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09 答え合わせ

 



 見上げた雑居ビルの四階にはDaily’s(デイリーズ)の看板が掛かっている。

 リュックサックを脇に抱え、ぐっと私は息を呑んだ。どうにか呼気を整えて、四階へ向かうエレベーターに乗り込む。間抜けなベルの音とともに扉が開く。レジの店員に待ち合わせ相手の名前を告げると、店員は「こちらです」といって私の前に立った。案内されたのは駅前の喧騒を見下ろす窓際のボックス席だった。すっかり陽も落ちて、狭いロータリーにはバスや送迎の乗用車がひしめいている。テーブルの上のグレープソーダのグラスと、ほとんど手つかずのフライドポテトの皿が、夜景の広がる窓ガラスに仲良く映り込んでいた。

 ポテトの前には先客がいた。

 もじゃもじゃ天然パーマの彼は、顔を上げて、あの暗い瞳で私を一瞥した。


「来たか、綾瀬」

「いつからいたの」

「二時間くらい前。ずっと過去問やってた」

「そう」

「悪いな、急に呼び出したりして」

「……急に連絡きたのは、びっくりしたけど」


 おずおずと脱いだコートを折り畳んで、カバンと一緒に座席の奥へ押し込む。取調室に押し込められた囚人のような気分で腰かける私を、彼は暗い瞳でじっと伺っていた。

 小台(おだい)(あきら)

 数日前の勉強会のとき、中川に呼ばれて来ていた男子のひとりだ。

 連絡先を教えた覚えもないのに、昨日、唐突にメッセージが送られてきて、勉強に付き合ってくれるよう頼み込まれた。なるべく早い日取りがいいというので、今日、こうして会うことになった。中川に連絡先を聞いたのだと小台くんは説明した。いまさら()()()という名目を信じる気にはならなかったけれど、彼の手元を伺う限り、どうやら今回は本当に勉強をすることになりそうだった。


「なんで私なんかに声かけたの。勉強会の相手なんて他にいくらでもいるでしょ」


 小声で尋ねると、小台くんは黙って過去問集を掲げた。表題には【湯島大学附属高等学校】と書かれている。私は目を丸くした。


「俺、綾瀬の学校を目指してんだ」


 小台くんは低い声で畳み掛けた。


「綾瀬が湯附に通ってること、このあいだまで忘れててさ。出題傾向とか学校生活のこととか聞きてぇなって思って」

「このあいだって、中川主催の勉強会?」

「そう」


 目を伏せた小台くんが、ふたたび過去問集を机の上に開く。手元のルーズリーフには計算式や樹形図や展開図が雑多に並んでいる。数日前の勉強会でもひとり物静かに勉強していたのを、彼の手つきを覗きながら私は思い出した。

 拍子抜けした心から空気が抜けて、醒めたようにしぼんでゆく。なんなの、と心の中で小台くんを罵ってみる。関心を持ってくれたのなら、あの日、もっと声をかけてくれてもよかったじゃない。そうしたら私は多分、勉強会を逃げ出さずに済んだ。中川の顔に泥を塗らずに済んだ。おかげで私と中川の関係はぎくしゃくしたままだ。【うん】と半端な返事を送って以来、とうとう中川からのメッセージも途絶えてしまった。困惑気味な既読表示の向こうであいつは今も黙り続けている。


「話しかけづらかったんだ。久しぶりだったし、誰も綾瀬と話してなかったし」


 空気を読んだように小台くんが言い訳を垂れた。


「それに、俺みたいなのにぼそぼそ話しかけられても、綾瀬も話しづらいだろ」

「……そんなこと思ってない」


 私も小台くんにならって目を伏せた。裏のある人柄を疑われているようで心外だったし、それ以上に少し、悲しかった。ただの自虐と分かってはいるのだけれど。

 小台くんはふたたび黙ってペンを動かし始める。

 そのぎこちない指さばきに見とれながら、こんな人だっただろうか、と思う。むかしの小台くんはもっとマイペースで、誰かの意向に流されない泰然とした子だった。寡黙ながらも自分の意見はしっかり持っていて、求められれば素直に開陳していた。いたずらに自分を貶めるような台詞なんて、あの頃は聞いたこともなかったのに。


