停滞
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②続編になります(18歳未満閲覧禁止)
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「お忙しい所お呼び立て致しまして」
ガチャリと事務所に入ってきた小柄な男に、珍しくもスーツを着ているオーナーは愛想良く声を掛けた
「お久しぶりですね緑川さん」
週末のホストクラブ「Yamato−nadeshiko」。午後17時。冬の空はすっかり暗いーーー机の前に立った男にオーナーはにっこりと笑顔を向けた
「オーナーお久〜って・・・このネオ新宿一のクラブの立ち上げに協力した僕を忘れてたでしょ?広告宣伝全部やったのにー」
緑川と呼ばれた男ーーー緑川吉雄。大柄なオーナーより背が低く細身である。そして皺の寄ったグレーのスーツには異様なほどの長いボサボサの黒髪を輪ゴムで後ろに適当にまとめ、流行と正反対の黒縁眼鏡ーーーその異様な風貌は彼一流の手管ーーー彼はこの国最大手の広告会社「ネオJAPAN広告電報通信株式会社」のトップセールスを上げる営業主任であった
「なーに言ってんですか?相変わらずのボサボサ髪・・・アンタのそれが相手の認識を崩すモンだってコト位分かってんだ。アンタ逆じゃねえか?旨く行ってねえ時は偉いことこざっぱりして美形に大変身だ。ああ、場所でも使い分けてたっけな?アンタとアポ取るの大変なんだぜこっちだってよ?よく言うぜ全く・・・」
燻らしていたタバコを灰皿に潰し、言葉を崩してオーナーは苦笑する。このクラブを立ち上げる時ーーー新参者である彼が参入することに地元のオーナー達には根強い抵抗があったことも、勿論土地柄の裏の手回しもーーーこの緑川という男はその渉外を殆ど引き受けた。それは一体何故であろうか?如何に大手の店で働き客がついていたとはいえ、当時のオーナーはまだ若輩。その無謀ともいえる新規参入に、緑川もまた若輩だったとはいえーーー何故一流広告会社のセールスマンが身を乗り出したのか?
「いえいえまさかー床屋に行く金も無いよ。今月の僕の成績とっても悪いのーねーオーナーちゃん、金か仕事回してよ」
「勿論そのお話の為にお呼び立てしたんですよ」
口調を元に戻しーーーオーナーはもう以前の若輩ではない。彼の一種営業テクニックに惑わされることは無い
「まーどーぞ。座って下さいや」
オーナーは立ち上がり、ソファに緑川を促すーーーテーブルの上には酒があった
「ダメっすよまだ5時半じゃないっすかー酒入れるワケにはいきませんって・・・あ、コレあれだ、中国の」
「お好きだってお聞きしてましてねー取り寄せときましたよ。お好きでしょ?白酒。(アルコール度数は70度以上)」
「どこで手に入れたの・・・ってダメだってば僕まだお仕事中ってか昨夜もクライアントと夜通し飲んでさあ、午前中はネオ汐留の本社でゲーゲーやってたんだから!掃除のおばちゃんに怒られてーーーっ開けるなってコラ!」
オーナーはまあまあと緑川を座らせ封を切り鉄製の中国式杯子に並々と注ぐ。彼の酒好きは有名だ
「いいじゃねえですか?俺の仕事より大きなものなんかないでしょう?今夜はこのままウチの店で遊んでいって下さいや」
いやいやと手を振る緑川に杯子を持たせーーーオーナーのその言葉に黒縁眼鏡の奥の瞳が鋭くなったのを見逃さない
「おっきなおしごとねー」
クッ・・・と一気に緑川は酒を煽った
「だーーーー!キクなコレーーー!」
「でしょーーー?!プロシュート(イタリア産生ハム)合いますよー」
ただの酔漢のようだが、強い酒の底に本当の心情を巧妙に隠しビジネスの計算を素早く張り巡らせるーーーどちらが先に方程式の答えを出すか?
