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老人一人、若い男一人、赤ん坊一人。
私とエマが死体を求めて東部の名所である〈正午の塔〉という町を拠点にしてから、一ヶ月が経過した。
その間、私たちは三体の死体を拾い、銀貨に変えた。
『三』という数字自体は良い方だが、成果としては良いとも悪いとも言えない。
肉が固い老人は食いつきが悪く、赤ん坊は肉質は良いが過食部が少ない。
どちらも特殊な場合を除き、良い値段が付きづらいのだ。
「死は誰にでも平等に訪れるものだけど、死体の価値は同じではないのよ」
教会に死体を納品するとき、エマはそう嘆いていた。
奇妙な感性の持ち主であるエマは死体を愛している。
そんな彼女にとって、肉質や過食部の多さで価値が決められる仕組みは納得がいかないものなのだろう。
私にしてみれば、どうでもいい話だ。
死体は死体だ。
――でも、もし、自分が〈人喰い〉だったなら。
肉と罪悪感を一緒に飲み込むような食事はしたくない。だから、口にする死体は寿命を迎えた人間か罪人であって欲しい。
そんな私の考えは偽善や欺瞞と呼ばれるのかもしれないが、知ったことではない。
私は「いい人」ではないのだから。
*
同じ町に滞在し続ければ、行きつけの喫茶店ができるものだ。
店を選ぶ基準は私自身、よく分からない。
客が多すぎなかったり、店員の接客が不快ではなかったり……と様々な取捨選択の末、複数の店の中から一つか二つに絞られる。
だから、「お気に入り」というのとは少し違う。
事実として、町を離れるときに行きつけの喫茶店に対する未練は微塵も感じない。
ともかくとして、暇ができると通りにうごめく人間の群を潜り抜け、その店を目指すのである。
店のドアを開くと、恰幅の良い女店主が「いつものね」と言ってコーヒーとパンを用意して出迎えた。
私は銅貨三枚を女店主に払い、二階のテラス席へと向かう。
夜になると凍えるように寒いが、日が出ている間は暖かさを感じる季節になってきた。
今日の空は透き通るような青色で、早春の穏やかではあるが冷たい風を吸い込みながらコーヒーを飲むのに相応しい。
テラス席からは遠くに古びた石造りの塔が見えた。
昔、この地を代々治める領主、グラシア家の当主によって建造された塔だという。
〈正午の塔〉という名称は、正午になると塔の鐘がなることに由来するーーらしい。
でも、私が町に滞在してからというもの、その正午の鐘というものを聞いたことがない。
以前、女店主から聞いた話によると、塔の鐘は半世紀ほど前から鳴っていないのだという。
鐘が破損し、美しく荘厳な音を奏でなくなったためだ。
町のシンボルだったはずの塔は老朽化のせいでいつ崩れ落ちるか分からず、誰も近づかなくなった。
解体するにも人手と費用がかかる。
町の議会ではなかなか解体の議論は進まず、宙ぶらりんになっているのだという。
「今では働きもしない厄介な年寄りだよ」
女店主は苦く笑ってそう言っていた。
死体ではないのだな、と私は苦笑いを返しながら思ったのを覚えている。
通りに視線を向けると、絶えることなく人が行きかっている。
南から仕入れたという果物を売る店や、合金のアクセサリーを売る店。
酒場にはまだ昼だというのに酔い潰れた人が何人も吐き出されていく。
商談に失敗した商人か、もしくは観光客だろう。
賑わっているように見える〈午後の塔〉も他の町の例に漏れず、教会の傘下にある。
その土地に根付く祈りや文化は排除され、女神への信仰を求められている。
人が死ねば、その死体は〈死体拾い〉によって教会に持って行かれてしまうのだ。
でも、〈午後の塔〉の町では、他の町では見かけづらいものもいくつかある。
異教徒由来の幾何図形を組み合わせたアクセサリーを売る店、教会が推奨していない抽象画を飾る喫茶店、鳥以外の肉を出す酒場……などなど。
書店には〈午後の塔〉近郊にある森の「アデライン」という魔女の伝説を描いた本もあった。
もし、敬虔な信徒がそれらを見たら卒倒してもおかしくはない光景だ……が、意外なことに人ごみの中には僧侶らしき人の姿もあった。
ここでは女神に対する無礼講が許されている、という認識なのだろうか。
土着の文化を守る町は、この国にそう多く残っていない。
もしかすると、〈午後の塔〉の教会の支配が弱いのは、グラシア家の領主が建てた塔のおかげなのかもしれない。
鐘を鳴らさなくなり、誰も近寄ることのなくなったあの古びた塔は、それでも町の人たちの心の拠り所として生き続けているのだ。
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次の更新は3月10日(金)ごろです。