「なんか……変わったね」


 思いきって切り出すと「そうかな」といって小台くんは唇を結んだ。


「小学校の頃から無口とか無愛想とか、いろいろ言われてはいたけど」

「無口だったのは私もなんとなく覚えてる」

「綾瀬が言うんだからよっぽどだったんだな」


 どういう意味なのかと問い詰める文句を私は飲み込んだ。シニカルな色を唇に含ませたまま小台くんはペンを走らせる。確信めいた思いが胸に走った。むかし同級生だった頃は、こんな嫌味な笑い方をする人じゃなかった。うら寂しい思いを指先で持て余していると、ふと、小台くんがペンを止めた。


「正直、ちょっと安心したんだ。綾瀬がちっとも変わってねぇから」

「……悪かったね」


 精一杯の皮肉を交ぜて突っぱねたら、「違う」と小台くんは顔を上げた。たわしみたいな黒髪の下で、暗い眼光が揺らぎがちに私を見つめていた。


「そういう意味じゃない。なんていうか……こうして昔みたいに俺と話してくれるやつなんて、お前と、あとはせいぜい中川くらいだから」

「こないだ集まってたメンバーは?」

「あんなのぜんぶ中川の繋がりだよ。普段は中川以外、誰も話しかけてこねぇ。嫌われてないだけマシって感じ」

「仲違いでもしたの」

「仲違いしたっていうか、俺が一方的に遠巻きにされてるだけ。もとはといえば俺のせいだから」

「どういうこと。何かあったの」

「言えねぇよ、そんなの」

「ここまで匂わせておいてそんなの卑怯でしょ」


 むっと私は身を乗り出した。いまさら寸止めを受けねばならないほど信用がないなら、初めから何も切り出さないでほしかった。つまらない意地を込めて睨み返すと、小台くんは目をつむり、首を振った。まとわる痛みを振り払うようなそぶりとともに、灰色の頬に鈍い赤みが差した。


「失敗したんだよ。……恋愛で」

「恋愛?」

「ずっと好きだったやつがいたんだ。桜葉小の出身じゃないから、たぶん綾瀬は知らないと思う。そんで去年の夏に告白したんだけど、よほど俺、不気味なやつだと思われたんだな。振られるだけじゃ済まされなくて、告白したのを全学年に言い触らされた。カースト上位の常連みたいなやつだったから、それからはもう目も当てられなかった。一年間、殴る蹴るのいじめが続いた。女子は誰ひとり話しかけてこなくなった。そんでいまだにクラスの連中から遠巻きにされてる。去年の夏から、もう一年半」


 小台くんの唇は腫れ上がっていた。その赤黒い唇に、学ランの袖に隠れた肌に、降りかかった理不尽な暴力の痕が今にも浮かび上がってくるようだった。受け止めきれずに絶句する私をうかがって、小台くんは歯の隙間から失笑を漏らした。底の見えない(もや)で瞳が曇ってゆくのを私は見た。


「当然でしょ、って思っただろ」

「……思ってないよ」

「いいよ、笑えよ。もう笑われるのにも慣れたし。何が面白いのか知らねぇけど、頭からバケツで水を掛けられて『海坊主』とか何とか……」

「だから思ってないってば! 決めつけないでよ」


 むきになって私は身を乗り出した。顔も知らない自信過剰な彼女と、物言わぬ深海棲の私を一緒くたに扱われてはたまらなかった。かける言葉が浮かばなかったのは、小台くんの背負う痛みを想像して身が(すく)んだせいだ。精一杯の告白を拒まれたのみならず、その真心までも踏みにじられて、小台くんの胸がどんなに痛んだのか想像するに()えない。いま思えば、勉強会の時に話しかけてくれなかったのも、拭い去れずにいる人間不信の証左なのだろうか。人間関係の失敗が生んだ根深い自己否定は、絡みついた海藻のように私たちの足を引っ張り続ける。私も、そうして溺れた人間のひとりだ。


