20
どれくらい気まずい沈黙の中にいただろう。
しばらくして、オルソン兄弟が広間に姿を現した。
広間の席につく私たちを見て、眼鏡のユリウスが首を傾げる。
「みなさん揃って、どうかしましたか?」
すでに髭を整えていたアランが鼻を鳴らした。
「朝っぱらから〈死体拾い〉の顔を見ることになるなんてどうかしてる」
アランが顔をしかめ、続けて何かを言おうとしたがそれをジョセフの太い声がそれを遮った。
「〈人喰い〉が出たらしい」
ジョセフは楽しみにしていた酒が痛んでいたくらいの口調で言うと、アランはニワトリが上げる断末魔のような悲鳴を上げた。
「な、何をのんびりとしてる。さっさと助けを呼ぶべきだろう!」
まるで絞殺死体のような顔色の悪さだ。
昨日、「〈人喰い〉なんて気にしても仕方ない」と言った男と同一人物とは思えないような取り乱し方に笑いそうになる。
「そのことなんだが」
ジョセフがちらっとメアリの方を見る。
「マザーは町に伝えて欲しくないらしい。〈人喰い〉が出たなんて知られたら名誉に関わる」
「名誉?」
アランの唇がめくれ上がる。
「何を馬鹿なことを言ってるんだ! 死んだら名誉もクソもないだろう」
ジョセフは面倒臭そうにビール瓶に口をつける。
「少し待て。今、小僧のない頭でも理解できるように言葉を選んでやってるところだ」
「お前……」
鼻をすする音が広間に響く。
メアリが目を赤くして、テーブルの上を見つめていた。
「アラン、少し考えれば分かるだろう。〈人喰い〉が出たなんて知られたら屋敷の子供たちに影響する」
ユリウスが苛立たしげに兄を嗜める。
「どうして兄さんはいつも人の心が分からないんだ?」
「人の心?」
アランは短く息を吐いた。
「俺に何かを説く前に少しでも稼いでみたらどうだ。今回の取引も俺がいなかったらお前は……」
「今は関係ないだろ!」
動揺の海で踊る大人たちを余所に、エマは死体のように大人しい。
彼女の赤い瞳には何も映っていなかった。
藁の束に向かって火のついたたいまつを投げたのはエマだ。
でも、彼女はこの状況を楽しんでいるようには見えない。
むしろ心の底からどうでも良さそうだった。
エマは死体が踊ったら手を叩いて喜ぶかもしれない。
でも、生きようと必死にもがく人を見ても、それを称えることはないし、その生き汚さに顔をしかめることもない。
彼女は死期が近い獣の頭上を飛び回るカラスのような感性をしているのだろう。
もしかすると、本当に憂さ晴らしのつもりで場を荒らしただけなのかもしれない。
町娘が失恋したことを友人に愚痴をこぼすように。
きっと、明日には新しい出会いを思い描くのだろう。
私は短く息を吐く。
「ひとまず、状況を整理しましょう」
少しだけ声を張る。
するとエマ以外の八つ目が私の方を向いた。
〈死体拾い〉の隣に座る私の発言は、自分で思っているた以上に効果があったらしい。
それに気圧されないように、お腹に力を込める。
「昨晩、何をされていたか、聞いても良いですか」
私のこの問いかけに意味はない。
〈人喰い〉の証明は無駄であるし、エマもそのことを目的にしていない。
でも、目の前で狼狽える大人たちに問いかけるべき言葉が他に見つからなかった。
私は嵐が過ぎるまで静かに屋敷での生活を送りたい。
今のところ、それ以上に望むことはない。
「部屋で寝ていた」
アラン・オルソンが苛立った声で言う。
「みんなそうだろう」
ユリウスが引きつった顔で頷く。
「俺は昨晩、部屋にいた」
傭兵が欠伸を噛み殺しながら言う。
「十一時ごろに嬢ちゃんに酒を運んでもらったのが最後だ。そこからは証人はいない」
「嬢ちゃんというのは、ルーシーのことですか?」
「ああ、そうだ」
そうですか、と私は頷く。
「メアリさんは昨晩どちらに?」
