ある人喰いの記憶1
初めて人の肉を口にしたのは、星がよく見える夜だったのをよく覚えている。
突如、渇きにも似た飢え僕を襲った。
部屋に閉じこもり、布団の中でなんとか飢えを凌ごうとしたがすぐに限界を感じた。
僕は窓から外に出る。
このまま部屋の中にいたら何か良くないことが起きてしまいそうな予感があったから。
外に出た僕は行くあてもなくさまよった。
遠い昔、僕に親がいないことをからかわれたことを急に思い出して酷く深いな気持ちになったり、昨日食べたスープの具が僕だけ少なかったことを思い出したりした。
考えが上手くまとまらない。
悲しい気持ちになったり、そんな自分を俯瞰して愉快な気持ちになったりした。
でも、自分が求めているものははっきりと理解している。
この飢えを満たすものだ。
それはパンや干し肉ではいけない。
しばらくして、くすぶっている焚き火の匂いに気づいた。
若い男がすぐそこにいる。
月明かりしかない暗闇にも関わらず、僕の目は人の姿形をくっきりと認識することができた。
旅人だろうか。
店の金に手を出して逃げ出した町の労働者かもしれない。
白いシャツは泥にまみれていて、ズボンの裾はほつれている。
みすぼらしい格好で、手荷物も小さな袋一つだ。
そばに馬が繋がれている様子もない。
宿に泊まるお金がないにしても、もうしばらく歩けば孤児院があったのに……。
孤児院では信仰深いマザーの好意でこの土地に訪れた旅人を受け入れている。
そのことに気づけなかったことは彼にとっては不幸で、僕にとっては幸運なことだった。
「良い夜ですね」
男は突然現れた僕に驚き、身体を起こして短刀を抜く。
丁寧に挨拶をし、警戒させまいとしたのに、男は僕を敵として認識したようだった。
普段の僕であれば、刃物を恐れたはずだ。
でも、鈍く光る銀色の刃を見て、全身の血が沸騰するのを感じた。
空で双子の月が綺麗に輝いてからだろうか。
殺意に似た生存本能。
僕はそれに突き動かされ、銃弾のように男に飛びかかり首に歯を突き立てる。
短刀の刃が僕の腹に突き刺さり、骨にぶつかった。
じょりじょりと肉が裂ける嫌な感触が、不思議と少しも気にならなかった。
男の肩を掴み、喉笛に歯を立てる。
パンを食い千切るくらいの簡単さで肉が抉れた。
咀嚼する。
蜂蜜菓子を口いっぱいに頬張るような充実感に全身が包まれた。
夢中になって咀嚼と嚥下を繰り返していると、男はいつのまにか動かなくなっていた。
それもそのはずだ。
男は身体を動かすための筋肉のほとんどを失っていた。
肋骨の隙間から覗く赤い果実のような心臓はすでに動いていない。
身体に突き刺さっていた短刀を抜く。
痛みは鈍く、腹の傷はいつの間にか塞がっていた。
僕は自分が怪物になってしまったことを冷静に理解した。