「……優しいな、綾瀬は」


 鳥の巣みたいな天然パーマに指を入れて搔きながら、ごまかすように小台くんは口元を和らげる。暗闇色の大窓に映った顔も、声も、やっぱり私の知る小台くんではなかった。そこにいるのは心の引き裂かれる痛みを知った、ひとりの大人びた青年だった。

 何と返せばいいのか分からずに私は首を振った。

 自分への期待値が上がると息が苦しくなる。いつもの口癖が無意識に唇を濁した。


「別に。……私もそういうの苦手だから」

「綾瀬も悩んだりしたんだ」

「当たり前でしょ。悩んでばっかりだよ。人間関係なんか……」


 小台くんのように具体例を明かす気には、まだ、なれなかった。呼応するように窓の下で乗用車がクラクションを鳴らした。くぐもった警音にまぎれて嘆息した小台くんが、頬杖をついた。


「あれからこっちの人間関係もだいぶ変わったよ。綾瀬は知らねぇだろうけど」

「そうだろうな。なんか、みんな変わっちゃった」

「中川と梅島が()()()()()()のは知ってんの」


 ずんと胸に衝撃を受けて、私は声を凍らせた。辛うじて発せたのは「過去形?」の一言きりだった。さしてためらいもなく「過去形だよ」と小台くんは言い切った。真っ白になった頭を抱えかけて、小台くんの前であることを思い出して踏みとどまった。

 過去形だったというだけじゃ安堵できない。

 だって、付き合っていた事実は消えないから。

 内心、わずかな期待を捨てられずにいた。二人とも距離感がおかしいだけで、そういう関係でも何でもないんじゃないかって。けれども小台くんの暴露は虫のいい期待を粉々に打ち砕いた。もはや私は中川の初めてにはなれない。私の血で梅島さんの味を上書きすることはできても、はじめての鮮烈さを味わい合うことはできないのだ。

 相反する感情が渦を巻いて融け合って、青ざめた頬を熱くする。小台くんが「やっぱ分かるんだな、そういうの」とつぶやいた。いやに私は泣きたくなった。


「つい最近まで付き合ってたよ、あいつら。別れた理由は聞いてねぇけど、気づいたら中川のほうから振って別れてた。いまだに梅島は中川にベタベタしてるけどな。そもそも梅島が告白して付き合ったらしいし、まだ未練たらたらなのかもな」

「……そうなんだ」

「中川も勉強会に梅島なんか呼ばなきゃよかったのに。意外と無神経だしな、あいつ」


 鼻を鳴らした小台くんがノートに目を落とす。私は肩をすくめた。女狐を威嚇するような梅島さんの眼差しが思い出されて、また少し、心が弱った。

 見逃せない違和感が胸をかすめたのはそのわずかにあとだった。


()()()ってどういうこと。あの勉強会、みんなで発案したんじゃないの。同窓会の代わりにって」


 目をしばたかせたら、小台くんも私の真似をした。


「そんなこと言ってたのかよ、中川」

「違うの」

(ちげ)えよ。同窓会の話なんて何も出てない。勉強会やらないかって声かけられただけだ」

「え……」

「正直、俺、勉強会なんて建前だと思ってたし」


 口の裏に溜まったつばを私は一気飲みした。口の中がひどく乾いて、「なんで?」と尋ね返す声もかすれた。「なんでって……」と小台くんは眉をひそめた。


「だってあいつ、基本的に人前で勉強したがらねぇんだよ。受験勉強だって、俺らと違ってわざわざ隣町の塾に通いながらやってる。解いてる過去問も見せたがらねぇし」


 言われてみれば中川は通塾のために隣町の南千住まで通っている。窓の外に広がるビル街を見下ろしながら、押し寄せてくる不気味なざわつきに私は胸を震わせた。ただ単に受験対策を求めるだけなら、わざわざ南千住に行かなくとも北千住(こちら)で済む。北千住には進学塾も大手から個別指導まで一通り揃っている。中学受験期の私も駅前の進学塾に通っていた。


