案件:3【浄玻璃鏡。むらさきかがみではないです】
「⋯⋯【浄玻璃鏡】って、閻魔道具の?」
あまりに予想外だった言葉に固まっていれば、眉を不思議そうに潜めた火鈴が尋ねる。
──浄玻璃鏡。
かの閻魔大王が罪人を裁く時に、生前の行いを映し出す水晶製の鏡のことだ。
閻魔大王といえば嘘が通用しない事で有名だが、通用しない理由はまさにこの鏡にあり、地獄裁判の法廷に設置されてる巨大な水晶鏡もこれである。
どんな巧みな嘘でも、決定的な真実を覆えない。
更に舌を引っ込ぬく逸話もセットで有名な鏡ではある、けども。
「応よ。閻魔なら誰でも使えるんだろ? ここの室長も、その閻魔なんたらの一員って聞いたが」
「や、ちょい待ち⋯⋯なあ火鈴。浄玻璃鏡って確か、罪人の生前の行いを映し出す鏡⋯⋯だったよな? 」
「⋯⋯うん、そだね」
「銀次さんって記憶喪失?」
「あぁ? 産まれてこの方、んなもんになった覚えはねーぞ」
「じゃあ、なんでそんなもん使いたがるんです? 分かるのなんて、生前の行い⋯⋯つまりは過去ぐらいっしょ?」
そう、銀次さんの目的が見えない。
死の衝撃で記憶が飛んでるとかなら分かるけど、そんな感じもしないし。
訝しむ俺に答えたのは、強面のニヒルな笑みだった。
「嘘はいけねぇな」
「はい?」
「隠すんじゃねぇよ⋯⋯⋯⋯俺が使えって言ってるのは、浄玻璃鏡の"もう一つの力"の事だ」
「もう一つの力⋯⋯?」
「⋯⋯もしかして、現し世覗きのこと?」
「なんぞそれ」
「名前の通り、鏡を通して現世を覗く力のこと」
「ほほう、覗けると。閃いた」
「通報した」
現し世覗き、なにその厨ニっぽい隠し能力。
そんな不思議能力、かれこれ地獄に3ヶ月居るけども一度も耳に挟んだ覚えがない。
同じ疑問を抱いたらしき火鈴の目が、疑惑の色に尖った。
「冗談はともかく。おじさん、どうしてそれを知ってんの⋯⋯? 現し世覗きの事は、普通の死者が知り得るもんじゃないんだけど」
「⋯⋯さぁな。んな事はどうでも良い。大事なのは、出来んのか、出来ねぇのかだ」
「⋯⋯それを答えるには、せめて何に使うのかを教えて貰わないとにゃー。ナギみたいにエッチなことに使われたら困るし?」
「おい、さも前科みたく言うな。閃いただけだ」
「閃いただけでもアウトなのだよワトソンくん」
「世知辛いなホームズ」
急に剣呑なやり取りが始まったと思いきや、途端に火鈴の矛先が俺へと向けられていた。
引っ掛かりを覚えたのは良いが、睨み合いをする度胸まではないって事だろうか。
ノッてやったら背中にこそばゆい感覚。あ・り・が・と、と火鈴が長い爪でなぞったらしい。あらやだ可愛いとこあるじゃない。
「⋯⋯チッ、おめぇらと話してるとつい毒気抜かれちまうぜ。おいメイド、茶」
「あいあーい」
今一つシリアスになりきれない空気に言葉通り毒気を抜かれたのか、匙を投げるようにおかわりを求めた銀次さん。
このまま一服入れてお開きにしたいよ、俺も。
まぁそうはならないのが世の常なんだけどな。
◆ ◇ ◆
「娘さん、ですか」
「⋯⋯おう」
俺には娘が居る。
淹れ直した紅茶を啜りながら、中々に重い口ぶりで切り出された言葉がそれだった。
「丁度、そこのメイドと同じくれぇの年になるか」
「火鈴と同じってことは、中学生くらい?」
「あぁ。今年で中学二年になる」
「ははーん。右腕が疼き出す年頃ですな」
「謎の機関に命が狙われ出す年頃だな」
「優雨はンなとんちきな病気にかかっちゃいねーよ」
娘さんはどうやら優雨って名前らしい。
なんというか、銀次さんの娘にしちゃ軽やかな響きの名前だ。口にしたら睨まれそうだから言わねーけど。
「まぁ、馬鹿は風邪を引かねぇってやつかね。病気にゃ無縁で医者要らずの健康体だったが⋯⋯別の意味で手がかかる馬鹿だったよ」
「っていうと?」
「年が経つにつれ、やかましくなるわ、いちいち親のやる事に口応えしやがるわ。反抗期ってやつか。やれ足が臭いだの洗濯が下手だの、時間にルーズだの風呂が短いだの」
「顔が恐いだの目付きが悪いだの?」
「付け足すんじゃねぇよダァホ」
口にしたら早速睨まれましたよっと。
学習しない馬鹿が私です。
それからも娘さんの跳ねっかえり具合に色々と苦労させられただのと、背中を丸めた男の愚痴が訥々と続いた。
しかし、月曜の夜に流れてそうな、アットホームでドタバタなドラマがそこにはあったんだろうか。
ろくでもねー娘だ口うるせーガキだと散々こき下ろす癖に、切れ長な目尻が時折柔らかくなる。
誰に似たんだかな、と辟易とする男の顔は。
父親。そんな言葉が似合っていた。
(⋯⋯なんつーか。良いお父さんじゃん)
要するにだ。
銀次さんが現し世覗きを使って欲しい理由ってのは、つまりは遺してしまった自分の娘が気掛かりだったってことだろう。
第一印象からじゃまず見抜けなかった子煩悩な相談内容に、思わず肩の力が抜けた。
人は見た目で判断しちゃいけないってのはまさにこの事だな。
「おい。ここまで話したんだ。今更やっぱ無かったことに、は通らなぇぞ?」
「⋯⋯確約は流石に。俺自身が浄玻璃鏡をどうにか出来る訳じゃないっすから。けど、説得してみせるっすよ」
「ほぉ。男が男に切った啖呵だ。期待していいんだな?」
「うっす」
「あたしも説得するから、ま、大船に乗った気で待っててよ」
「泥舟じゃなきゃ良いがな」
「にゃにおー!」
男らしい逃げ道の塞ぎ方に、一瞬詰まりながらも何とか頷いた。
まぁ説得相手はリコリスだし、好物の菓子をちらつかせれば釣られクマーってなぐらいに釣れんだろ。
プレッシャーを感じてない訳じゃあないが、失敗なんて気にしたってしょーがないし。
なんて風に楽観主義を働かせながら、相談が一段落したことにホッと安堵した時だった。
「ご安心を。沈むかどうかの前に、その約束はご破算となりますので」
「えっ」
突然耳に届いた中性的な声に振り向けば、事務所の入り口のドアに人影が二つ。
目をこらすまでもない距離に立っていたのは。
「リ、リコリス?」
「リコ様⋯⋯」
「⋯⋯ただいま」
都市伝説相手にサシでお話していながら、いつもとなんら変わらない我らが無表情フェイスと。
「それに、あんたは⋯⋯」
「や、どうも、伊達くん。晩御飯にならなかったようで何よりです」
つい先日に顔を合わせたばかりの執事さんが、ぞっとするほど真っ直ぐに背筋を伸ばして、立っていた。