グッバイ!
襟足の髪に、クシを当ててハサミで丁寧に調整をしていく。
BGMのない閉店後の美容院は静かで、ハサミの音だけが規則的に響いていた。
美容室の座り心地の良い椅子に深く腰掛け、スマホでニュースを何とはなしに眺めていた大志は、ふと視線を前面の鏡へと向け、真剣な眼差しで大志の髪をカットしていく友人のあきらの姿を見つめた。
小学校に入学する頃には両親の経営する美容室を継ぐのだと周囲に表明していたあきらは親兄弟を練習台に腕を伸ばし、そろそろ他人の髪も切りたいと、同中に通う大志がカットの練習台になってからもう2年以上がたつ。
修練を重ねていただけあって、猫毛でぺったりとボリュームの無い大志の髪を、かっこよく仕上げるあきらの腕前は素人の域を完全に越えていて、大志にかわいいめの彼女が出来たのは完全にあきらのお陰だと、大志は思っていた。
最後にブローで髪型を整えると、あきらは「終わったよ。ご苦労様でした」と、軽く肩に手を置いた。
「サンキュ。おかげでさっぱりしたよ」
短くなった襟足を撫でながら、大志へは鏡越しに礼を言った。
優しい笑顔で軽く頷きながら、あきらはほうきを手に床に散らばった髪を集めはじめた。
「こうしてみると結構伸びてたよな」
自分の髪の残骸を見下ろすと、こんもりと小さな山になっている。
夏休み前に部活動を引退して高校受験にむけて塾に通い始めたせいで、すっかり髪が伸びてしまっていた。
「そういや、あきらは進学どうすんの?」
「まだちょっと迷ってんだよね。
美容専門学校に入学するのも有りだとは思うんだけど、ちょっと遠いから寮生活になっちゃうし」
「ああ、そういや言ってたよな?
でもさー。高校行ってから専門学校行くヤツの方が多いんだろ?
だったらさぁ、一緒に南高いこうぜ。
あきらいないと、つまんないしさぁ」
拗ねたように大志は唇を尖らせた。
「はは……何言ってんの。
ユキちゃんも一緒に受験するんだろ?」
「そうだけど、彼女とダチは違うって言うかさ……」
「……まぁ、考えとくよ」
「うっしゃ!
一緒にチャリ通しような?」
「まだ決めてないって……」
とたんにはしゃぐ大志に、あきらは苦笑をこぼした。
満開に咲き誇る桜の横を、少し大きめの真新しいブレザーを着たあきらと大志は歩いていた。
「でさー、教室はいるなり大志じゃん、久しぶり! って突然話し掛けられたわけ。
でも、俺ぜんっぜん知らないヤツだったからさ、何こいつってなるじゃん?
でもめっちゃかわいい子だったからさ、こっちも覚えてるふりしてとりあえず『久しぶり! 元気だった?』とか言っといた訳。
でもずっとさぁ誰か分かんなくて、先生来て席付いた後も誰だっけってずっと気になっててさぁ。そしたらその後、クラスで自己紹介とかするじゃん。やった、ラッキー、これで誰か分かるじゃん、てなるじゃん。んでさ、その彼女の番が来てさ、井原美紅って名乗ってさ、井原? 井原……美紅……? ってなるじゃん。でさ……」
ひとり入学初日のエピソードを話し続ける大志を、あきらは相槌を打ちながら話を聞いていた。
「それで、あきらは?
誰か、ダチできた?」
ひとしきり話終わると、大志は後ろを振り返りながら、あきらに尋ねた。
「ああ、実はさ……」
しかしあきらが話出そうとすると、突然背後から「大志! 探したぁ!!」と女の子の声が掛けられ、反射的に振り向いて口をつぐんだ。
「ユキ!
あれ?
今日はテニス部見学行ってみるって言ってなかった?」
「なんだけどさ~。
今日は部活ないんだって!
