷を、家族を、母と子の関係を美しいまま終わらせることが『彼』の望みだったのだ。


      *


 まだ夜が明けて間もない早朝。

 昨日までの嵐が嘘のような静けさだった。

 草原は水浸しになって、巨大な水たまりになっていた。


 私は屋敷の向かいにある雑木林へと入っていく。

 林には野ウサギと狐、イタチがいるくらいで、狼などの危険な動物は今はいないらしい。

 昔、流木に捕まってやってきた雄の熊が住み着いたことがあったそうだ。


 その流浪の熊は人や家畜を襲うことはなくひっそりと生きていたが、誰かが彼を疎ましく思ったのだろう。

 猟師か誰かが罠をかけた。

 罠は熊を捕らえるほどの丈夫さはなかったが、彼はそれが原因で傷を負い、病気になって死んだ。


 熊の死体が見つかったのは雑木林の奥にある一番高い杉の木の下だった。

 流浪者の死を偲んだ当時の〈海の中の丘〉の領主は毛皮を剥ぎ、コートを作った。

 屋敷にそれらしいものはなかったから、教会が徴収したのだろう。


 ――昔話の熊は、僕と似ている。


 〈人喰い〉はそう言った。

 だから、『彼』は熊が死んだ杉の木を約束の場所にしたのかもしれない。


 熊と〈人喰い〉のどういうところが似ているのか、私には分からない。

 「どこか遠く」からやってきたという意味では確かに似ているかもしれないが、その熊は誰も襲うことをしなかった。

 『彼』が今まで誰も襲わずに理性を保っていたとは思えない。

 きっと人間らしい都合の良い解釈だろう。


 杉の木の下に、ルーシーがいた。

 彼女はまだ少女であるはずだが、不思議とくたびれて見えた。

 社会に揉まれ、挫折と諦めを繰り返した中年の男のように。

 目をこらせば、彼女の顔に濃いしわが見える気がした。


 あの夜、私はルーシーと取り引きをした。

 私はルーシーに男の死体をこの世から消してもらうように頼んだ。

 その代わり、私はルーシーの「家族」を守る。


 ルーシーはその取り引きに承諾した。

 無論、事後承諾だった。

 死体を前にしたルーシーはわずかに残った自我を喪失し、汚らしい肉に食いついたのだから。


「待ちくたびれたよ」

「うん、お待たせ」


 ルーシーの声に幼さはなかった。

 でも、私は今までのように年下の女の子として彼女に接する。

 それが礼儀だと思ったからだ。


「……ママは?」

「全部終わってから話す」


 私は嘘をついた。

 メアリにはこのことは言わないつもりだ。

 話がこじれそうだったし、彼女はルーシーの正体に気づいているように感じたからだ。


 少なくとも、屋敷の子供たちの誰かが〈人喰い〉であるとメアリは知っていたのだろう。

 そうでなければ、もっと早く〈人喰い〉は発覚していたはずだ。

 末期の〈人喰い〉が誰の助けもなく、証拠を隠滅し続けるはずがない。


 ことの重大さに気づいていながら、メアリは素知らぬ顔で日常を送っていた。

 それは実の娘や屋敷を守るための行動だったかもしれないが、もし真にメアリが誠実な人間であったのなら、教会に通報したはずだ。

 その方が自分や周囲に危害が及ばずに済む。

 それをしなかったのはメアリの教会に対する不審もあったかもしれないが……。


「僕がいなくなったら、ママは悲しむかな」

「子供が死んで悲しまない親なんているはずがないよ」


 皮肉のつもりだったが、ルーシーは「そうだよね」と微笑んだ。


「ママは遠い昔、〈海の中の丘〉の領主だった貴族の血筋なんだ」


 初めて聞く話だった。

 もしかすると、このことはメアリとルーシーしか知らないのかもしれない。


「僕が死んだら血が途絶えてしまう。僕がもう少し早く大人になれたら……」

「メアリさんはまだ若い」


 ルーシーは苦々しく笑う。