「もー一杯如何です?」
「さんきゅ。で、美味しいお酒と一緒に美味しいお仕事のお話も注いでおくれ?オーナー」
完全に緑川の瞳は鋭くーーーまるで獲物を見定めた鷹のようだった
「ウチの新しいNO.1の広告宣伝をお願いします」
オーナーもまた、その鷹の瞳に射竦められることなく
「・・・新しい?ええ?金髪のアフロさん陥落?うっそー」
意外そうな緑川の表情ーーーオーナーは軽く手を振った
「いえ、アレはあのままでーーー新しい法律の規制はご存知でしょう?アレのお陰でウチもどうなるか分からない。周囲の店はかなり引いてーーー店名を代えて凌ごうとすら考えている。ならばコレは俺にとってチャンスだ。誰も彼もが敵前逃亡し戦争の災禍が抑まるまで難民になるというのならば、そこに留まることが未来にとって如何に重要なことかはーーー広告宣伝という進行を前提にビジネスを見極めるプロ中のプロのアンタなら充分理解している筈」
如何に酒を入れようと仕事は仕事だーーー緑川がオーナーである彼に協力を買って出たのもそれが一番の原因だった。現状を打破する為に突っ走るーーーそれが彼の魅力だ。広告宣伝ーーー一種投資と同等な莫大な金額が動く仕事。それの発進元を見極めるーーーそれこそが一流の広告宣伝マンである緑川の真骨頂
「新しいNO.1の見極めを間違えればお前だけではなくーーー私の首も絞まる」
「その時は俺の内臓でもなんでも全部売っ払ってでも負債はお返ししますよ」
ーーー酒は大分空いた
「お前の内臓など酒と薬でやられて何の価値も無い」
驚くほど冷たいその、緑川の真の姿
「・・・一時間後に店に行く。そのNO.1にしたいホストを私のテーブルに連れて来い。詳細はそのホストを私自身が見極めてからの話だ。意味の無いビジネスの話程無駄な時間の使い方は無いからな」
そう、緑川は何処も見ていないかのような瞳で呟くと酒を空けーーー静かに立ち上がり事務所を出て行った
「・・・豪だけじゃ足りねえんだ・・・」
太客としてネオ池袋の顔役を付けるだけでは足りない。それは内部確定。それではただのNO.1の変換であり今までとなんら変わりない。外部メディアへの露出は方向転換の最たるもの。オーナーは白酒の底に残った液体を指にあて舐めながら
「・・・さーて光ちゃん・・・頑張って貰いましょうか」
ホールの女性客の視線が一斉に集まったーーー中央を歩く一人の男に
「・・・あれ誰?新人ホストって感じじゃないわよね?」
ボーイの一人に尋ねる女性客
「あんな人・・・いなかったわよね?どっかからの出向ホスト?」
「すっごいイケてるじゃない・・・呼べる?あのオトコ。ヘルプとか廻しでいいからさ。旨く明細に入れてよ」
永久指名制世界のルールに即してテーブルに呼ぼうとする女性客
「いえ・・・あの方は従業員ではございません。お客様でして・・・」
ボーイも少々の途惑いを持って女性客に答える。女性客の隣に座る中位のホストなど霞むような、顔貌というよりも洗練され落ち着いた雰囲気を持つ、だがそれだけではなく少々の危険な瞳を併せ持つーーー冷たい男性的魅力に溢れた紳士ーーー一時間前の乱れた髪を整え額を出し、仕立ての良い落ち着いた外国製スーツに靴、時計、ネクタイピン等、全てが高級品であり且つ嫌味にならない統一性と控えめさを持って完成されたビジネスマンーーー眼鏡を外した緑川吉雄だった。その一時間前とは歩き方すら全く違う。背筋を伸ばし颯爽と歩むその姿は、接客業専門のホスト達とは正反対の知的な雰囲気ーーー所謂「シゴトのデキるオトコ」。少々の微笑を浮かべ周囲の女性客の秋波に軽く応えるように視線を送る
「・・・緑川様、で・・・ございますよね・・・?」
ボーイはインカムに手をあてながら緑川に声を掛けた。勿論ボーイはオーナーから緑川の来店を指示されていたであろうが、その外見や雰囲気が全く違うことから戸惑っていた。一体緑川はいつの間に店内に入ってきたのか?入口はホール中央の豪奢な細工を施された大扉のみーーー一体いつの間に?
