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「いくらだ?」と声をかけてきた冴えない男だった。
顔つきは太ってもいないし、痩せてもいない。
腹だけが奇妙に突き出ているどこにでもいる『中年』だ。
中年男が手に取った絵はなんの変哲のない風景画で、私自身にも絵の良さが少しも分からない。
それどころかどこの風景なのかも思い出せないし、どうしてその絵を描こうとしたのかもさっぱり記憶になかった。
「銅貨十枚です」
普段はだいたいパンや果物……銅貨一枚程度と交換だが、少し吹っかけてみた。
男が難色を示すだろうと思ったが、その反対で「安すぎる」と笑った。
値踏みするように私を見る。
「銅貨五十枚でどうだ」
予想外の額に私は困惑した。
でも、感情を表に出さず「それでいいですよ」と承諾した。
ふと視線を上げると向かいに痩せた少女がいた。
少女は肩を大きく出した格好をしていて、濃い化粧をしている。
少女は忌々しそうに私と中年男のやり取りを見ていた。
私は何かあの少女の機嫌を損ねるようなことをしたのだろうか。
「絵を運んでくれ」
紙一枚だ。運び屋が必要なほどの大きさの絵だとは思えない。
でも、私に対して意味不明な敵意を向ける少女のせいでその場を離れたかったし、銅貨五十枚はエマからもらう一ヶ月のお小遣いに等しい。
私は男に従うことにした。
*
男の家は寂れた橙色のレンガの家で、趣味の悪い緑色のドアをしていた。
玄関までかと思ったが、男は私に中に入るように促した。
「早く入りなさい」
口調こそ優しいものだったが、額には脂汗が浮いていて、眼球がネズミのように右へ左へと動いていた。
ここまで来て、ようやく私は事態を察する。
喉からお腹に向かって、どろっとした黒いものが流れていくのを感じた。
……銅貨百枚にしておけば良かったかもしれない。
そう思ったが、私という存在にその価値があるのかは疑問でもある。
玄関をくぐり、リビングに入る。
そこで背後から抱きつかれた。
背中に男の腹の脂肪が当たる。
どうしようもなく不快で、吐きそうだった。
無骨な手が生き物のように私の服の中を探るように進んで行き、それは胸にたどり着いた。
抵抗をしないように歯を食いしばり、拳に力を込める。
「娘は学校で、嫁は働きに出ている」
男は言い訳をするように、もしくは誰かに言い聞かせるようにそう言った。
荒い息が耳障りだった。
ソファに仰向けに寝かされる。男の手が私の足の付け根に触れられた。
壁に時計がかけられていたので、じっと針を見る。
秒針が一回動く度に、私の身体が一回大きく揺れた。
行為が終わるのに十五分はかからなかった。
それが一般的に短いのか長いのかは分からない。
ただ、私にとっては酷く長いように感じた。
男がリビングを出て行き、戻っていく。
差し出された小袋には銅貨が入っていた。
私はそれを上着のポケットに押し込んだ。
ソファに私の血が少し滲んでいて、男はそれを酷く気にしていた。
一生懸命、シャツの袖でソファをこする男の姿は粗相をした子供のようで、酷く惨めなものだった
*
正午を告げる町の鐘が響いたのと、私が男の家を出たのは同時だった。
川を流れる木の葉のように人波を漂い、通りを歩く。
早くシャワーを浴びたかった。
宿にいる〈死体拾い〉はベッドで眠っているだろうか。
そうであって欲しい。
今は顔を合わせる気分ではなかったから。
歩いている間、湿った下着が肌に張りついて気持ち悪かった。
雨でも降ってくれたらいいのに、と思うけど、こういう日に限って青い空が広がっているものなのだ。




