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テラスで風を感じながらパンをかじっていると、若い女性が「いい天気ね」と声をかけてきた。
よく見かける常連の客だが、話したことは一度もない。
私は少し困惑しながら「そうですね」と返事する。
二十代前半くらいだろうか。
鮮やかな栗色の髪と整った顔立ちの女性で、白のブラウスにカーディガン、薄い青のスカートという一般的な服装だが、胸に光るネックレスの細工は繊細なものだった。
もしかすると上流階級の出身なのかもしれない、と余計な詮索をする。
〈死体拾い〉の手伝いのせいか、服装や装飾品でその人の身の上を想像する癖がついてしまった。
女性は私の前の席に座った。
他に椅子はいくらでも余っている。
私がそれを指摘する前に女性が「店にある絵ってあなたが描いたものでしょう?」と彼女が聞いた。
「あの、おばあさんの絵」
「まあ……そうです」
店の壁には私が寄与した――ということになっているが、事実を正確に語るのであれば「どうせ引き取り手もいないんでしょ? 捨てるなら寄越しなさい」と言われて渡したものだ。
焼き立てのパン一つと交換だった。
実際、私は絵の処分に困っていて、店主の提案はとても気の利いたものだった。
「あなた、おばあさんが好きなの?」
「どうでしょう。好きでも嫌いでもないと思います」
最も身近な『おばあさん』は祖母だろう。
でも、私は祖母と疎遠だった。
私が物心がついたころには、祖母は私たちのことを自分の親類だと認識できなくなっていたからだ。
片親であることに負い目を感じ、親戚付き合いをそれとなく避けていた母にとって、祖母の老いは心の安らぎだったかもしれない。
「そうなの? おばあさんの絵なんて珍しいから……。こういってはあれだけど、華がないものね」
女性は柔らかく微笑む。それに合わせて私も苦笑を返した。彼女の言う通り、老婆という存在に趣はあるかもしれないが、華はない。
何かに例えるなら、老いた木の幹か、もしくは風化して歪な形となった岩石だろう。
絵描きは普通、女神や天使、木々や花、小鳥といったきらびやかなものを題材に選ぶ。
その方が教会からの受けが良く、仕事がもらいやすいからだ。
でも、私はそういったものや教会に関心がない。そもそも絵を仕事にしようとは考えていない。
「お客さんのおばあさんが椅子に立てかけていた日傘が素敵だったんです」
鮮やかな緑色の日傘で、縁のところに金色の刺繍があった。
柄は黒色で、四角と三角を組み合わせた不思議な幾何図形が彫刻されていた。
「でも、日傘だけ描いてもどうにも物足りなくて……。だから、お願いして、おばあさんも描かせてもらいました」
私の目に日傘が素敵に映ったのは、老婆という付加価値があったからだろう。
若い町娘があの日傘を持っていても、気取ったように見えてしまうに違いない。
だから、正確にはあの絵は日傘の絵なのだ。
「そういうものなの?」
「ええ、まあ……そんなものです」
女性はくすりと笑う。
「それなら、私を描いてくれない? 代金はお代わりのコーヒーでどうかしら」
私はその魅力的な提案に承諾する。
生憎のところ、金銭に余裕がない。
エマは私に時々お小遣いをくれるが、それに頼るヒモのような存在にはなりたくないので、ささやかな抵抗を続けている。
「言っておきますが、本当に趣味みたいなものですよ」
私は鉛筆を握り、栗色の髪の女性に向かった。
読んでいただきありがとうございます。
次の更新は3月14日(火)ごろです。