「席に案内してくれるかな?久々に店内に入ったから雰囲気を見てみたかったんだ。なかなかの繁盛振りだね。女性の優越感を旨く煽ってるーーー女性は経済の要だからね」
穏やかな微笑を浮かべ狼狽するボーイを促す。勿論中央ホールを見下ろせる一枚硝子に囲まれた、二階相当の高さにあるVIP席に案内される
「だが確かに・・・このままではーーーテコ入れが必要だね」
「緑川様。お久し振りでございます。お飲み物は如何なさいますか?」
ボーイがテーブル上を整えていると、小千がテーブルに現れ緑川に一礼をした
「小千さんお元気?相変わらずお上品だね。一緒に呑もうよ、ね?」
冷たい外見には正反対の、明るい人懐こいーーー営業としては一種マイナスとも言えるその冴えた印象の外見を覆い隠す、嫌味を感じない程度のーーー非常にフレンドリーな口調だ
「ーーー困ります。緑川様。貴方様はどの場でも完璧に適応され、自らの存在を溶け込ませてしまうのですからーーーホール管理をしている私を余り困らせないで下さい」
ははは、と緑川は隣に座った小千の肩をぽんぽんと軽く叩き、差し出されたロックグラスを受け取った
「だってね、やっぱりお店っていうのは従業員の立場から見ないとね。裏から見てからこそ本質が見極められるんだからね」
くっ、と酒を煽るーーー満面の笑顔
「わー今度は黄酒?しかもちゃんとしてるね。オーナーどこでこんなの手に入れてくるのかな?最近は国民性に迎合するとか言って30度以下のものばかりって聞いてるけどコレーーーキクね!うんうん美味しいね!」
緑川は自分から酒瓶を掴んで勢いよく何杯も呑み始める
「・・・いいえ。こちらは差し入れでございます。本日緑川様がいらっしゃるという事でーーー」
「豪ちゃんからのお賄賂でーす♪」
いつの間にそこに居たのか、VIP席のガラス張りの扉の前にキャンサー・G、ネオ池袋の顔役が立っていた
「キャンサ−・G?おやおやいらしてたんですか・・・どうしました?私の席にわざわざのお越しとはね・・・」
緑川の口調が変化した。声色こそは穏やかだがーーー
「俺の新店のプロモート蹴っといてココにいるって聞いたからなあ。こりゃご挨拶しなきゃなって思ったの豪ちゃん。そのお酒気に入ってくれた?ネオ池袋北口には中国酒の専門店があるからな。すぐに届けさせちゃったよ」
緑川は酒をテーブルに置き、笑顔を作るーーー笑顔。それは冷たい皮肉を込めたもの
「私がプロモートする必要は無いと思いましてね」
豪は皮肉な笑顔を返しーーー大柄な彼の体に隠れていたのか背後に居た人物を促すように室内に入れた
「いいもーんだ。豪ちゃんは可児くんにお願いしたからねっだ」
小柄なーーー非常に小柄で細身の若い男が慌てたようにぺこりと頭を下げ、名乗りーーー緑川に名刺を差し出してきた
白鳳堂 営業 可児聡
緑川はその切れ長の瞳を少々見開いたーーーワックスで上向かせた髪、乱れたネクタイ、使い込んでいるであろう肩から提げた黒鞄。おどおどと上げた顔はあどけなさを感じるほどで、大きな瞳は妙に気の弱さを感じさせるーーー青年。いや、少年のような印象の年若い男だった
「ウチの専属になって貰っちゃったの。ボーヤだからってナメちゃだめだめよー?」
クククと笑い、可児の乱れたネクタイを掴むように腕に抱き込み何度も頭を下げさせる豪
「や、やめてくださいよ〜豪さん・・・僕、緑川さんにお会いすんの初めてなんですから〜」
