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「自分のことを目に映るものに投影することは悪いことではないわ」
エマの言葉が私の空っぽの頭蓋に響く。
彼女の無機質で淡々とした口調が不思議と心地良く、私自身が死体となった気分になる。
「私もよく死体と自分を重ねるもの。自分がこんなふうに死んだら……って」
君は死にたいの、と私は聞く。
「死にたいかどうかは関係ないわ。人はいつか死ぬのだから」
そうだね、と私は力なく笑う。
私たちはいつか死ぬ。遅いか早いかの違いはあるかもしれないが、結末は変わらない。
「アンナの死に顔を見て、私が一番最初に感じたのは強い怨嗟だった。まるで地獄の業火ような黒い感情……。本当に優しくて親切な人だったら、理不尽な目にあってま生じるのはきっと困惑なはずよ。彼女の死体からはそれは感じなかった。
彼女には裏切られた確信があったから、怨嗟が生まれたのね」
アンナは心の底からリカルドを愛していたのだろう。リカルドもきっと。
でも、彼女の愛情をリカルド受け止められなかった。
不運なすれ違いが生んだ悲劇は、ただ不運なだけで、救いなんてどこにもない。
「エマはアンナの死に顔に何を投影したの?」
「両親よ」
エマは小さく笑う。
「私が初めて見た死体も肉親のものだったの」エマは遠くを見るように目を細める。「ケイトと同じだなんて、素敵な偶然だわ」
そんな偶然、嬉しくないよ。
私はそう言わなかった。
どうしてか、少し嬉しかったからだ。
鋼鉄にさえ思えるエマの心にあるかすかな傷が、私のものとわずかに似ているのかもしれない……なんて幻想を抱いてしまったからかもしれない。
私は人を愛したことがない。
「誰か」を大事にしようと努力したことはあるけれど、上手くいかなかった。
他人から優しくされて、同じだけの優しさを返せるほど「誰か」に関心を向けることができない。
私が一番愛しているのは私自身で、私はそんな自分が好きではない。
崩壊していく姉を見て、私はほっとしていた。
そんな姉に優しさを向ける母を呪った。
母は私と姉に平等の愛情を向けていた、と客観視することはできるけれど、納得はしていない。
あの惨劇はお前がが招いたのだ、と糾弾されることがあったとしたら、私は泣きながら首を差し出す……なんてことはなく、自己保身の弁解をするに違いない。
逃げて逃げて、冷たい土の上で野垂れ死ぬ。
それが私に相応しい終わり方なのだろう。
――でも、どうせいつか死ぬなら。
――あの夜のように、エマに看取られて終わりたい。
私とエマはどのような結末を迎えるのだろう。
私は死体を見るエマに恋し、エマは私の死に顔を想っている。
私たちは互いに好意を持っているけれど、少しも噛み合っていない。
私とエマは同じ時間を共有しているけれど、見ている世界の景色が異なる。
私たちの線は交わることなく、どこまでもすれ違っている。
もしかすると、明確な結末なんてものはないのかもしれない。
スピーカーから流れていたラブソングがサビに差し掛かる。
男性歌手が低音にビブラートを響かせながら胸焼けがするくらい「愛している」を繰り返す。
私とエマは顔を見合わせて、ラジオの音量を下げた。
【地獄のような顔をした女 END】
読んでいただきありがとうございます。
次の更新は2月14日(火)ごろです。




