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一度描いたことのある題材だ。
筆に引っかかりを感じることはなく、作業はスムーズに進んでいく。
今まで、同じ題材を描いたことはなかった。
なんとなく途中で飽きるような気がしたからだ。
でも、実際にやってみると悪い感触ではなかった。
一度目に見落としたほくろに気づけたり、ロザリーの柔らかい頬の曲線を前よりも上手く描けた。
同じ題材を何度も描く楽しみは、私にとってささやかながら意外な発見だった。
絵をほとんど描き上げたところで、手を止める。
軽く深呼吸をし、ロザリーを見た。
テラス席には私たちしかいない。
会話に聞き耳を立てる人はいないだろう。
「ロザリーさんは、森の死体と何か関係があるのですか?」
詰問するような口調にならないように、何気ない声色を心掛けた。
事実、私は彼女を罪人として糾弾するつもりはなかった。
ええ、と栗色の髪の女性は頷く。
「あなたはオリビア・グラシアなのですか?」
いいえ、と彼女は首を振った。
早春の冷たい風が私とロザリーの間を流れる。
紙が飛んでしまわないように私はスケッチブックを抑える。
カップの中のコーヒーが、細波に揺れる池のように歪んだ。
もうとっくに冷えていて、飲み頃は過ぎている。
でも、絵の代金であるお代わりを頼むためには口をつけなければならない。
風が止み、コーヒーの水面にロザリーの顔が映った。
虚像のロザリーは実物よりも無機質で、冷たく見えた。
そのロザリーの唇が動く。
「でも、少し前の私は『オリビア・グラシア』の一部だった」
「よく分かりません」
「グラシア家には、代々継がれている魔法があるの。〈生き人形〉の魔法よ。怪我や病気を、別の人が代わりに負うことができる」
身代わり、もしくは生け贄ね、とロザリーはコーヒーに口をつけながら言った。
「貴族が最も固執するものって、何か分かるかしら?」
「土地とお金ですか?」
ロザリーは首を振る。
「血を繋ぐことよ。どれだけ領土を広げ、富を蓄えても血が途絶えたらそれで終わりだもの。〈生き人形〉は血を繋ぐために開発されたのでしょうね。彼らにとって都合がいいことに、〈生き人形〉の人材に困ることはない」
合理的だな、と思う。
それ以上の感想はない。
それ以上を考えると、不愉快な想像をしなければならなくなりそうだった。
「でも、ほとんどの魔法は百年前に失われたはずです」
世界に残存する魔法は簡易的なもので、それらは教会が管理、独占している。
「そう。だから、今は形だけが残っている」
「形……儀式のようなものですか?」
「そうではなくて」
ロザリーは栗色の髪を上げ、首の痣を私に見せた。
「これは、幼いころにオリビア・グラシアが火傷をしたときにできたものよ。彼女の不注意で、熱湯を浴びてしまった。だから、同じように私も熱湯を浴びたの。できるだけ同じ痣になるように、最新の注意を払って」
「それに何の意味が?」
「『代わり』を作るためよ」
ロザリーは目を伏せる。
「十歳のころ、オリビア・グラシアの兄は失踪した。でも、次の日には兄とよく似た男の子が彼女の兄となった」
それまで穏やかだったロザリーの青い瞳に悲しみの色が帯びる。
飲み込みづらいものを無理矢理喉を通すように、彼女は唇をぎゅっと結んだ。
けれど、それはわずかな時間の出来事で、視線を上げたころにはロザリーの表情は元に戻っていた。
「そういうことが百年前から行われているの」
「それなら、とっくにグラシア家は……」
ロザリーは微笑む。
「ええ、血は途絶えているわ。形って、そいうことよ」
世界から魔法が失われ、多くの貴族は没落していった。
教会の支配と共にその土地の歴史と文化は薄れていった。
多くの神が名前を失い、土地に伝わる土着の信仰は消えた。
もしくは、伝承に登場する神の名は教会の手により、女神に書き換えられた。
そんな中、グラシア家は血を繋ぐことよりも、家を保つことを優先したのだろう。
グラシア家は、数世紀に渡って〈午後の塔〉周辺の土地を治め続けている。
教会の支配が強まった今、人々が領主に対してどれだけの畏敬の念を持っているかは分からない。
でも、少なくともあの塔は人々の拠り所としてあり続けている。
形だけの存在となったグラシア家は、それでも領民の心に誇りの火を灯している――そう言えるのかもしれない。
読んでいただきありがとうございます。
次の更新は4月20日(木)ごろです。