「一階の奥の部屋で、子供たちと一緒でした。子供たちに聞けば分かります」
身内の証言はアリバイとして成立しないのが鉄則ではあるが、私はミステリー小説の探偵ではない。
それ以上の追及はしなかった。
「そうだ。『野良』の可能性はないのか? 夜に紛れてやってきて、朝が来る前に去っていった。あり得なくはないだろう」
アランが訴えるように言う。
エマは顔の向きを変えずに「可能性は低いわ」と冷たく言った。
「〈人喰い〉は毒に耐性があるし、滅多なことでは死なない。でも、苦痛を感じないわけではないの」
これは教会が捕らえた〈人喰い〉を拷問して得た研究成果よ、とエマは補足する。
「彼らも血を流せば傷が痛むし、雨風に晒されれば身体が冷える。目の前に温かい部屋があれば戸を叩いて、泊めて欲しいと乞うでしょうね。私たちと同じように」
無意識に、私たちはお互いに視線を向けていた。
重たい空気が漂う。
沈黙を破ったのはユリウスのわざとらしい咳払いだった。
「僕は隠したままにするのは良い考えだとは思わない。死体がなくなっている以上、隠し通せるとも思えない」
ユリウスは神経質そうに頭をかく。
「でも、メアリさんの事情も分かる。だから、考えよう。嵐が止むまでに何か良い案が浮かぶかもしれない」
メアリはうなだれるように頭を下げた。
「……ありがとうございます」
アランが小さく舌打ちをした。
彼はメアリに情欲を抱いているというから、ユリウスの態度が面白くないのかもしれない。
こんな状況で暢気な男だ。
でも、ユリウスの考えが面白くないということに関しては同感だった。
あまりにも夢見がちだ。
もしくは日和見というべきか。
メアリには悪いけれど、『何か良い案』なんて都合のいいもの出てくるはずもない。
死体の代わりは死体にしか務まらないのだから。
都合良く、嵐に吹かれてどこかから中肉中背の男の死体が運ばれて来てくれたら良い。
でも、そんな幸運がそうそうあるはずもない。
「おい、死体はまだ残ってるのか?」
アランがエマに鋭い視線を向ける。
「袋で二つあるわ」
「それを使え。あまり期待はできないが……多少の護身にはなるかもしれない」
アランの口調と態度は詰問するようなものだが、助けを乞うような弱々しさも感じさせた。
まるで手負いの小鹿だ。
もしかするとこの状況に最も精神的な苦痛を感じているのはこの商人かもしれない。
「構わないけど」
エマは緩く首を傾げる。
「お金、払ってね」
アランは苦いものを口にしてしまったかのように顔をしかめた。
「本当は〈人喰い〉なんていないんじゃないのか? 死体を売りつけるために嘘をついたんだ」
エマは表情を変えずに頷く。
「とても理に適った発想ね。あなたって、もしかしてそれなりに頭がいいの?」
「お前……馬鹿にしているのか」
アランが声を荒らげる。
やめなよ、とユリウスはアランを咎めたが、あまり強い口調ではなかった。
もしかすると、彼も同じことを思ったのかもしれない。
いや、そう思いたいのだろう。
商人たちは死体の残骸を実際に見てはいない。
それに私の悪夢のことを知らない。
だから、彼らの疑念は仕方のないものだ。
でも、彼らには気の毒なことだが〈人喰い〉は確実にこの屋敷の中に潜んでいる。
エマはアランから受け取った銀貨のうち五枚をジョセフの前に並べる。
大男は髭の濃い顔を怪訝に歪め、銀貨を一瞥した。
「構わんが、全員の命の保証はできないぞ」
「ええ、それで結構よ」
エマは澄ました顔で言う。
「私と……まあ、あとはケイトをついでに護衛してもらえるかしら。それ以上はあなたの余力と良心にお任せするから」
読んでいただきありがとうございます。
次の更新は10月7日(土)ごろです。→私用で忙しいので10月8日(日)に更新します。




