後日談:鎖に繋がれた羊たち7
小鳥のさえずりで目を覚ます。
こんなに寒くても鳥は外で生活しているのだな、と感動する。
か弱い私たちは、なんとか一晩を凍えずに生き延びることができた。
眠っている間、誰かの復讐を夢に見た……気がした。
断片的な情報を繋ぎ合わせてできた物語だ。でも、当たらずとも遠からずに思えた。
きっとその拙い復讐劇は遂行されたのだろう。
小屋を出ると酷く冷えた朝の空気が私の顔を刺した。
私は死体の入った革袋を肩にかけ、空いている左手でエマの手を握り、上着のポケットに入れた。
手が冷たいと彼女が訴えたからだ。
「左手も寒い」
エマは文句を言ったが、諦めてもらうしかない。
人間は抱き合いながら歩くことはできないのだ。
霜柱で膨らんだ道を、ざくざくと音を立てながら黙々と進む。
ときどき行商の馬車が私とエマのそばを通過して、この世界に私たち以外の人間がまだ存在していたことを思い出す。
「ロザリーは自由に慣れたのかな」
返事を期待していなかったが、エマも無言で歩き続けることに飽きたのか「どうかしらね」と反応を示してくれた。
「復讐を果たしたのでしょう。きっと清々しい気持ちで満たされているはずよ」
「そうなのかな。私の姉は……」
姉は母を殺した。
あれも復讐と言えるのかもしれない。
姉は全てから逃げ出した。
どこに行ったのかも分からない。
その姉は自由を手にしたと言えるのだろか。
――ほっとしているの。
母の死体を前にして姉が浮かべた笑みは酷く空虚なものだった。
私は彼女が自由からは最も遠い場所にいるように思えてならない。
「本当の自由なんてものはないんだろうね」
私はエマの手を握り直す。
彼女の小さな手が、私の指の隙間からこぼれ落ちてしまわないように包み込むようにして。
「みんな気づいていないだけで、鎖とか檻に囚われて不自由している。そういうものなのかもしれない」
あの喫茶店のテラス席で、ロザリーは私を「自由の身」と言った。
家のしがらみから抜け出し、外の世界を自分の意志で旅をしている。
確かにそれは自由と呼べるかもしれない。
でも、私は私のことを少しも自由だとは思わない。
ふと気を抜くと、頭に思い浮かべてしまうものがある。
優秀な姉に対する劣等感。
人から好かれようとして徒労に終わったこと。
血のように赤い夕暮れ。
咽せるほど充満した血の臭い。
母の死体。
今、私はあのころからは想像もつかないほど遠くにいる。
でも、私の心はいつまでもあの場所から抜け出せていない。
過去という鎖が、いつまでも私に巻き付いて、放さない。
ロザリーも今頃気づいていることだろう。
自由なんてものはないということに。
檻から抜けだしたところで、どこまでも続く鎖がまとわりつき、いつの間にかまた別の檻に囚われている。
「ケイトが何に悩んでいるのか、少しも分からないわ」
私のすぐ横を歩くエマの顔は、彼女の長く白い髪のせいで見えない。
けれど、彼女はいつものように柔らかい無表情を浮かべている気がした。
「鎖や檻なんてもの、どこにもないもの。人間が肉体を持つ存在である以上、完全な自由はないけれど……ほら、考えるのは自由と言うでしょう」
私の〈死体拾い〉は言う。
あなたの苦悩は私が生み出した妄執に過ぎない、と。
その通りなのだろう。
でも、ヒトが考える生き物である以上、その妄執から抜け出すことはできない。
ヒト、考えないように考えることできないのだから。
「私たちはその頭の中にこそ、不自由があるんだ」
ふいに、エマの赤い瞳の無垢な輝きが、私に向けられる。
「理解も、共感もできないわ」
そっか、と私は肩をすくめた。
怒るべきか、もしくは呆れるべきなのかもしれない。
でも、そんな気に少しもなれなかった。
私はエマに、私のどうでもいい苦悩なんて分からないでいてくれていい。
そう信じているのだろう。
エマは生きている人の苦しみに理解を示すことなどなく、ただ死体を見て微笑むような女の子でいて欲しいのだ。
だって、その方が君は美しい。
私たちはまた黙って、まだ遠くにあるどこかの村を目指した。
そこには〈人喰い〉がいて、死体の入った革袋を待っている人たちがいることだろう。
その人たちは自分たちの不幸を憂い、社会そのものに絶望し、こんな仕組みを作った教会を憎んでいるかもしれない。
そして、彼らは暗い瞳で私とエマを見つめ、銀貨の入った袋と死体を交換する。
そういう世界を、私は〈死体拾い〉と共に歩いている。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
2章「固く繋いだ手を落とす」はお終いです。
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現在、3章を執筆中です。
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それまで過去に書いた小説を来週5月23日(火)から投稿しますので、ご興味のある方はご覧ください。→私生活の変化や作業時間の確保の都合で遅れてます。




