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「……どうして人って生きているのかしら……みんな死ねばいいのに……」
すっかり身体が冷えてしまい、疲労に侵されてしまったのだろう。
エマは一歩踏み出すごとに呪いの言葉を囁くようになってしまっていた。
彼女は死体を愛しているが、死体のための重労働が好きなわけではないらしい。
「だってそうでしょう……死体になれば泣いたり笑ったり喚いたりしないもの……世界は静かで、平和になるはずよ……」
私は息を吐く。
呼気が冷たい空気に触れて、白色に染まった。
「やめなよ。そんな格好で恨み言を言っていたら、魔女か幽霊に勘違いされる」
エマが恨めしそうに私を見たので、肩をすくめる。
そんな風に睨んでも、天気が良くなるわけでもないし、世界に平和は訪れない。
「実際、この森には昔、魔女がいたらしい。『アデライン』という森の名前は、元は魔女の名前だったんだ」
魔女と呼ばれる存在は森深くに身を隠している。
教会が女神に由来する奇跡以外の奇跡を嫌悪し、悪魔の使いであるとして厳しく断罪するためだ。
「聞いたことないわ。その話、本当なの?」
「たぶん。行きつけのカフェのお客さんが教えてくれた」
エマは短く鼻を鳴らした。
「もし、魔女がいたとしても、せいぜい薬売り程度の小物でしょう」
「かもね。でも実際、薬を売っていただけで魔女扱いされたらたまらない」
教会の異端認定はいついかなるときも気まぐれで理不尽だ。
少し多く稼いだ商人が強欲の悪魔の手先とされることもあるし、双子の月について研究していた学者が邪神に見入られたと捕らえられることもある。
「女神に頼らないで病気や怪我が治ったら困るでしょう?」
「それはそうなんだろうけど……」
もちろん私は困らない。困るのは教会とその関係者だ。
信仰を守るため――と言えば聞こえはいいが、実状は権利と利益の独占だ。
奇跡が一般流通していたら教会は威厳を保てない。
「魔女と言えば、〈人喰い〉は異教の神や魔女の使い魔だという説があるそうよ。どう思う?」
エマはどう思ってもいなさそうな無気力な口調で言った。
「異教の人たちは教会の腐敗が招いた悪魔だって主張してる。自分たちに都合の悪いものを押しつけ合ってるだけなんじゃないかな」
私が知る限り、〈人喰い〉は平等主義者だ。
祈る神の違いや信仰の深さで襲う相手を決めることはしない。
教会に保管されている死体を狙って〈人喰い〉が現れた……なんて話も珍しくはないし、〈人喰い〉が町の教会の神父に扮していることもある。
「〈人喰い〉って何者なんだろう。やつらはどうして人間ばかり襲うのかな。人間以外の肉もそれなりに美味しいはずだ」
私はエマの顔を伺うが、彼女は「どうしてかしらね」と適当な相槌を打っただけだった。
エマにとって関心のある話題ではなかったのだろう。
そもそも、彼女は死体以外のものに対する関心が薄い。
私たちの会話は途切れ、雨が木の葉を打つ音と、塗れた土を踏む音、〈死体拾い〉が世界を呪う囁きが風と共に響いた。
*
〈人喰い〉については分かっていないことの方が多い。
三百年ほど前、もう一つの月と共に突然現れた……というのが通説だが、歴史に関する書物は教会が厳重に管理しているため、信憑性に欠ける。
分かっていることは、〈人喰い〉の狩りの対象が人間であるというくらいだ。
当然、人間と〈人喰い〉は敵対関係にある。
日々、騎士による〈人喰い〉の討伐が行われているものの、根絶の気配は一向にない。
それは嘆かわしいことなのかもしれない。
でも、不幸があることで飯にありつける人たちがいるのも事実だ。
〈人喰い〉がいなくなったらエマは〈死体拾い〉という職を失うだろう。
そうなると旅がしづらくなるから、私も困る。
私とエマは〈人喰い〉の生み出す悲劇に寄生して生きていると言っても過言ではない。
きっと私たちは禄な死に方はしないだろう。
読んでいただきありがとうございます。
次の更新は3月24日(金)ごろです。