見学行くつもりだったから家族も帰っちゃってるしさ。
大志と、一緒に帰ろうと思って探してたんだ~」
そう言うと、ユキは大志の腕に自分のそれを絡ませた。
「えっと……今日はあきらと遊ぶ約束してて……」
困ったように、大志は眉をさげ、アキラの方をみた。
自営業のあきらの両親は、入学式には来ていなかった。
大志の親も入学式の短い時間だけ仕事をぬけてやってきて、今はもういない。
だから今日は、今からあきらの家に一緒に行って遊ぶ約束だったのだ。
「俺はいいからさ、ユキちゃんと帰りなよ」
あきらはひらひらと手を振りながら、二人の後ろ姿を見送った。
「もう、ダメかも……」
涙をにじませながら、大志はあきらにそう告げた。
高校に入学して以来、バスケ部とテニス部にそれぞれ所属している大志とユキは、なかなかスケジュールが合わず、すれ違いが発生していた。
中学の時ほどデートや放課後一緒に帰ることも少なくなっていた。
そんな中、ユキがテニス部の先輩とデートしていた、という噂を、大志は耳にしてしまったのだ。
当然のようにユキに問いただした大志だったが、もともと頭に血が上っていたせいで激しい口論になってしまったのだ。
最終的に別れる、別れない、というところまで話が進んだのが。
結局まだ破局にはギリギリ至っていないのだが、到底ここからもとの関係に戻れる気が大志にはしなかった。
あきらは落ち込む大志の柔らかい髪に手を置いた。
「……あのさ、大志。
中二の時にさ、大志ひどい捻挫してさ、レギュラーも下されてさ、ちょっと自暴自棄になってたときあったじゃん。
俺が慰めても全然ダメで落ち込んでさ。部活もさぼったりしてさ。
でもあの時さ、ユキちゃんって見学でもいいからバスケ部に行くべきだって、喧嘩になっても絶対あきらめないでさ。大志にはバスケが必要だからって根負けするまで説得し続けてさ。
怪我がなおるまで大志のためにテーピングの事すごく勉強して、すっごく大志の事フォローしてくれたんだったよな?」
「………うん」
「それでさ、怪我治って復帰した後もさ、朝練して体戻すって言ってたくせに朝弱くて起きれなかった大志のため、毎日モーニングコールしてくれてたよな?」
「………今も……」
「んん…?」
「……今も、してくれる」
大志が小さくつぶやくと、「………ほらな?」と、あきらは少し笑って、トントンと軽い調子で大志の頭を二度叩いた。
「スゲーいい子じゃん、ユキちゃん。
浮気とか、する子じゃないって分かってるだろ。
きっとなんか誤解してるんだって。
ちゃんと、謝って、ちゃんと話を聞いてやれ」
「でも、なんであいつっ………いや、そうやって責めるのが悪いんだよな。
きっと。
分かったよ。
………ちょっと、ユキのとこ、行って話してくる」
大志は何度か自分を納得させるかの様に頷き、それから立ち上がった。
「あきら、サンキュな?」
翌日学校で顔を合わせると、すぐに大志は、満面の笑顔であきらに話しかけてきた。
「え? あ、ユキちゃんとうまくいったんだな?
……よかったな、大志」
あきらはいつものように、優しく微笑んだ。
「大志、映画の招待券お客さんから2枚もらったんだけど、テスト期間終わったら一緒に映画行かねぇ?
この映画さ、大志が……」
「あ~、ゴメン、あきら。
そこ、ユキとデートの約束しててさ。
また今度、誘ってくれ」
「あ、そうなんだ。
……そっか。うん分かった
……あ! だったらさ、この映画の券、やるよ?
二人で楽しんできなよ」
「え? でも悪いよ……」
「何遠慮してるんだよ。
もうすぐ有効期限来ちゃうやつだし。
いいよ、やるよ?」
「え~。マジ悪いけど、助かる~。
映画って何気に高いもんな。
え? あ、これ俺が好きな女優出てるヤツじゃん!!
わ~!!!
嬉しい!!!
あきら、マジ、サンキュ!!
愛してる!!」
「………ハハ、大志、大げさ……!」
「あれ?
あきらくん?
あきらくん、だよね?