今にも泣き出しそうな声を出し可児は必死に豪の腕から逃げようとするが、大柄な豪の腕力に適うわけもなく哀れにもその頼りない体はぶんぶんと振り回されている
「ーーー知ってるよ。可児聡君・・・初めまして。私はネオJAPAN広告電報通信株式会社、緑川吉雄・・・宜しくね・・・スネーク・マンのプロモート良かったね・・・ああいうプルーレイ新機種からの同時攻勢は私では考え付かないね・・・珍しい名字ってだけじゃないよ。君のプロモーション手法は非常に印象深い」
スッと緑川は立ち上がり名刺を差し出す
「あ、は、はい!ありがとうございま・・・すみませんっ僕、ご挨拶をーーーって豪さ〜ん!離して下さいよ〜」
「だーめー!可児くんー!同じ業界の大先輩に負けないように胸を張るんだ!さあ頑張れ若者!」
「だって緑川さんっていったら!僕ら広告業界では伝説のヒトですよっ!アンヌ国際広告祭での受賞だって殆ど緑川さんの功績ーーーってわあああ!」
豪はやはり大きな笑い声を上げおたおたと慌てている可児を振り回す。いい加減に見かねた小千が穏やかに治め二人を席に促した
「私達はよく武士って揶揄されるけど、君は公家って感じじゃなくて本当に素人っぽいね・・・」
緑川は居心地悪そうにソファに座る可児に酒を注いでやったーーー萎縮したようにぺこぺこと頭を下げそれに口をつけるが、途端にげほげほと咳き込む
「あっはははー!緑川さーん!可児たんには強すぎじゃん?黄酒は!」
可児の背中を摩りながら豪は残った酒を飲み干す
「そういう・・所が今の社会に合っているのかも知れないね。プロとしての完璧さではなくクリエティブでエキセントリックなーーー予想のつかない・・・」
「えっ・・・え?な、なんて仰ったんですかっ?すっすみま、せん・・・豪さんっ僕なんか・・・気持ち悪いんですけど〜」
顔に出やすいのか真っ赤になった可児のあどけない表情を見てーーーふっ、と一段低くなった緑川の言葉
「ーーー緑川様・・・NO.2の入室、宜しいでしょうか?」
小千がインカムを押さえながら緑川に視線を送るーーーNO.2は連絡を受けこのVIP席に向かっているのだ
「ああ、構わないよ」
緑川はまた口調を変えーーープロの笑顔と真眼に切り替える。今夜の目的はビジネス目標を見極めることなのだから。大手白鳳堂入社一年目で雑務の中からメキメキと頭角を現し、殆ど予算の付かなかった外国配給の映画のプロモートを殆ど一人で成功させたーーー誰もが思いつかない方法と一種クラフトな技法で。広告営業マンとして凄まじい程のポテンシャルを秘めた「可児聡」を見極める事はーーー後日でいいのだ。確実に自分の対抗馬となろう若者を見極める必要は
「あっれ?なに光ちゃん呼んでるのー?ちょっとちょっと緑川さーん!光ちゃんは俺のお気に入りなんですけっど?苛める気?」
ネオ池袋の顔役を後ろ盾につけているということかーーー緑川は認識する
「−−−豪様、これはオーナーのご命令でして」
「・・・オーナーなんで挨拶に来ないのさー?」
豪は酒が回ってぼうっとしている可児の首筋に冷製チーズをあてて遊びながら小千に尋ねるーーーオーナーは何故姿を見せない?
「少々、商談が長引いておりましてーーーすぐに参ります」
何の躊躇も無く小千は答え立ち上がりーーー扉を開けた
「それまでは私とーーーこちらのNO.2がお相手させて頂きます」
そこにはーーーまるで太陽のような笑顔を浮かべて一礼する、NO.2光が立っていた