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〈死体拾い〉のエマ  作者: しゃかもともかさ
1.地獄のような顔の女
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 店に入ると若い男の店員が私とエマを出迎える。

 「空いている席にどうぞ」と彼は無愛想に言った。


 ときどき〈死体拾い〉の入店を拒否する店がある。理由は人が死体を忌避するものと同じだ。

 でも、この店はそうではないらしい。

 もしくは彼がエマを〈死体拾い〉だとは知らないのかもしれない。


 昼食の時間はすでに過ぎていた。

 店は空いていて、新聞を広げる老人やぼんやりと虚空を見つめるくたびれた男、といった客がちらほらといるだけだった。

 私は鶏の香草焼きと野菜のスープ、エマはホットワインとナッツの蜂蜜漬けを注文する。


「このあと運転するのって……君だよね?」


 運転はいつもエマの役割だ。

 アクセルを踏み、ハンドルを握る程度のなら私にもできる、気がする。

 でも、人通りのある町中や舗装されていない悪路を走る自信はないので、私の運転技術が披露されたことはない。


「そう。だから、燃料を入れてるのよ」


 エマは運ばれてきたホットワインに口をつける。湯気に目を細めながら微笑んだ。

 彼女は死体の次にワインを愛している。

 残念なことに、この国に飲酒運転を取り締まる法律はない。隣町までの道はほとんど荒野なので他人に迷惑をかける心配はない……が、十代女性の死体が二つ生まれることはあるかもしれない。


「アンナとは今日でお別れね」


 エマの口調にはいくらかの別れの寂しさが込められていた。

 エマは生前のアンナと面識がない。でも、死体を愛するエマが死人に対し、離別の寂しさを感じるのは不思議なことではない。


「アンナのあの顔は夫に対する憎しみかしら。浮気されて殺される……なんて、恨みたくもなるでしょうけど」


 店員が野菜のスープを運んでくる。香草焼きはもう少し時間がかかると彼は言った。

 さすがに何時間もじっくり焼き上げることはないだろうから、時間の心配をしなくても大丈夫だろう。


「どうかな。アンナはリカルドの浮気を許していたみたいだから」


 エマは形の良い眉を寄せる。


「……その情報、私のレポートにはない。誰から聞いたの?」

「君がアンナを運んだ教会の神父。アンナと親しくしていて、ショックを受けていたから少し話相手になった」


 アンナは信仰に厚い信徒だったようだから、ショックは大きいだろう。

 信仰の厚さと寄付の額は相関関係にある。

 寄付がなくとも、熱心な信徒は祭事や奉仕活動のときの良い労働力となる。何をするにしても人手は必要だし、そこに最も金がかかる。

 多くの人に親しまれ、頼りにされていたアンナは無賃労働者ボランティアとしても優秀だっただろう。


「リカルドは商人だったらしい。祖父が開業した店を継いだ彼は手堅い手腕で……と言えば聞こえはいいかな。既存のやり方に従い、流行の後追いをするのがリカルドのやり方だった」


 つまり、リカルドは小心者だったのだろう。少なくとも商人としてはそう呼ぶのが相応しい。


「あら、私と同業なのね」


 エマは小さく微笑む。


「リカルドは青果商……だから、扱っていたのは果物とか野菜だよ。肉屋じゃない」

「死体と青果、どちらも足が早いわ」


 そうだね同じだね、と私は適当に返事をする。


「アンナとの結婚を機にリカルドの商売は大きくなった。アンナのおかげで、リカルドは優先的に教会関連の業者に商品を卸せた。大商人というほど稼いでいたわけではないけど、手堅く儲けていた」


