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目星をつけていたカフェは席が空いていなかった。
時間を持て余した失業者で溢れかえっていたせいだ。
仕方ないので通りの隅に腰を下ろして、以前描いた絵を数枚広げる。
そうやっているとたまに物好きが買いたいと言ってくれるのだ。
似顔絵を描いて欲しいと頼まれることもある。
たいていの人は私が描いた絵を見て満足することはない。
「まあこんなものか」とでも言いたげな顔で頷いて去って行く。
私は画家ではなく、趣味で絵を描いているだけだから、そういう反応に不満はない。
でも、少しも上達しない自分の絵に対しての多少の苛立ちはある。
もちろんそれはただのないものねだりで、自分の技術をどうこうしようとするモチベーションは私の中にない。
試行錯誤のない作業の繰り返しが生むのは「慣れ」であって、それが努力とは呼べないことは理解しているつもりだ。
通りを抜ける風に、潮の匂いを鼻に感じた。
いくらか誇張して表現すると、この町は海の中にある。
先人もそういった大げさな言い回しを好んだのかもしれない。
この町の名前は〈海の中の丘〉だ。
実際、この町は遠目からは海に浮かぶ島のように見える。
でも、正確には陸続きになっていて、潮が引いているときにははっきりと陸路が現れる。
しかし、町までの陸路は足場の悪い干潟で、場所によっては身体の半分が沈みかねない沼ができる。
だから、舟での行き来が主な交通の手段だ。
*
私とエマがこんな辺鄙な町に訪れることになったのは、〈人喰い〉が現れたという情報のせいだ。
人が死ねば死体を回収し、〈人喰い〉が現れれば死体を届けに行く。
死臭のする場所を彷徨うのが〈死体拾い〉の生態なのだ。
幸い……なのかは不明だが、〈人喰い〉は判明している。
この町の有力者の令嬢が人肉を欲したのだ。
「たぶん虚言よね」
気怠そうに言うエマは本当に不機嫌そうだった。
エマは内陸の育ちのようで、潮風との相性が悪いらしい。
私もエマと同じで、〈人喰い〉の話は嘘だろうと思っている。
おそらくエマに出向を命じた教会もそうだろう。
〈人喰い〉は自身が怪物であることを自称しない。
食事がしづらくなるし、〈人喰い〉は今生きている日常に強く固執する性質を持つ。
令嬢の主張は自虐的かつ破滅的なものだった。
たぶん、彼女はそういうやり方で誰かの気を引こうとする性分なのだろう。
その目的は分からないし、興味もない。
潮風の中、船に揺られて町を通り抜け、ようやくたどり着いた屋敷は古くて立派なものだった。
〈海の中の丘〉は教会の完全な支配下にあって、貴族はいないはずだ。
もしかすると昔いた貴族が去ったあと、この屋敷を金持ちが買い取ったのかもしれない。
屋敷の中に入ることは許されなかった。
使用人が私たちをゴミを見るような目で見て、汚物を詰め込んだ袋を扱うように革袋を受け取った。
「このあとはどうするの?」
「すぐに出て行きたいところだけど……残念ながらしばらくこの町で待機よ。近くに〈死体拾い〉がいないみたいなの」
どこかで誰かが死ねば、出て行くこともかなうだろう。
でも、いつどこで誰かが死ぬかを天気予報のように知ることはできない。
処刑や戦争のような計画的生産のたいていは衛兵の手で行われ、彼らの懐に収まる。
「この町で死んだ人って、きっと塩漬けになってしまうんだわ」
潮風になびく銀色の髪を抑えながら、エマは酷く忌々しそうに言った。




