プロローグ:8【ヨルハとリコリス】
「むふー」
「嬉しそうだな。ハッピータンタンキメた?」
「キメた。我が世の春⋯⋯来たれり⋯⋯!」
「この浮かれよう、キャラ崩壊一歩手前レベル」
入荷をよほど楽しみにしてたんだろう。
いつも眠たげでダウナーな顔が、気持ち緩くなってる。先週間違ってリコリスのプリンを食べてしまった事も、今なら笑って許して貰えるかも知れない。
いや無理か。後日プリン作ってあげた分でちゃらとして、掘り返すのはやめとこ。
「今日は火鈴も遅くなるだろーし、どうする? 飯でも買って帰るか?」
「直帰一択」
「いやいや、晩飯どーすんだ。また食われそうになんのは御免なんだが」
「作り置き、頼んでるから問題ない」
「やだこの子、用意周到過ぎる⋯⋯」
どんだけテンション上がってんだか。
普段のおっとりレスポンスも、今ではまぁ速いこと。
娯楽の時ばかりは、怠惰とは無縁なくらいにあれこれと活発になるリコリスであった。
きっと帰宅するなり即、本の虫ならぬゲームの虫になるつもりなんだろう。
その後、知り合いとの飲みから帰った火鈴と鉢合わせて叱られる未来まで見えた。
いや。勘の良いあいつの事だ。ひょっとしたら作り置き頼まれた時点で察してるかも知れないな。
「⋯⋯ん?」
「どうしたの」
「や、あっちの方。なんか騒がしいから」
「⋯⋯大通りは大体騒がしい」
「まぁそうなんだが⋯⋯」
不意に人だかりを見つけてしまえば、先を急いでいても気になってしまうのが人のサガ。
て訳で耳を澄ませてみると、何やら興奮した声が漏れ聞こえて来た。
「推しキタァァ!! 握手してくれぇ!!」
「サイン! サインちょーだい!」
「きゃー! ヨルハ代理官様ぁ! こっち見てー!」
「踏んで下さい」
「罵って下さい」
千切れ飛ぶ歓声からして、有名人か何かでも居たんだろうか。よくよく見れば凄まじい人だかりだ。
男女違わずな黄色い悲鳴からして、よっぽどの人気者なんだろう。
しかし、やべぇな。違うベクトルで興奮してる輩が混ざってる。淡々と懇願する辺り相当訓練されてやがるな。
「ん? 待てよ、ヨルハって⋯⋯⋯⋯っ! とと、急に引っ張るなよリコリス」
「早く帰る」
「えー、もうちょい見て行かねーの?」
「帰る。ゲーム、する」
リコリスにとっては有名人よりも、買ったばかりのゲームの方がよっぽど大事なんだろう。
強引に手を繋がれ、更にはグイッと引っ張られる。
その足並みは淀みなく帰路へと向いており、騒ぎの方を見向きもしない。
俺としちゃ気になる名前があったから留まってみたいんだが、こりゃ説得したって聞き入れそうにないな。
小さな手から伝わる彼女の意志と温度は、柔らかい肌とは裏腹に頑なだった。
◆ ⋯⋯だが。 ◆
急がば回れって諺があるように、惹かれるものからそっぽを向いてみるのは思わぬ近道になる時もあるらしい。
何故なら。
帰路への街道を一歩踏み出したその側で、群衆から逃げて来たらしき、有名人がそこに居たのだから。
「ハァ⋯⋯折角のオフだったのに。野次馬は面倒ったらないわね」
「夜羽様。応援して下さる方々に、そう仰るものではありませんよ」
サラサラ流れる三途の川の沿道。
衣領樹より小さく痩せた枯れ木の側で、二つの影が言葉を交わしている。
片方には、見覚えがあった。
胸やら肩やら脇やら、所々にジッパーの付いたレザージャケットに黄色いスカート、白ストッキングと過激なファッションは否が応にも目を惹く。
