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彼女はロザリーと名乗った。
おそらく偽名だろう。私はケイトと名乗る。私の方もそうだ。
ロザリーはこの店の二階の窓際の席で本を読んだりぼんやりとしていて、それを何度か見かけたことがある。
仕事をしていない……もしくはする必要がないのだ。
彼女からは失業者のような、暇であることに対する後ろめたさを感じない。
温かい土地に住む鳥のような、自由を持て余した貴女。
私が女性に抱いたのはそんな印象だった。
つまりは、陰鬱とした十代の女である私とは対照的な存在であり、ある意味では憧れでもある。
ロザリーを観察していて気づいたが、右の首筋に薄い淡紅色の痣があった。
タトゥーかと思ったが、どうやら火傷の痕のようだ。
楓の葉のような痣は、彼女の白い肌に不思議なアクセントを生み出していて素敵だった。
でも、痣は人によっては酷く気に病む部分で、他人が簡単に触れられるようなところではない。
肖像画は、傷や痣を描かないことが暗黙の了解だ。
だから、気にはなったものの、何もコメントせずにに黙々と紙の上で鉛筆を踊らす。ロザリーの首を描くときも痣を描くのを避けた。
「そういえば、あのときはありがとう」
「たいしたことはしてませんよ」
まだ私がこの店に通い始めだったころのことだ。
ロザリーが別の男性客に言い寄られていて、女主人がその男を店から摘み出した……ということがあった。
女主人に通報したのが私で、ロザリーは私に向かって会釈をした。
本当にたいしたことはしていない。
「あなたは〈死体拾い〉なの?」
ロザリーの青色の瞳が私に向けられる。
生憎、絵の具の持ち合わせはなく、彼女の鮮やかな瞳の色を表現することは叶わない。
「違いますよ。ただの手伝いです」
私が黒い外套をまとった白い少女と一緒に行動しているのを、ロザリーはどこかで見たのだろう。
「でも、どうして、〈死体拾い〉の手伝いなんて……」
ロザリーが私に向ける目に哀れみや見下した感情はなく、純粋な親愛と好奇心だけがあった。
少し珍しい反応だ。
「〈死体拾い〉とは一年くらい前に出会いました。旅の途中で」
「旅……絵の勉強?」
「いえ、姉を探す旅です」
私がエマと行動を共にするようになった経緯を一言二言で語るのは難しい。
だから、「成り行きでそうなりました」と曖昧に笑って誤魔化した。
「そう、不思議なこともあるのね」
たいていの人は〈死体拾い〉を軽蔑していて、その周囲に群がる『蠅』にも良い顔をしない。
私に愛想良くコーヒーとパンを売る店の女主人も、胸の内で私のことをどう思っているかなんて想像もしたくない。
この人はきっと、心に余裕があるのだ。
心の余裕とは、いったい何から生まれるのだろう。
たくさんのお金だろうか。それとも、自由な時間だろうか。
余裕がある自分というものを、私は想像できない。
心の奥底にはいつも苛立ちや焦りがくすぶっていて、その陰鬱とした感情を取り除く手段なんてたった一つしか思いつかない。
「私も旅をしようかしら」
ロザリーは詩を紡ぐような軽い口取りで言った。どこか楽しげで、どこか寂しげに。
風が吹き、私の頬を柔らかく撫でた。
どこからか飛んできた鳥の羽が宙を舞う。
淡い青色の美しい羽だった。ロザリーの視線がその羽に奪われる。
その早春の風のおかげで、私はロザリーに描き上げた絵を繕った表情で渡すことができた。
絵を受け取った栗色の髪の貴女は、柔らかく笑み、聞き心地の良いお礼の言葉を口にした。
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