ある人喰いの記憶3
日に日に、飢えを感じる間隔が短くなっていた。
飢えが進行すると、それは渇きになる。
喉がひりつき、唾液が粘つく。
僕は日常を送りながら、意識を混濁させていた。
日が出ているうちから血と肉を恋しく思い、夜になると歯を食いしばって渇きに堪えた。
ようやく眠りに落ちると、昔の記憶を夢に見た。
屋敷での生活よりももっと前の……はるか彼方にある記憶だ。
僕が幼少を過ごしたのは『冷たくて大きな家』だった。
その『大きな家』にはたくさんの子供と何人かの大人がいて、僕たちはそこで寝食を共にした。
一緒に生活している仲間の口癖や好物の食べ物、興味のある音楽、好きな異性のことを何となく以上に把握できているくらいに僕たちは互いのことを知っていた。
でも、そこに信頼や親愛のようなものはなかったように思う。
目の前の「運命共同体」のことを知っていたのは、余計な争いを避けるためだ。
――■■■■はこれが好きだから、食べないで残しておこう。
――■■■■は■■■■のことが好きだから、隣の席にならないでおこう。
そんなふうに。
もしくは、誰かを出し抜くために、僕たちはお互いのことを知っていたのだろう。
例えるなら、魚の群れだ。
魚は外敵から身を守るため、もしくは効率的に餌を取るために群れを作る。人は魚の群を見て、仲の良い家族だとは思わないだろう。
それと同じで、僕たちは生きるための必要だから一緒にいるだけの他人だった。
*
十八になると、僕たちは『冷たくて大きな家』を出て、散り散りになった。
施設を出てすぐに僕は職に就いた。
「物」を売る仕事だ。
何を売っていたのかは記憶がおぼろげで覚えていない。
ただ、僕の目に「それ」は何の価値もないように見えた。
でも、そうやってお金を稼ぐのは、よくある仕事のうちの一つなのだろう。
たいしたことのない特徴を脚色し、「それ」が良いものであるかのように誤魔化した。
そんな仕事だから、同僚の中には気に病む人が少なからずいた。
自分たちの商品の価値のなさを最も理解しているのは自分たちだからだろう。
ほとんど詐欺じゃないか、と憤る人もいた。
そうかもしれない。
でも、僕は生きるために必死だったから、仕事に励んだ。
『冷たくて大きな家』の仲間たちがどうしているのか、どうなったのかは知らない。
働くようになった人もいるかもしれないし、大学に進学した人もいるかもしれない。
良い噂を聞かない人たちのグループの一員となった人もいただろう。
誰かに聞けば、何か知れたかもしれない。
でも、僕は知ろうとしなかった。
知りたいとも思わなかった。
仕事で忙しかったというのもあるし、『冷たくて大きな家』で寝食を共にした誰に対しても関心がなかった。
そもそも僕たちは仲間と呼べる間柄ではない。
でも、それ以外の僕たちを表す言葉を探すのも面倒なので、便宜上そう呼んでいるだけに過ぎないのだ。
そんな関係になってしまったことを、僕は心の底から残念に思っている。
物心ついたころから、僕は『冷たくて大きな家』にいた。
僕と同じような境遇の人もいたし、親に捨てられて『大きな家』の一員となった人もいた。
僕たちは心に少なくない傷を負っていて、でも、それを隠して暮らしていた。
お互いがそうであることを理解していたけれど、見て見ぬふりをして十数年を過ごしてきた。
僕たちはもしかすると「家族」になれたかもしれない。
でも、そうはならなかった。
たぶんそれは、僕たちが「家族」というものをよく知らなかったからだろう。
僕は「家族」が欲しかった。
そのためには「家族」について知らなければならない。