だがそれ以上に、小さいサングラスを鼻先にズラし、被っている紺色のニット帽を苛立たしげに掻いてるその少女は⋯⋯"透き通った金糸色の髪"に"奥深い翡翠色の瞳"を持っていた。
あぁ、見間違いじゃあないだろう。
なんせこないだテレビで見たばっかりだし。
「うっさいわね。こっちがわざわざグラサンやら帽子やら被ってんのに、何も察さずに集ってくる連中が面倒以外の何だって言うのよ」
「察した上でなお、夜羽様にお声をかけてみたいという気持ちを抑えられなかった、という事も充分にあり得ますよ?」
「だぁぁもうっ、一々うっさいわよ、楽花! アタシの召使いだってんならちょっと気を遣いなさいよ」
対して、虫の居所が悪そうな有名人を、微笑を浮かべながらもやんわり宥める人物には見覚えがない。
ただし、こちらもこちらで目を惹いた。
深いグリーンカラーの跳ね気味な長髪に、慈悲深そうな金色の瞳。
身に纏ってる燕尾服⋯⋯いわゆる執事服からして男性なんだろうが、十人が十人、美形と迷わず評しそうな顔立ちからでは今ひとつ判別出来る自信がない。
声も同じで、高いとも低いとも取れる中性的な響きだ。
「常日頃、お嬢様に対しては気を遣ってるつもりですが」
「いけしゃあしゃあと。だったら今日だって付いて来なくても良かったじゃないの」
「それはそれ、これはこれですので」
「⋯⋯クビになんないかしら、この執事」
会話の内容から察するに、あの閻魔代理官、夜羽とその付き人って事なんだろうが⋯⋯まさか執事付きのお嬢様だったとは。
流石は、推し率ナンバーワン閻魔代理官様だ。
やっぱ「おーっほっほっほっ」て高笑いとかすんだろうか、と下らない邪推が首をもたげた時、不意に気付いた。
あれだけ俺を引っ張っていた隣が、ピタッと止まっていることに。
「おや⋯⋯?」
「どうし⋯⋯⋯⋯って、あんたは」
が、それと同時に向こうさんも此方に気付いたみたいなんだが。
気付や否や、猫科を思わせる強気な目元が更に攻撃的に吊り上がったように見えて、どうにも雲行きが怪しかった。
「これはこれは⋯⋯どっかで見た顔と思ったら、リコリス"様"じゃないの。デートでもしてたのかしらね?」
「⋯⋯⋯⋯」
「⋯⋯なに、知り合い?」
なにこの重い空気。
様付けの名指しにしては、やけに嫌味たらしい言い回し。敵愾心とでも言うんだろうか。
言葉の端々から伝わる刺々しさに、胃の下がチクチクと痛む。
状況の読み込めなさに隣に水を向けるが、リコリスは黙って俯いたままだった。
「良い気なもんね。政庁じゃ裁判待ちの亡者が溢れかえって、まだまだ首が回らないってのに」
「わ、私には⋯⋯私の、仕事が⋯⋯ある」
「仕事? あぁ、相談事務所とかいう。上がり待ちの犬猫相手にくっだらない雑談するなんて、脳味噌のない小鬼でも出来そうなもんだけど」
「⋯⋯⋯⋯」
まずいな。
恐らく夜羽はリコリスの知り合いで間違いないんだろう。
あれほど有名な閻魔代理官と繋がりがあった事には驚きだが、どうにもあっちはリコリスに対して不満があるらしい。
少女漫画の序盤に出る性格の悪い敵役のような、露骨な嫌味。
リコリスの腕に収まるレジ袋が、声にならない悲鳴みたくクシャッと鳴った。
「あんたにとっちゃ地獄の現状も、対岸の火事って事なのかしらね。大王様もまだ復帰の目途も立ってないっていうのに⋯⋯ほんと、良いご身分だわ」
「⋯⋯うぅ」
「お嬢様、言葉が過ぎます」
「良いのよ。事実じゃない」
「お嬢様!」
羅刃って名前の執事の静止も夜羽はどこ吹く風だ。
