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広間に黒髪の青い目をした男の子と女の子がいた。
男の子の方は昨日、廊下ですれ違った「トーマス」という名前の子で、胸に本を抱えていた。
二人とも十歳に満たないくらいの年齢で、髪はぼさぼさだが唇はピンク色で肌のつやは良い。
ちゃんと食事が取れている証拠だ。
もしかすると、町の子供よりも栄養状態はいいかもしれない。
〈死体拾い〉に話しかけられたら子供たちはショック死してしまうかもしれない。
だから、エマがそうする前に私はしゃがんで子供たちに目線を合わせる。
「メアリさんはどこにいるかな」
トーマスは女の子を守るように自分の背中で隠す。
「ママはキッチンにいる」
私はトーマスたちにお礼を言う。
エマが二人に干した橙をあげていた。
食べ物にはああいう使い方もあるのだな、と少し関心する。
元は私の持ち物のはずだが、それはおいとくとして。
私の常識では「知らない人からもらった食べ物は口にしてはいけない」ことになっている。
でも、この国ではそういう価値観はあまり浸透していない。
飢え死に一歩手前の人も少なくないからだろう。
男の子が言っていた通り、メアリは厨房にいた。
昼食の仕込みをしているのだろう。
厨房の中は熱気と蒸気で満ちていた。
幸運なことにルーシーの姿はない。
メアリは私たちに気づくと死臭とは無縁そうな朗らかな笑みを浮かべた。
「おはようございます。どうされましたか?」
「死体がなくなったの」
メアリの顔が動揺に歪む。
「盗まれたのですか?」
「食べられたのよ。その痕跡もあった」
メアリは目を泳がせ、「なんてこと」と言葉を漏らす。
「あそこに死体があることを知っているのは、私たちとメアリさんだけよ」
「ええ……そうです。誰にも言っていませんから。で、でも……私は違います。女神に誓って」
エマはゆっくりと首を振る。
「〈人喰い〉の特定をするつもりはないの。ただ事実を伝えに来ただけ」
メアリは困惑した様子でエマを見る。
〈死体拾い〉があまりにも無頓着な顔でいたから、メアリの視線は私の方へと向いた。
私はどういう顔をしたら良いのか分からなかった。
だから、エマの真似をして、できるだけ冷静な様子を装った。
「……この屋敷に〈人喰い〉がいるのですね」
メアリはしばらくの間、俯き、何かを考え込んでいた。
再びメアリが顔を上げたとき、彼女の顔は酷くやつれていて、十年分の老いを感じさせた。
「このことを教会に知らせますか?」
「嵐が止んだら、そうするつもり」
「この屋敷から〈人喰い〉が出たなんて知られたら……私たちは、お終いです」
メアリは酷い吐き気を堪えるように言ったが、彼女の苦悶をエマは涼しげな顔で受け止める。
「よくあることよ」
「あ、あなたたちにとってはそうでしょうけど……」
メアリははっとした顔をし、気まずそうに目を逸らす。
「ごめんなさい。これは失言でした」
「いいえ、お気持ちは察します」
私はできるだけ神妙な顔をして、そう言った。
本当はメアリの気持ちなんて少しも察することができなかった。
たくさんの子供を監督する責任感なんてもの、私の中にはパンくずほども存在しない。
私は私のことだけで精一杯なのだから。
それでも私が彼女に同情の意志を示したのは、この軋んだ空気を少しでも和らげようとしただけに過ぎない。
メアリは長く息を吐く。
「昔、この屋敷の所有者だった貴族から〈人喰い〉が出ました。被害が出たのも……この屋敷でのことです。領主がご子息とご令嬢を襲ったのです」
〈人喰い〉が一度の食事で複数人を襲うのは珍しい。
『大食い』か、末期の状態だったのだろう。
「町の人たちはそのことと今回の出来事を結びつけるに違いありません」
「それは……そうかもしれません」
町の人たちが孤児院のことをどう思っているのかは分からない。
でも、ゴシップ好きな連中ほど、点と点を無理矢理にでも結びつけたがるのは事実だ。
「〈人喰い〉が出たって?」
大男、ジョセフが視界の端から突然現れる。
メアリは表情を強張らせた。
それを見て、ジョセフは罰が悪そうに鼻を鳴らす。
「盗み聞きするつもりはなかった。酒をもらいにきたんだ」
言いながら、棚に並んでいたビールの瓶に無骨な手を伸ばす。
「こんな朝から?」
エマが怪訝な顔をする。
「多少酔っていた方が調子がいい。分かるだろ」
「理解できなくはないわ。私もお酒を飲んでる夜の方が意識がはっきりしているし……」
こんな下らないことで、ただでさえ少ないエマの共感性を消費しないで欲しかった。
それに調子がいいのは気のせいだ。
お酒を飲んでいるときのエマはご機嫌なのは事実だけど、いつも以上にぼんやりしているし車の運転なんてしようものなら災害でしかない。
私は短く息を吐いてから、ジョセフに事情を要約する。
聞かれてしまった以上、隠していても仕方がない。
「昨日、町で仕入れたばかりの死体が〈人喰い〉に食べられました。でも、メアリさんはそれを公にしたくないそうです」
ジョセフは瓶から口を話し、アルコールの匂いを漂わせながら鼻を鳴らした。
「この嵐だ。町に伝えるかどうかはとりあえず保留にしてもいいかもしれん。たが、子供たちはともかく、あのいけ好かない商人たちには伝えるべきだろう。後になって知られたら、余計な不信感を持たれる」
もっともな意見だったので、私は同意を示すために頷く。
メアリは憂鬱そうに俯いた。
私たちは広間で商人の兄弟を待つことにした。
その間、エマは昨日の余りのスープを飲み、ジョセフは二本目のビールを開けていた。
私とメアリは死体のように黙っていた。
子供たちが広間にやってくることもあったが、メアリが「お姉さんとお部屋にいなさい」と言うと不安げな顔で頷いて戻っていった。
何か良くないことが起こってしまったことは、子供たちにも伝わってしまったことだろう。
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次の更新は10月3日(火)ごろです。