 教会という後ろ盾は商売をする上で強い。死体を独占している〈死体拾い〉が良い例だろう。


「教会が商人を気に入るなんて珍しいわ」


 信仰心のおかげかしらね、とエマは唇の隙間から短く息を吐く。


「でも、リカルドの不貞が公になって落ちぶれた。一年と半年前のことだ」


 エマが軽く眉を上げる。

 リカルドの不貞の時期は新聞やラジオでは報道されなかった。

 事件と不貞を結びつけて面白おかしくするために、わざと伏せたのだろう。エマは生きている人間に対しての関心が薄いから、わざわざ調べることをしなかった。


「取り引き相手は教会関連の業者が中心だったから、信用を失うのは簡単だ」


 リカルドの不貞の相手は、彼の行き着けのバーの従業員だった。

 彼の不貞は従業員の妊娠が原因で発覚することとなる。大きなお腹を抱えた若い女性が、そろそろ子供が産まれるから……と二人の住む店のドアを激しく叩いた。

 浮気相手の従業員が長い時間ドアと格闘し、大声を上げたせいでリカルドの浮気は町中に知れ渡ることとなった。

 リカルドは店を手放し、事件があったあのアパートに移り住んだのだ。

 それから夫婦は日雇いの仕事で生計を立てていたようだ。


「その神父、ずいぶんと口が軽いわ」

「たぶん、故人を偲んでいただけだよ」


 擁護しておくが、実際のところ口は軽かった。老齢の神父だったが、「恐ろしいことが起きてしまいました」と嘆きながら、アンナの死体の状況やリカルドの処遇がどうなるかをとても気にしていた。

 教会に死体が運ばれるのは日常のはずだが、浮気や痴情のもつれのような男女に関する話題は聖職者の口を軽くするのかもしれない。


 視線を感じて顔を上げるとエマが上目遣いでこちらを見ていた。アルコールのせいか、頬がうっすら朱色に染まっている。


「ケイトって私が目を離している隙にすぐ誰かと仲良くなる気がする……。神父はだめよ。良くないわ。あの人たちってすぐに嘘つくもの」


 エマは菓子を横取りされた子供みたいに唇を尖らせるので、苦笑いを返す。エマの私に対する独占欲は、私と彼女の間に交わされた契約に由来する。


「浮気って許せるものなのかしら。浮気されたら怒るものじゃないの?」

「例外があるのかもしれない。アンナは優しくていい人だったらしいし、熱心な信徒だった」


 他人の過ちや罪を許す、というのが最も普遍的な教会の教義だ。きっと誰かにとってその方が都合が良かったから広まった教えだろう。


「理解できないわ」

 エマはわずかに頭を傾ける。

「私、信心深くないし、未婚だし、恋愛の経験がないの」

「私も恋愛経験はない」

「十六歳なのに?」


 どうしてか可哀想なもの見る目をされた。


「君も十六歳だろう」

「私はいいのよ。夢中になれるものが他にあるから。ケイトはそういうもの、ないでしょう?」


 昔のことを少し振り返る。

 幼いころ想いを寄せていた男の子がいたような気がするが、名前も顔も思い出せない。時間を忘れて打ち込んだ趣味もない。惰性で絵を描いているだけだ。


「……そうだね。一度もない、かも」


 我ながら、希薄な人生を送ってきたものだ。これからもその希薄さは続くのだろうという予測はできたが、軌道変更を試みるだけの気力もないのだから、余計に呆れる。

 もちろん人のことを好きになったことがないわけではない。

 でも、「恋愛」を辞書で引くと「互いに恋い慕うこと」と説明されている。残念ながら一方通行やすれ違いは恋愛と呼ぶのに相応しくないらしい。


 エマはナッツの蜂蜜漬けを摘む。


「私、アンナがリカルドに浮気を問い詰めた逆恨みで殺されたのかと思ったわ」


 彼女は指についた蜂蜜を舌で舐め取りながら呟いた。

 そのストーリーは新聞やラジオでもよく語られているものだ。でも、リカルドの浮気が発覚してからアンナが殺されるまでの間に一年半という期間が開いている。少し奇妙な時間差タイムラグだ。


「それなら、どうしてアンナは殺されたのかしら……」


 エマは曖昧な顔で、ホットワインに口をつけていた。

 店員が香草焼きを運んできた。彼は仏頂面で「お熱いのでお気をつけて」と言って鉄皿をテーブルに置く。

 香草焼きは値段の割に結構な量があった。

 鶏肉をナイフで切り分け、口に運ぶ。香草の香りと柔らかい肉の旨味が口の中に広がった。店の看板にするだけある。付け合わせの根菜も鶏肉の油が染みて美味しかった。


 エマがワインに口をつけながらじっと私の方を見ていた。


「その鳥の死体、食べ切れそう? せっかくだし、手伝ってあげてもいいのよ」

「欲しいならそう言えば分けてあげるから」

 私はしかめっ面で鶏肉を飲み込む。

「その表現はやめて」

読んでいただきありがとうございます。

次の更新は12月13日ごろです。

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