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何もすることがないから部屋に戻ることにした。
それに広間に私が居座り続けていたら、子供たちが気を使ってしまうだろう。
二階の廊下の曲がり角にライフルを肩に掛けた大男の姿があってぎょっとする。
「……驚かさないでください」
「驚かしたつもりはない」
冷静に考えると彼に護衛を依頼したのはエマだ。
私は『ついで』の身ではあるが、文句を言うのはお門違いだろう。
ジョセフの手には木製のコップがあった。
「またお酒ですか?」
「いや、生姜湯だ。あとは何かの薬草も入っている」
ジョセフは顔をしかめながらコップの中身をすする。
好き好んで飲んでいるわけではなさそうだ。
「あれは良い子だな」
「そうですね」
ルーシーのことだろう。
この屋敷に彼女以外の「良い子」はいない。
他の子供たちは来訪者と関わろうとはせず、遠巻きに見ているだけだ。
「ルーシーは元気そうでしたか?」
「さあな。普段と変わらないように見えたが、もしかしたら気丈に振る舞っていただけかもしれん」
ジョセフは鼻を鳴らす。
「子供のことがなければ話は簡単だったんだがな。教会に通報して、それでお終いだ」
どうにもこの熊のような男はルーシーを気にかけているらしい。
「大人は子供がいると同情するものなのですか?」
「他の大人のことは知らん。俺も全ての子供を気にかけているわけではない」
「でしょうね」
もし、目につく子供全員に対して庇護欲を覚える大人がいたとしたら、その人は詐欺師か、思い上がった馬鹿かのどちらかだろう。
――■■ちゃんは大変ね。
――もし、困ったことがあったら、大人を頼るのよ。
そして、私はそういう「大人」が嫌いだった。
私の目には、その人たちが嘘つきの顔をしているように映ったから。
もう少し時間が経って私が大人になったとしたら、少しは「子供」というものを気にかけるものなのだろうか。
結婚したら分かる。
子供を産んだら分かる。
私の周りにいた大人は、子供を思う大人について、そう説明していた。
もし、大人たちの言うことが本当なら、結婚せず、子供を産みさえしなければ、私はあんな嘘つきにならずに済むのだろうか。
「ジョセフさんは子供がいるんですか?」
「息子が一人いた」
「娘ではないんですね」
「まさか、俺がルーシーと自分の子供を重ねていると思ったのか?」
ジョセフは乾いた笑い声を上げる。
「息子とは禄に話したこともない。大人しい子だったし、俺は家にいないことが多かった」
ジョセフの口振りからは、その娘とは疎遠であることをが感じられた。
「もう家には帰らないんですか?」
「十年前、流行病で子供が死んだ。それから帰ってない」
「そうですか」
これといった感情は私の中に湧いてこなかった。
ただの「家庭を顧みない男」の話だ。
もし、ジョセフが「もっと家族との時間を大切にするべきだった」なんて泣き言を口にし始めたら、嫌悪感を覚えたかもしれない。
でも、大男からの態度は鞄の底で忘れられたビスケットくらいには乾いたものだった。
きっと、私と姉と母を捨てた父親も、私たちにたいした未練なんて抱えていないのだろう。
そうあって欲しい。
そうであってくれた方がありがたい。
「ルーシーを助けてあげてくれませんか?」
他力本願ではあるけれど、これは私の本心だった。
ルーシーとは一緒に蒸かしたジャガイモを食べた仲で、ささやかな友人とも言えた。
「そのつもりだ。子供を守るのが大人らしいからな。良心を感じざるを得ない」
ジョセフは眉を上げ、その事実に納得がいかないかのような口調で言う。
「私に対しても少しくらい良心を感じてくれてもいいですよ。家を飛び出して行く当てのない可哀想な女の子です」
「死にたそうな顔をしている女の面倒を見る趣味はない」
ジョセフの突き放した言い方に、少しむっとしてしまう。
私に優しくしてくれる人はなかなかいない。
きっと、私が他人に優しくしないせいだろう。
「言ってみただけですよ」
負け惜しみを言って、踵を返す。
私の背中で生姜湯を大切そうに啜る音が響いた。
*
部屋に戻るとエマは宣言通り、ベッドで横になっていた。
眠っているのかどうかは分からない。
わずかに上下する胸を見て安堵する。
もしかしたら、死んでいるかもしれないと思ったというのもあるし、こんな美しい少女も私と同じように呼吸するのだなと不思議な安心感を覚えた。
エマは私の寝ている様子を死体のようだと言うけれど、エマの寝顔も死体とたいした違いがない。
眠っている白い少女は無垢であり、虚無でもあった。
このまま彼女が何にも染まることなくいてくれたらいい。
私のように、赤にも黒にも染まることなく。
心の底からそれを願う。
今ここで、エマの首を絞めたら私の願いは叶うかもしれない。
彼女の首は細く、花を手折るような手軽さでそれができそうに思えた。
読んでいただきありがとうございます。
次の更新は10月14日(土)ごろです。