聞き入れる気がないのは自分の言い分の正しさを疑ってないからか。それとも、彼女にとってよっぽど腹に据えかねる事だからか。
「リコリス、腹減らね?」
「渚⋯⋯?」
まぁ、どちらにせよ⋯⋯今の俺には関係ないな。
空気読んで黙ってるのも柄じゃないし。
「どっかの誰かさんの暴食病が感染ったやも知れん。今俺、腹減って死にそう」
「⋯⋯病気扱いは、心外」
「っかしーよな、暴食の日は過ぎたばっかだって言うのに。もうこれはリコリスの溜め置きしてる菓子をくすねるしか」
「駄目。あげない」
「優しさはないのか」
「渚には遠慮がない」
どうやら暴食病って物言いが気に食わなかったらしい。
さりげなくリコリスの溜め置きにあるたけのこの町を狙ってみたんだが、俺の密かな狙いは敢え無く頓挫した。残念無念また来週。
だけども、リコリスのいつものペースを取り戻せはしたので良しとしよう。
「ちょっと。さっきから、そこのモブ男。いちいち間に入るんじゃないわよ」
「⋯⋯うわキッツ。別に主役級とは思ってねーけど」
「自覚はあんのね。だったら引っ込んでなさい」
「いやキッツいのはおたくの性格がって意味ですが」
「あんですってぇ!?」
っといかんいかん。
ついリコリスをからかうモードのスイッチ入ったままだったから、オブラートに包む事を忘れちまってた。
「どうしてそんな風にこいつに突っかかるのかは知らねーけどよ、そこまでにしといてくんね?」
「なんであたしがモブ男の指図なんて聞かなくちゃてなんないのよ」
「だったら⋯⋯俺は伊達 渚。はいこれでモブじゃなくなったな」
「はん。あんたの名前なんてどーでも良いんだけど」
「へーへー。じゃあ覚えなくて良いから、もちっと察してくれよ」
「なにをよ」
が、丁度良い。
美少女同士の間に割って入る趣味なんてねーけど、ここまで来たら毒を食らわば皿までよ。
「俺の空腹がリコリスに感染る前に、さっさと帰って飯にありつかなきゃならんって事だ。さもなくば」
「さもなくば、なによ」
「──俺が、晩御飯になる」
なんで俺はこんな台詞をキメ顔で言ってしまったのか、自分自身でもワカラナイ。
さっきまで眉を逆さ八の字に吊ってた夜羽も、ぽかんと口開けて固まってるし。
やべぇどうしよこの空気、なんて密かに焦ってると、背中をペシペシと叩かれた。
「⋯⋯ならない。失礼」
「いやいや。つい先日のことをもう忘れたんか貴様」
「記憶にない。たぶん妄想」
「都合の良い記憶回路してらっしゃる」
「⋯⋯全然記憶喪失っぽくない記憶喪失者に言われたくない」
「それを言ったら⋯⋯戦争だろうが⋯⋯!」
そして気が付けば何故かリコリスと言い合いになってる件。もうこれ分かんねぇなぁ。
「⋯⋯チッ。帰るわよ楽花。これ以上相手してるとあたしにまで馬鹿が感染るわ」
「暴食病では?」
「ある訳ないでしょそんな病気!」
「ははは」
まぁそんな光景に馬鹿馬鹿しくでもなったのか、呆れ100%な溜め息を吐き捨てながら夜羽は踵を返す。
どうやら帰ってくれるらしい。胃の痛い時間は終わりということだ、やったね。
と、こっそり安堵していたのだが。
「⋯⋯⋯⋯『閻魔の娘』が、いつまで燻ってるつもりなのよ」
背を向けたままの、去り際。
緩んだ空気を許し切れない少女の独白を、風がさらう。
「────」
それでも言い返す言葉を持たない隣が、小さく唇を噛んだのを。
部外者である俺は、見逃してやる事しか出来なかった。
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