久しぶり!」
高校を卒業し、地元の美容専門学校に通っているあきらは、偶然、街中でユキに出会った。
「あ~……。
久しぶり。元気?」
ユキと大志は、同じ大学に進学していた。
高校の喧嘩の時以来はうまくいっているらしく、時折ぶらりとやってくる大志から、交際がまだ続いていることは聞いて知っていた。
「や~、就活でめっちゃ忙しいよ。
今日もこれからイベントなんだ」
「そっか、もう就活なんだね。
まだ、三年なのにはやいよね!」
ユキの服装に目をやれば、コートの下にグレーのスーツを着込み、長い髪は後ろでお団子にまとめている。
「そうなの、来週からインターンとか行くし、倒れそう」
「へぇ……大変そうだね」
「そうなの」
「あの……、ユキちゃん、チョットごめんね?」
あきらはそう言うと、ユキのマフラーに当たって少し乱れた髪を持っていたクシで整え、小さなピンで止めた。
「これでおっけー!
ばっちり可愛くなった」
「ありがと、あきらくん。
気付かなかったよ。
さすが、美容師だね!
こんどこそ大志に連れて行ってもらうからさ、あきらくんに髪切ってもらおーっと。
なんかご利益ありそうだもん」
「ハハ、ありがたいよ、そう言ってもらうと。
あ~、えっとさ。まだ大志に言ってないんだけどさ、実は来月から東京の美容室で働くことが決まっててさ、ギンザ・ノキアってとこなんだ」
「え~、ホント!?
有名な女優さんとか行ってるとこでしょ、聞いたとこあるよ。
凄いね、あきらくん!」
「ありがとう、だからさ、早めに来てよ」
「分かった。
未来のカリスマ美容師に切ってもらうチャンスは逃さない!」
「おう!」
「じゃぁ、私もうそろそろ……」
「ああ、うん頑張って!」
「ありがとう」
「あれ?
大志?」
夕方、あきらがいつものように両親の経営する美容室で働いていると、大志が姿を現せた。
「………あきら……」
大志の顔は、ほんの少し青ざめていた。
「……ごめん。
聞いたんだな。
今なら、手が空いてるから……俺の部屋に行こう」
あきらはそう言って、隣接する住宅へと大志を誘った。
「……急にさ、決まったことなんだ。
美容学校の先輩にさ。
東京で腕磨かないかって誘われてて。
迷ったんだけど、両親は今のとこ元気だし、他のとこでも修行するのも有りかなって思ってて」
大志はずっと黙ってあきらの話を聞いていた。
そして、あきらが最後まで話終わった時、言葉を漏らした。
「おめでとうって、言うべきなんだろうなぁ……」
「え?」
「だってさ」と、大志はため息交じりに続けた。
「すごく、いいとこなんだろう?
テレビとかにも出るくらい。
でもさ、なんか急で……。
あきらはずっとここに居るって、思ってから……」
「……うん、ゴメン。
なんか、なんかな、言えなかった。
友達なのにな、なんかな……」
「俺こそゴメン。
就活なかなかうまくいかなくて、イライラして愚痴ってたりしたから、言えなかったよな」
「そんなこと……ないけど」
「あ~、もう!
すげ~寂しい」
大志は自分の髪をわしゃわしゃと両手で乱した。
「俺も、凄く寂しいよ、大志がいないと……。
でも……大志が。
……大志が結婚して。
子供が2、3人生まれて……。
すっかりおじさんになった頃には……帰ってくるよ」
「あきら……」
「うん?」
「就職おめでとう!!」
あきらは驚いたように目を見開いたが、すぐにいつものように優しく微笑した。
「ありがとう、大志」
「東京行くときは泊めてくれよなぁ」
「……どうしようかなぁ」
「ひでぇ! ダチだろう?!」
「そうだな……友達だ。
……ずっと」
あきらは視線をすっと逸らせて、窓の向こうへと向けた。
沈みゆく太陽の光が、その頬を赤く照らしているのだった。
official髭男dismの「Pretender」が同性愛を暗示するという説を聞いて(真に受けても言う)書いてみた作品。