「みんなも不思議がってたけどな。あの中川が自分から進んで人を集めるなんて珍しい、何かあるんじゃないかって。そうでなきゃ、あんなに何人も集まったりしねぇよ。みんな勉強で忙しいんだから」

「そんな受け身な人だったっけ……」

「あいつはもともとそういうやつだろ」


 小台くんは嘆息した。


「いまも昔も中川は受け身だよ。頼まれなきゃ何もしないし、誰にも心を開かねぇ。元カノの梅島にすら開いてなかったらしい。よく梅島が嘆いてるのを聞いてた。わたしばっかり(かなた)に尽くしてる気がする、奏の気持ちが分かんないって」

「……そうなんだ」

「そんなに意外か」


 むくりと小台くんが顔を上げる。私は慌てて「ううん……」と首を振りながら、動揺の収まらない心をそっと上着で隠した。意外とか、期待外れとか、そんな安っぽい言葉じゃ動揺を片付けられなかった。だって、小台くんの語る中川の人物像は、私の知るそれとはあまりにも食い違っているから。

 中川は分け隔てのない慈愛にあふれた優しい人。誰かを差別することのない、童話の中の王子様みたいな人。もしも小台くんの言うような人柄であるなら、深海で息をひそめながら生きている私の存在など歯牙にもかけなかったはずだ。だけど現実には中川は私に手を伸ばして、陽光の差す海の上へ引き上げようとしてくれた。何度も、何度も。私から頼んだことなど一度もないのに。


「まぁ、いちばん分かんねぇのは、あいつが綾瀬にも声かけてたってことだけど……」


 がりがりと小台くんが髪を掻いた。いやに中川の手癖に似ていたものだから、つい、意識を奪われてしまった。


「理由とか聞いてないの」

「俺は聞いてない。綾瀬も?」

「私も……。そもそも再会したのも最近だし、再会したその場で誘われて、断れなくて」

「いまはどういう関係なの」

「どういう関係でもないよ。友達じゃないし恋人でもない。たまに一緒に帰ってただけ」

「それもあいつが言い出したのかよ」


 うなずくと「ふぅん」と小台くんは目を細めた。

 それから、小さく丸まった私の姿を見回して、また頬杖をついた。


「あいつなりに何か思うところでもあったのかな。初めて人を集めて勉強会なんか開いたのも、そこに綾瀬が呼ばれたのも、まるっきり無関係には思えないし。……でも多分、あいつは何も教えてくれねぇだろうな」


 そうだろう。きっと中川は何も話してくれない。私だって自分の心境を明かしていないのだからお互い様だ。うつむきがちに私は失笑を漏らした。こめた自嘲はすぐに流れ去って、代わりに「難しいな」とつぶやいていた。


「どうして素直になれないんだろう」


 私も、あいつも。ただでさえ本性を晒すのが苦手なのに、歳を追うごとに心を隠す(すべ)ばかりが上達してゆく。すかさず「大人になったんだろ」と小台くんが応じた。認めがたい真理を突きつけられた私は黙り込むしかなかった。

 やけくそのように小台くんはグレープソーダを一気飲みした。


「俺もだ。嘘を重ねて心を隠さなきゃいけない時もあるってことを、この三年間で嫌になるくらい学んだ。……俺たち、もう、素直に何でもかんでもさらけ出せる歳じゃないんだ」


 まばゆい街明かりが瞳に映って、私の視界を少し曇らせる。そっと口をつぐんだまま、眼下の街並みを見下ろした。無数に行き交う人々のあいだを、数日前の私が半泣きで駆け抜けてゆくのが見えた。どれが本心で、何が嘘かも分からないままに中川を突き放した私は、上から見ると物心のついていない子供みたいにちっぽけだった。

