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〈死体拾い〉のエマ  作者: しゃかもともかさ
1.地獄のような顔の女
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 エンジンの音に混じってラジオから最近流行りの曲が聞こえてきた。

 男性のハスキーな声で歌われるポップスで、私は歌手と曲名を知らない。

 私はあらゆる芸術の中で音楽に最も関心がないのだ。

 潜在的に音への感受性が薄いのだろう。


 詩そのものは理解できる。

 だから、詩が良い曲であればある程度は関心を向けられる。

 でも、この曲の歌詞は耳心地の良さそうな言葉を選んでいるだけで、何かを訴えるような意図を感じない。


 流行の音楽とはそういうものなのかもしれない。

 大衆が好むのはいつだって意味のないものだ。

 実際、私だって読む本は何の役にも立たない娯楽小説ばかりである。経営や経済、哲学の専門書を手に取ることはしない。


「怒ってる?」

「怒ってないわ」


 エマはそう言ったけれど、彼女の態度はとげとげしかった。運転も荒い。

 エマがハンドルを切ると、私は振り子のように身体を左右に揺らされた。


 私とエマは車で隣町の留置所に向かっている。


 今日付けでリカルドの刑が執行されたのだ。

 刑の内容は左腕の肘から先、右足の膝から先、左足の薬指と人差し指を「死体」として教会に寄与することだった。


 不景気だ。

 罪人を閉じこめて飼うだけの財政的余裕は教会にはない。強制労働のための公共事業は縮小している。

 だから、こういう手っ取り早い刑が好まれる。


 私はエマの名前を使って留置所に電話をし、〈死体拾い〉として仕入れを提案した。

 私にとって幸運なことにその機会は訪れた。


 私は鞄から干したイチジクを取り出し、エマの口に持って行く。

 彼女は微妙な顔をし、目を泳がせ、何か堪えるような表情をしたが結局それに噛みついた。

 私に対する不満と食い意地を秤にかけていたが、結局負けたらしい。


 曖昧な顔で口をもごもごと動かすエマの顔を横目で眺める。

 「生きてる人間嫌い」の彼女のこんな表情を眺められるのは私にだけ許された特権かもしれない。


 エマにはいくつかのこだわりがある。

 新聞の行方不明者リストと訃報を毎日確認すること、猫を見かけたら話しかけるのを試みること、寝る前にホットワインを飲むこと……など様々だが、そのうちの一つに「死体以外を運ばない」というものがある。


 各地を転々とする〈死体拾い〉は副業として人や物を運ぶこともある。

 でも、エマはそれをしない。

 エマと出会ったばかりのころ、ある町で手紙を届けて欲しいと頼まれたが、彼女はそれを頑なに断った。

 エマにとって死体以外は余分なのかもしれない。

 そして、生きている人間の身体から取り外された肉片は死体と呼べない。


「ケイトはどうしてリカルドに興味を持ったの?」

 イチジクを飲み込んだエマが口を言った。

「アンナの顔は魅力的だったかもしれないけど、事件としては単純よ……。あなたが野次馬をする理由が分からないわ」


 お気に召したらしい。

 エマが「もう一個」を要求していたので少し小さめの欠片を彼女の口に持って行く。

 なかなか懐かない野良猫に餌をやる気分とはこういうものだろうか。


「リカルドは私の姉と似ている気がするんだ」

 私はできるだけ平坦な口調で返事する。

「気がするだけだよ。間違いなく錯覚……もしくは幻想だ」


      *


 町の外れにある留置所に到着する。

 有刺鉄線に囲まれた打ちっ放しの無機質な建造物で、窓は鉄格子で覆われている。

 かすれた表札から元々は私営の図書館だったことが分かるが、その面影はどこにもない。

 蔵本は全て売り払われ、教会の懐にでも入ったのだろう。


 入り口のところに衛兵が一人立っていた。

 警備は彼と建物を囲む有刺鉄線の柵だけで、罪を犯した人を留める場所にしては脆弱に思えた。


「資金不足かしら」

「最近、平和だからね」


 衛兵の主な資金源は教会からの予算の割り当て、つまり税金だ。

 副収入は殺した異教徒や異端者の死体だろう。

 争いがない状況が続くと衛兵に当てられる予算は減るし、異教徒や異端者を殺して死体を卸すことができない。

 国境沿いで起きた異教徒の暴動は彼らと〈死体拾い〉にとって景気のいい話となるだろうか。


「ケイトはリカルドを救いたいのかしらね」


 運転席に座るエマは明後日の方向を見ていて、彼女の唇から吐き出された言葉は呟きは私に向けられたものではなく、独り言のように聞こえた。

 だから、私も独り言として返す。


「誰かを救いたいなんて思わないよ。私は優しい人ではないから」


 可哀想な人を見て可哀想だと思うことはある。

 でも、助けになりたいとは思わない。思えない。

 私は昔から無力で無気力な人間だった。


 だから、姉のことも見捨てた。


 そのことを後悔している。

 その後悔を拭いたくて、姉を追いかけている。

 意味がないことをしている自覚はある。

 姉に今更かける言葉なんてない。

 でも、「意味がない」と諦めるための決断力さえないのだ。


「私は、私が救われたいだけなんだろうね」


 私は車を降りる。エマは降りなかった。

 靴の裏に感じる砂利が、酷く乾いて感じた。


読んでいただきありがとうございます。

次の更新は1月7日(火)ごろです。

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