後日談:今すぐにでも地獄へ4
頭痛が酷くても、身体が重くても、必要に迫られれば人という生き物は働かなければならない。
私の憂鬱の始まりは教会からの一本の電話だった。
「とある娼婦が死んだ」という知らせだ。
エマは踊るような足取りでテーブルに伏していた私を叩き起こし、車へと乗せた。
エンジンの振動を合図に、私の身体は前後に揺れ、どこかへと連れ去れていく。
「その娼婦、流行病で亡くなったのだけど、家出した貴族の子なのよ」
エマは鈴の鳴るような声でそう言った。
私は眉を寄せる。
「そういう設定ではなくて?」
娼婦が自分に付加価値をつけるために、出自を脚色することはさほど珍しくはない。
私は娼婦に詳しくないけれど、そう聞いている。
「数年前に出された捜索願いの人相と死体の特徴が一致するから、本当だったのね」
「その子はどうして家出したんだろう」
「さあ、失踪の理由までは記録されていないみたいだから」
貴族という身分のままなら安泰なのに……というのは庶民の見る幻想だ。
この国の土地は日に日に痩せ、〈人喰い〉が蔓延っている。
土地との繋がりが強い貴族は、土地の力が弱まれば没落していく。
それに、土地を継ぐのは長男もしくは長女だ。
領主が豊富に財産を持っていれば次男や次女が土地の代わりに受け取れる資産があるだろうが、そうでない場合は貴族としての身分を捨て、働かなければならない。
「美人で気立てが良い人気の娼婦だったから、彼女の客たちが金を出し合って故郷に死体を届けてあげることにしたそうよ」
つまり、今回は解体の手間がないらしい。
「でも、それって美談なのかな」
「どうかしらね」
果たして、娼婦に落ちた貴族は故郷に帰ることを望んでいたのだろうか。本人に確かめてみないと分からないことだが、すでに死んでいる。
「その死体、私たちが届けるのかな」
「まだ決まってないけど、もしかしたらそうかもしれない」
エマはそうなることを望んでいるような口振りだった。
彼女は一途な性格で、一つの死体にできるだけ多く関わることを求めている。
「その娼婦の故郷ってどの辺り?」
「北の方よ。そう、ちょうどあの山の向こうね」
視界の向こうに雪化粧した山々がうっすらと見えた。
私は顔をしかめる。頭痛が悪化した気がした。
死体と一緒なら、エマは喜んで北を目指すだろう。
私の体調なんてお構いなしに。
もし、私が流行病にかかって命を落とす……なんてことになっても、彼女は悲しまない。
むしろ、死体が増えることに感激するに違いない。
そのことに対する不満はない。
私とエマの関係は最初からそういうものだし、最後までそうあるべきだ。
ラジオから〈人喰い〉の情報が流れる。
現場は〈ミカ・リベラ〉から遠く離れていない。
情報として流れた〈人喰い〉の人相は『リカルド』を連想させた。
そのことにエマは気づかない。
彼女にとって『リカルド』は生きている人間で、気に止める存在ではないのだ。
私はあの男に姉を感じた。
でも、それは間違いなく幻想だった。
むしろ、あの男は私によく似ている。
「誰かのため」と言いつつ、結局自分を優先するようなところが特にそっくりだ。
同族嫌悪から生じる自己嫌悪ほど気持ち悪いものはない。
自分と似ている人を見て安心できるほど私は人に関心がないし、私自身のことも好きではない。
……願わくば、今すぐに死んでしまいたいと思うほどに。
でも、その決断を下すための死への渇望が私にない。
私はどこまでも無気力で、死体のように生きている。
――私が死んだら、私の死体は君のものにして構わない。
――だから、君と旅をさせて欲しい。
それが私がエマと交わした契約だった。
エマとの契約を果たすのは、まだ少し先になりそうだ。
【今すぐにでも地獄へ END】
ここまで読んでいただきありがとうございます。
1章「地獄のような顔をした女」はここまでです。
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