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〈死体拾い〉のエマ  作者: しゃかもともかさ
2.固く繋いだ手を落とす
38/89

13

 領主の娘が駆け落ちの末に死んだ。


 そのニュースには一定の話題性があるはずだが、世間を騒がせることはなかった。

 ラジオから『オリビア・グラシア』の名前が流れることはなく、新聞を読んだ老人が喫茶店で評論家気取りの講釈を垂れることもなく、一週間という時間が経過した。


 オリビア・グラシアの父が娘の死を隠蔽したのかもしれない。

 仮にそうだとして、領主である彼の思惑がどういうものなのか私には分からないし、興味もなかった。

 でも、おおよその見当はつく。

 貴族の考えは単純で、たいていは政治的理由、もしくは見栄のどちらかだ。


 そのどちらも下らない。


 ここ数日の〈午後の塔〉の人々を騒がせたのは、西で行われることになった異教徒の討伐についてだ。

 「衛兵団が物資を買い込んでいるらしい」「物価が高騰するだろう」という噂で右往左往しつつも、町の人たちはいつもとさほど変わらない日常を過ごしているようだった。


 私とエマはというと、この一週間、新しい死体の情報はなく平和な生活を送っていた。

 つまりは宿から出ず、余計な体力を消費しない真冬の野ウサギのような生き方だ。

 私たちはラジオから流れてくる情報に耳を傾け、何かささやかなコメントをしたり、聞き流したりをして時間を潰した。


      *


「異教徒を殺して何になるのかな?」


 たいした自慢にもならないが、私は信仰心が薄い。

 女神に祈りを捧げることはするし、神事や祝いごとに対する関心がないわけでもない。

 でも、それは習慣的、もしくは形式的な信仰だ。

 だから、ただそこで生活しているだけの異教徒を殺す正当性を見つけることができない。


「不景気だから、死体を集めて売り捌くのよ、きっと」


 エマはベッドの上でまぶたをこすりながら返事する。

 目を覚ましてからというものしばらく、彼女はベッドから動く気配はなく、体勢もそのままだ。

 〈死体拾い〉の仕事がないときのエマは非活動的で、広場に植えられたナラの木とほとんど変わらない生態をしている。


「今から西に向かうのは……さすがに無理よね。興味はあるけど、巻き込まれたくはないわ」

「興味があるんだ」

「あるわよ」

 エマは緩く首を傾げる。

「意外なの?」

「少し意外。討伐って言うけど、一方的な虐殺だろう。それってただの死体の大量生産じゃないか。君は死体を大事にするから、そういうものを許せないと勝手に思ってただけ」


 私は昔見た戦争の映像を頭の中に思い浮かべた。

 空から落ちてきた爆弾で多くの人が死に、町が焼けた。

 人々は消えない炎に襲われ、熱さから逃れるために川に飛び込んだ。

 川には焼け死んだのか溺れ死んだのか判別がつかない死体が積み上がっていく……。


 戦争は酷くて悲しい行いであると誰かが言った。

 けれど、私がその映像を見て連想したのは、同じ形の製品が絶えずことなく生産される工場だった。

 だから、悲しくはなかった。でも、虚しい気持ちになった。


「大量生産なら……そうね、退屈に思うかもしれない。魔法で異教徒が住む集落にものすごく大きな火の玉を落として、全員を焼き殺すとか」

「荒唐無稽な例えだね」

「例えだもの」


 エマは唇を尖らせた。

 魔法は一世紀前以上にほとんどが失われている。

 現存している魔法は教会が『奇跡』として管理しているものだけで、町一つを破壊し尽くせる魔法使いは童話の中にしか存在しない。


 世界に理論ちしきは残っている。

 でも、大気に魔力ちからがないのだ。


「でも、今回の異教徒虐殺は衛兵が人の手で行う作業だから、大量生産ではないわ。彼らが剣を持って、一人一人殺すのよ。人が人を殺すために介入する限り、物語が生まれないはずがないの」

「そういうものかな」

「ええ、そういうものよ」


 ベッドの上の白い〈死体拾い〉は冷たく、けれど柔らかく微笑む。


「もし、ケイトが衛兵の一人だとしたら、あなたは何かを感じるはずでしょう? 例えば、そう……あなたは幼い少女を殺すわ」


 エマの色素の薄い唇から、「もしも」の話が語られる。


 「助けて」を繰り返す少女の胸に、衛兵は〈切断〉の加護が施された剣を突き立てた。

 少女は恐怖と困惑、怒りと憎しみをかき混ぜた、酔っぱらいのはらわたで作ったシチューみたいな顔で衛兵を見る。

 少女の傍らには、彼女を守ろうと立ち塞がった両親の姿があった。


 仕事で、命令で、仕方なくやった。

 衛兵は自分にそう言い聞かせる。

 どこかで、仲間が異教徒の女を捕まえたと喜ぶ声が聞こえた。

 幼い少女はああならなかっただけで良かった。

 これは慈悲なのだとなんとか納得しようとする……。


「どうかしら?」

「どうって、何も」


 少しも楽しくない「もしも」だった。

 こんな話なら、魔法で巨大な火の玉を落とす空想の方がずっと楽しい。


 「外に出てくる」と言って、私は部屋を出た。

 エマは「いってらっしゃい」さえ言ってくれなかったが、部屋を出る私を視線だけで見送っているのが閉じようとするドアの隙間から見えた。

読んでいただきありがとうございます。

次の更新は4月13日(木)もしくは4月14日(金)ごろです。

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