「そうだね。でも、ママが僕の代わりに誰かを大事にするなんて、ちょっと嫌だな」


 木を隠すなら森の中に。

 その理屈で、屋敷は孤児院となったのだろうか。

 孤児たちの中に血を隠し、いつの日か復権することを目論む。


 ありそうな話ではあるけれど馬鹿げた考えだ。

 貴族の復権なんて今更過ぎて、〈海の中の丘〉の誰も望んでいない。

 伝統や血筋を重んじる余裕なんてこの世界のどこにも残っていないのだから。


「大丈夫だよ」


 根拠のない慰めの言葉を口にする。

 虚しい気持ちになったから「きっと」という言葉を付け加えておいた。


「メアリさんは君を大事に思っているのと、血を繋ぐのは別の問題のはずだから。もし、血を繋ぐために新しい子供を作ったとしても、それは君の代わりじゃないよ」


 言いながら「どうだろうか」と内心で自分の言葉に首を傾げる。


 目的がなければ子供を愛せない親はいる。

 そういう親の方が多いのではないだろうか。

 全ての親と子供の事例で無償の愛が成り立つなら、世界は家族の数だけ幸せであふれているはずだ。

 でも、少なくとも私の目には、世界そういうふうに映らない。


「ケイトは優しいね」


 違う、と言いたかった。

 でも、ルーシーの言葉を否定したら、私は自分の嘘を明かすことになる。

 だから、黙って「優しい」という言葉を受け止めた。


 私は親切心から、ルーシーとメアリとの関係を守ろうとしているわけではない。

 ユリウスが兄を殺し、ジョセフが事の全てを見て見ぬふりをするのも、同情によるものではない。それぞれにこの悪事に荷担するだけの何か事情があるはずだ。


 そうだ。

 これは悪事なのだ。


 私は後ろめたさと契約の代償として目の前の哀れな〈人喰い〉に優しくしているだけに過ぎない。


「君はお姉さんと会わない方がいい」


 ルーシーは微笑んだ。

 優しくて卑屈な笑みだった。

 もしかすると、私がルーシーの記憶を夢に見たように、彼女も私の心を見たのかもしれない。


「そうだね。そうかもしれない」


 私はルーシーの額に手をかざす。

 『消えろ』と心の中で唱える。

 すると、身体の内側が燃え上がるように熱くなった。

 私の身体に備わった〈聖火〉の魔法が、ルーシーの身体が炎で包む。


 ルーシーは悲鳴を上げることなく、蝋燭の火が揺れるようにゆっくりと灰へ変わっていった。

 その様子は死体を解体するときのような生々しさや残酷さはなく、ただひたすらに静かで美しさすら感じる。

 本当にあっという間で、呆気ないものだった。


 燃え尽きた〈人喰い〉の灰は、風に吹かれて消えていく。

 その全てがなくなってしまう前に、私は黒い残りカスを爪先で踏みにじった。


 ビスケットを潰すような感触が、どうしようもなく心地良い。


 そう、これは予行練習なのだ。

 家族という信仰を、爪先で蹴り上げるための。


 ――君はお姉さんと会わない方がいい。


 灰の匂いを嗅ぎながら、あの〈人喰い〉の言葉を頭の中で反芻する。

 本当にその通りなのだろう。

 私の旅の終わりに、彼が願ったような「ありきたりな幸せ」は存在しない。

 私と姉の再開は、新しい不幸の始まりにしかならないだろう。


 でも、それでいい。

 私は幸せを望んでいるわけではない。

 ただ、何もかもを終わらせたいだけなのだ。


【信仰を爪先で蹴り上げる END】

ここまで読んでいただきありがとうございます。

3章「信仰を爪先で蹴り上げる」はお終いです。

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現在、4章を執筆中です。

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