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〈死体拾い〉のエマ  作者: しゃかもともかさ
2.固く繋いだ手を落とす
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後日談:鎖に繋がれた羊たち6

 二十を過ぎても、私はオリビアのために詩を書き続ける日々を送っていました。

 『一定』の日々を送る中で、私という泉は枯れ果てるだろうと思っていました。

 しかし、不思議と頭の中にはいくつもの詩が生まれ、私の手はそれを文字として綴ることができたのです。


 私の詩は芸術が活発な南の都市で評判のようでした。

 ある音楽家が詩を元に曲を作り、著名な歌手がそれを歌いました。

 その歌は円盤やラジオを通して人々の心に届き、いつしか〈午後の町〉の人たちが口ずさむほど有名になりました。


 古くから続くグラシア家が生み出した麗しの女詩人。

 オリビアの名声は少しずつ、堅実に高まっていったのです。


 次第にオリビアはネイサンを連れ、屋敷を抜けだし、外の世界に足を運ぶようになりました。

 社交的で好奇心が強く、また野心のあったオリビアにとって、屋敷という小さな世界は狭く感じたようです。

 その度にオリビアと領主である父親は衝突しました。

 父親は伝統と格式を重んじる男で、オリビアは彼のことを「退屈」と評価しました。


 ――■■■■、聞いて。お父様には内緒で、遠出をしようと思うの。


 あるときオリビアはそう言って、私に協力を命じました。

 計画は私が書いた詩にそって小旅行をするというものです。

 「囚われの小鳥の詩」はすっかり有名になり、オリビア自身にも注目が集まっていました。

 詩の物語をなぞることで、名声を確かなものにしようと考えたのでしょうか。


 ――しばらくは町で過ごしてから、アデラインの森の外れにある小屋でネイサンと暮らすわ。

 ――小屋なんてあったでしょうか。

 ――学者が住んでいる小屋をネイサンが見つけたの。銀貨を握らせて出ていってもらったわ。


 私に命じられたのは、〈午後の塔〉での買い出しと錯乱でした。

 よく似た背格好のオリビアと私が複数の場所にいることで、彼女の父親の目を誤魔化すということでしょう。


 ――■■■も、町で男の一人くらい作りなさい。その方が目くらましになるでしょうし……恋の詩ばかり書くあなたが恋を知らないのもおかしな話でしょう。


 オリビアは微笑みました。

 私のノーランに対する気持ちを知らずに。


 私はオリビアの命令を黙って聞きながら、心が黒くどろっとしたもので満たされていくのを感じていました。

 思い返してみると、私の心に復讐の火が灯ったのはこのときだったかもしれません。


 いつだって、オリビアは私の詩を搾取してきました。


 ノーランの気を惹くために。

 自分の名声を高めるために。


 オリビアとネイサンの出会いの切っ掛けも私の詩でした。

 私が書いた詩をたまたま読んだネイサンが、オリビアに惹かれたのです。

 しかし、詩はオリビアにとって数ある装飾品の一つでしかないのでしょう。

 オリビアにとってしてみれば、屋敷を覆う透明な檻も、彼女を彩るもの一つなののかもしれません。

 事実、オリビアは檻の中で美しく羽を広げ、周囲を魅了していました。


 なのに、私は……。


 最近のノーランは少しずつおかしくなっていました。

 精神的な繋がりを重んじていたはずの私とノーランの関係は、いつからか変質してしまいました。


 ――君が身につけているものを一つ欲しい。


 私は彼の要望に応え、オリビアのスカーフを手紙と共に木の窪みに入れました。

 ハンカチ、靴、帽子、口紅。

 さすがにオリビアから髪を失敬することはできず、私は自分の髪を切って束ねて彼に渡しました。


 そして、あるときからノーランの手紙には「一目でいいから君に会いたい」「指先だけでいいから君に触れたい」「君と唇を重ねたい」という言葉が綴られるようになりました。


 その言葉を嬉しく感じる私がいたのも事実です。


 しかし、人である私と〈人喰い〉であるノーランが物理的な繋がりを持てるはずなどありません。

 何より、私はまだ彼に手紙の主がオリビアではないことを伝えられていませんでした。


 ……彼は正気を失い始めているのかもしれない。


 事実、アデラインの森をみすぼらしい格好をし、青い顔をした〈死体拾い〉が訪れる回数が増えていました。

 きっと、末期なのでしょう。


 ――いつか彼に、本当の私を伝えたい。


 私はそう願っていました。

 でも、それはとう昔に果たすことができなくなっていたのです。

 どれほど時を巻き戻せば、私の想いを彼に届けることができるのでしょう。

 意味がないと知りながら、考えずにはいられません。


 そして、その結論はすぐに出ました。

 出てしまったのです。


 私がノーランに想いを伝えられることなどありえなかったのです。

 私が、オリビアの影である限り。

 私が、生き人形である限り。


 もし、私を覆う透明な檻がなければ……。


 私は、もっと自由に生きられたかもしれない。

 私は、詩に自分の本当の姿を描けたかもしれない。

 私は、ノーランの手を握ることができたかもしれない。

 私は、私でいられたかもしれない。

 私は。

 私は。

 私は、私は、私は。




 私の計画は酷く単純なものです。

 稚拙と言っても良いかもしれません。


 私はオリビアに届けるお茶の葉に、毒を染み込ませました。

 オリビアはお茶に蜂蜜を入れて飲むので、簡単には気づかないでしょう。

 少しずつオリビアの身体は毒に犯され、衰弱し、いずれは死に至る……かもしれません。

 オリビアがどこかで毒のことに気づくかもしれませんし、毒が上手く利かず、彼女の命を奪うことができないかもしれません。


 だから、私はノーランに手紙を送りました。

 「会いたい」という言葉に、血を滲ませたハンカチを添えて。


 ノーランははきっと愛する妹に会いにくることでしょう。

 愛しの妹が男といる姿を見て、ノーランは何を感じるでしょうか。

 何も感じないかもしれません。

 彼はただの獣として、二人を襲うでしょうか。

 それとも……。


 私の書いた筋書きをミステリーを好む読書家が知ったら、失笑するに違いありません。

 しかし、だからこそ、致命的なのです。

 この物語がどのような結末が生むのかは分かりません。

 籠から放した小鳥がどこまで遠くに飛んでいくのかなど、翼を持たないヒトには分からないように。


 でも、間違いなく、私を覆っていた透明な檻は砕け――消え散ることでしょう。


読んでいただきありがとうございます。

次の更新は5月16日(火)ごろです。

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