 つんと痛みが走って、私は目を閉じた。

 もたれかかったソファ仕立ての座席に体重を預けて、中川の顔を思い浮かべた。荷物をまとめて立ち去る私を引き留めきれずに、悲愴な色を湛えながら見送る中川の顔を。もちろん私は背を向けていたから、本当の表情なんて知るよしもないのだけど。


──『同窓会みたいなことやれたらいいねってみんなで話してるところなんだ』

──『せっかくこうして再会できたんだし、綾瀬も来てよ』

──『勉強会っていう名目でやろうって話してる。綾瀬は頭のいい中学に通ってるし、きっと頼りになると思うんだ』


 いつかの誘い文句が脳裏に甲高く反響した。

 私は綺麗に騙された。同窓会の計画なんて初めから存在しなかった。小台くんや梅島さんは私の同席も予告されないまま「勉強会をやる」といって招集された。みずから進んで何かを働きかけることのない受動的な中川が、なぜか突然、勉強会の企画を思いつき、そこに再会したばかりの私が誘い込まれた。それらがただの偶然ではないとしたら、考えられる可能性はひとつしかない。中川は()()()()()()()勉強会を開くことを思いついたのだ。おそらくは私と二度目の再会を果たした、あの桜葉小学校前の道端で。同じクラスの子ばかりが呼ばれていたのは、それが手っ取り早く声をかけて集められる面子だったため。同窓会でなく勉強会の体を選んだのは、受験期の同級生たちを呼び込むのに都合がいいだけじゃなく、勉強しか取り柄のない私に最低限の居場所と話題を保証するため。

 すべて私のため。

 (くら)い海の底を一人さまよう私に、もとの居場所(コミュニティ)のありかを教えるため……?

 いまさら気づいたわけじゃない。本当は、ずっと前から分かっていた。卒業式の夢に中川が出てきて、みんなと一緒に手を差し伸べてくれた日から、中川の言葉を信じると決めていたはずだった。それなのに土壇場で私は中川を疑ってしまった。手間をかけて中川の用意してくれた機会を、かけてくれた真心を、残らず踏みにじってしまった。もう期待しないだなんて自暴自棄に喚き散らして、中川の気も知らずに逃げ出して──。


──『こんなつもりじゃなかったんだ。頼むからリベンジさせてよ。今度はもっと楽しくなるように、もっと混じれるように僕も頑張るから……』


 いつかの中川が悲愴な声で叫ぶ。

 痛みに耐えかねて胸を押さえる私を、「どうしたんだよ」とまごついた面持ちで小台くんが覗き込んだ。いつものように「別に」といって取り繕うとして、持ち上げた手が無意識に頬を拭って、そこで初めて私は泣いているのを自覚した。

 なんでもないよ。

 みずから引っくり返したお盆の水を、半泣きで啜っているだけ。

 ああ。いまから中川のところへ行って頭を下げても、きっと中川は許してくれないだろうな。あれだけ突っぱねておきながら復縁しようだなんて虫が良すぎるかな。なんだか二度も失恋した気分だ。さっきまでは私の側から振ったつもりでいたのに、今度は私が中川に振られてしまった。失恋の痛みにはいつまで経っても慣れそうにない。


「……なんだか知らないけどポテトでも食えよ。満腹で食う気が起こらねぇ」


 テーブルの上の皿を小台くんが指先でつついた。手つかずのフライドポテトがしなびた櫓を作っている。不意の親切に私は毒気を抜かれた。そっと最後のしずくを指先で払って、「何それ」と溜め息を漏らしながら一本つまんだ。


「慰めのつもり?」

「俺、こういうことしか思いつかねぇから」


 ぶっきらぼうに小台くんはペンを走らせる。

 また少し泣きたくなって、私は塩味のポテトを口に押し込んだ。得も言われぬ安堵と切なさが舌先に膨らんだ。──深追いされなかったことに安堵したのじゃない。目を伏せ、もどかしげに過去問と向き合う小台くんの肩に、むかしと同じ不器用な同級生の面影をかすかに見た気がして。





「それとも二人は、そうじゃないの?」


▶▶▶次回 『10 友達』

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