後日談:今すぐにでも地獄へ1
活動の拠点を〈ウサギ丘のふもと〉から移したころ、私は酷い低気圧のせいで重い頭痛と倦怠感に襲われていた。
ベッドから起き上がるのがやっとで、本を読む気にも絵を描く気にもなれず、食欲もない。
くたびれたセーターのように椅子にもたれ、この世界を呪って時間を潰していた。
弱り切った私をエマは看病してくれる……なんてことはもちろんない。
彼女はテーブルに新聞を広げ、蜂蜜菓子をつまみながらそれを眺めていた。
エマが目を通しているのは訃報か行方不明者リストだろう。
国境沿いの異教徒の暴動で大勢が死んだらしい。
安否の確認や捜索願いがあとを立たない。
北にいる〈死体拾い〉にとっては願ってもいない『収穫期』だろう。
でも、私たちが滞在している東部から北部に向かうためには山を越えなくてはならない。
死体好きのエマであってもさすがに山越えは気が進まないらしい。
今のところ北部に足を運ぶ気はなさそうで安心する。
これから冬が来る。北はここよりもずっと寒い。
「そういえば苦情があったのよ」
エマは新聞に視線を向けたまま、表情を変えずに言う。
苦情自体は珍しくない。
〈死体拾い〉は民衆から嫌われている。
嫌われている理由はいくつもあって、全てを挙げるときりがないが、女神を信仰する人々は血と肉を不浄なものとして考えている。
死体はそれを象徴する存在で、日常を死体と共にする〈死体拾い〉は不浄そのもの……というのが彼らの考えなのだ。
「〈人喰い〉が私が届けた肉を食べなかったそうなの。そのせいで、女性が一人が〈人喰い〉に襲われて死んだみたい」
酷い死に方だったそうよ、とエマはわずかに声を弾ませる。
「まず、手足を折られたの。身動きが取れなくなったところをお腹を裂かれて、生きたまま内臓を食べられた。その女の人はずいぶん苦しんだみたいだけど、少しずつ痛みを感じなくなってきたみたい。
不思議よね。人間って、身体の一部を失うほどの怪我をしても、痛みを感じないことがあるそうよ。女神に祈りを捧げながら息絶えたみたい。死因は、出血のし過ぎかしら。それとも〈人喰い〉の食事が心臓に及んだのかもしれないわね」
私は顔をしかめた。
「……なんで、そんなに詳しく記録が残ってるんだよ」
「五歳の息子がその現場を見ていて、神父に証言してくれたそうよ」
「へえ、そっか」
私は窓の外に映る分厚い雲を忌々しく睨みつけながら返事する。
「もしかしたら、その〈人喰い〉は『偏食家』だったのかもしれない。若い女の人が好みだったのかしら。それとも……」
「死体は誰のものだったの?」
エマはつまらなそうな顔をする。
「死体ではないわ。ただの肉だから」
ああ、とカラスが鳴くような返事が口から出た。
もう一ヶ月前のことだ。私は不貞と妻殺しで裁かれた男の腕と足を回収した。
「そういうこともあるんだね」
「ええ、ときどきあるみたい」
そうなんだ、と頷きながら、私は一人で納得していた。
私自身のことを棚に上げて称するのであれば、その男は情けない性格だったと思う。
自分のことで精一杯であるにも関わらず、他人のことを気にかけられると思い込んでいる。
取り返しが付かなくなってから後悔し、自己満足な贖罪を行う。
その癖に、最後は保身に走る。
その男は『リカルド』という名前の〈人喰い〉だった。
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次の更新は2月17日(金)ごろです。




