最近のなろう作者/読者と、それらを批判する人の違いについての考察。
まず最初に、私の言う「最近のなろう作者/読者」は主に2016年以降のあからさまに長文タイトルが目につくようになってからのことを想定しています。
なおかつ、この文章は全て私自身の主観ですので、100%正しいとは考えていないのでこう言う意見の奴もいるんだな程度で読んでいってください。
私は最近のなろう作者/読者とそれを批判する人達は根本的に価値観が違うと考えている。
記憶が曖昧だが、どこかの記事で読んだ「近頃のライトノベル読者は中身がわからないものを読みたがらない。」という意見にとても共感を覚えたことがある。
批判している人達の多くは、かなり昔からライトノベルを書店などで購入して読んでいる人達ではないかと考えている。
私はどちらかといえばこちら側の立場だ。
このタイプの人達は、題名からストーリーの全てが理解できない作品を好む傾向にあると思う。
例えばSAO、魔法科などの作品である。
要するには事前情報なしで「ソード〇ートオンライン」という題名から「そうか!突然VRゲームの世界に閉じ込められてデスゲームが始まるんだ!」となるだろうか?「魔法科高校〇劣等生」という題名から「なるほど!主人公は規格外の魔法を使えるから処理容量を食われて、他の魔法がうまく使えないから劣等生なんだ!」となるだろうか?
なるはずがないだろう、逆にそう考え付く人が居たらそれは世紀の大探偵と成れる推理力の持ち主だから、是非探偵を目指してほしい。
しかしこの2作品でも
「ソー〇アートオンライン〜VRゲームの世界に閉じ込められてデスゲームが始まったけど、ユニークスキルの二刀流で無双します〜」
「魔法〇高校の劣等生〜規格外魔法に容量と取られて劣等生扱いだが、天才の妹に愛されすぎている件〜」
とか内容の付属情報をつけるだけで日間ランキングに並んでも違和感がないだろう。
つまり、批判している人達は内容が分かる題名なのが気に食わない、またはつまらないと感じるのである。
逆に最近のなろう作者/読者は内容がわからないと不安になるのだと思われる。
例えば、私はNTRが地雷なのだが。
ある日、とても絵が気に入った同人誌(R18)があったとしよう。
題名は「あの夏の日」であると仮定しよう。
この題名から内容がNTRであると判断できるだろうか?いやできないだろう。
その結果、私はこの作品を買い、読んだ。
内容がNTRで気分が悪くなった。
と内容がわからない為、自身の気分が害される事を無意識のうちに恐れているのではないか?と私は考えている。
そして読者が内容がわからない作品を無意識に避けていると、内容を説明してもらわないと見てもらえない為、内容を説明する。そうすると題名が長くなる。のではないかと推測している。
この2者の違いは話し合いで解決できるような物でも、どちらかが歩み寄ることもできないと思われる。
前者は獣道を暗闇の中歩き、歩いた経験を基にその先を照らすのが好きなのだ。
しかし後者は、舗装された街灯付きの道を確実に一歩づつ進むのが好きなのだから。
ここからは余談でタイトルとは無関係なので、読み飛ばしていただいても構いません。
私は個人的に、長文タイトルが良くないとは思っていないのです。
では何が好きではないかというと、正に前述してある通り、内容がわかり切っている所なのです。
最近の作品の題名を見ていると「役立たずとパーティーを追放されたけど、〇〇に偶然気に入られてウンタラカンタラ、元仲間に復讐します!」とか「題名見たら要約してるのに本編読む意味ある?」と思ってしまうのです。そして大体の作品はここに書いてある「復讐」を終えると急激に物語の終着点が見えなくなるのです。
目的がない、終わりが明確になっていない作品はつまらなくなったり、そもそも完結しない事が多々あります。これが対外的になろうがつまらないと言われたり、私が長文タイトルが好きではない理由だと思っています。
思いつきと感情だけで書いた文章なので纏まっていない所が多いですがご容赦ください。
私の主観ですので異論も多いと思います。
私個人としては、自分以外の違う視点から見た違う側面や意見も読んで見たいので、是非よければ感想の方にお願いします。