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名前

「ねぇ、シェルリア」

「は、はい。いかがなさいましたか?」



 久しぶりのポカポカとした陽気が漂う昼下がり。最近部屋にこもりきりだったチェルシーが、運動不足解消のため散歩をすると言い出したので、シェルリアはその付き添いをしていた。

 王宮の廊下の窓から手入れの行き届いた庭先を眺め、長い廊下をゆっくり歩く。少し離れたところでは、護衛の騎士がチェルシーとシェルリアを見守っていた。


 チェルシーのおろした状態の銀髪が靡いて綺麗だなぁ、と暖かさに気が緩んだのか、少し思考が飛んでいたシェルリアは、チェルシーからの問いかけに慌てて返事を返す。そんなシェルリアの様子に、チェルシーはクスリと小さく笑いをこぼした。



「少しは元気が戻ってきたのかしら? 皆心配していたのですよ?」



 僅かに身体をシェルリアに向けてチェルシーは眉尻を下げる。仕事中は普段と変わらぬ仕事をこなしていたつもりだったシェルリアは、チェルシーに心配をかけていたのだと知り、慌てて頭を下げた。



「ご心配をおかけしてしまい申し訳ございません。もう平気です」

「そう? 何かあったら言うのですよ? わたくしの侍女を苦しめる輩に優しいわたくしではありませんからね」

「……は、はい」



 ふふふ、と可愛らしい笑い声を漏らしながらも、笑顔が神々しすぎて逆に恐ろしく見える。チェルシーには何があったかを話してはいないのだが、もうすでに知っているのかもしれない。

 シェルリアはこの後に何か起こるのではと不安を覚えつつ、何とか笑みを浮かべた。


 その時、視線を再び前へと向けたチェルシーの口から「あら?」と可憐な声があがる。シェルリアは不思議に思いチェルシーの視線の先を追う。そして、あからさまに顔を歪めた。



「セドリック」



 決して声を張ったわけでもないのに、チェルシーの声は廊下によく響いた。名を呼ばれた男、セドリック・ランベルはチェルシーに気づき、早足で近づいてくる。

 シェルリアは逃げ出したいのを懸命に堪え、必要以上に後ろへと下がり、侍女として控えの姿勢をとった。



「久しぶりですね、セドリック。変わりはないですか?」

「はい。チェルシー王女殿下もお変わりなさそうで、安心いたしました」



 敬意は払ってはいるが、セドリックとチェルシーの周りを漂う空気は親しげである。

 セドリックの父親であるランベル伯爵も特別王宮薬師の一人であるため、セドリックは幼い頃から王宮に通っていたはずだ。二人が幼い頃からの顔馴染みであってもおかしくはない。



「最近は忙しそうだから控えていたけれど、また、わたしくの研究のお手伝いを頼みたいですわ」

「あぁ……あれですか。そうですねぇ、落ち着いたら、是非」

「ええ」



 どこか歯切れの悪いセドリックの返事を気にも止めず、チェルシーは満足気に頷いた。

 研究と言えば、チェルシーが調べているのは、先祖が持っていたという魔力についてである。セドリックがその研究とどんな関係にあるかはわからないが、彼の紳士の仮面が剥がれかけるということは、相当面倒なことなのだろう。



「呼び止めてしまってごめんなさいね」

「いいえ。ちょうど戻るところでしたから。殿下は図書館へ?」

「引きこもり気味だったから、気分転換に散歩をしているだけですわ」

「それは素晴らしい。第二庭園の木の葉も見頃ですよ。ただ、少々寒いでしょうから、外に出る際は暖かくしていってくださいね」



 軽やかな会話が続き、シェルリアはそわそわとし始める。できれば早くセドリックと離れたい。先日の図書館裏での事も忘れているかもしれないが、無礼を働いた事実は変わらないのだ。

 シェルリアは心の中で「私は空気……空気……」と呪文を唱えていた。けれど、現実はそう甘くない。



「それは、わたくしが昔から寒さに弱いからおっしゃっているのかしら?」

「そうですね。この季節はよくお風邪を引かれていましたし」

「心配ご無用ですわ。ちゃんとストールを持ってきていますもの」



 そう言ってチェルシーは、シェルリアの手元にあるストールに目を向けた。必然とセドリックの視線もシェルリアへ向けられる。

 シェルリアは内心悲鳴を上げた。なるべくストールだけを見てもらおうと、僅かにストールの持つ手を上げる。しかし、シェルリアの願いは叶わなかった。



「あれ? ……君」

「っ!?」



 シェルリアは息を呑んだ。伏せている顔を、より隠そうと俯きを深くしたシェルリアだったが、ただの悪あがきだったようでーー



「図書館裏で会いましたよね?」



 シェルリアは心の中で、なんで今回は覚えてるのよぉおお! っと叫んだ。



「ひ、人違いではございませんか?」

「いいや、君だ」



 シェルリアの身がビクリと揺れた。完全にバレている。

 こうなっては仕方がない。セドリックから怒りの感情は感じられないが、何か言われる前に謝ったほうがいいだろう、とシェルリアは意を決する。



「先日は失礼なことを申し上げ、誠に申し訳ありません」

「いや、あの時のことはもう気にしていません。ただ、少し貴女に聞きたいことがありまして。私はセドリック・ランベルと申します。よろしければお名前を伺っても?」



 シェルリアにとっては絶対絶命である。これ以上、セドリックと関わること自体遠慮したいのに、せっかく忘れている彼に名前を伝えて、『忘れ屋』での出来事も全て思い出されたら。許してくれている様子だけれど、過去にも無礼なことをしたと知られて、今度こそ終わりかもしれない。

 なにより、『忘れ屋』で話したことを思い出して欲しくない。


 だからといって、自分よりも地位の高い人物が名乗ってくれているのに、無視をしたら無礼の上塗りである。

 シェルリアは必死に考えた。短時間で必死に。そして、導き出したそれは、決して完璧な答えではなかった。



「リア……リアと申します」

「リア嬢……」



 シェルリアの伝えた名前を、セドリックは一度口の中で転がす。自分の名前ではないはずなのに、セドリックの甘い声で紡がれたそれに、シェルリアは鳥肌が立った。



「よろしければ今度お時間をいただければと思うのですが」



 やはり名前だけでは終わらないか、とシェルリアは泣きたくなった。角が立たない断り方などシェルリアルの経験値では思いつけない。

 シェルリアが諦めて口を開こうとした時、じーっと状況を黙って見守っていたチェルシーが先に口を開いた。



「セドリック。わたくしの目の前で、大切な侍女を口説くのはやめていただきたいですわ」

「これは失礼いたしました」

「わたくし、散歩を続けていいかしら?」

「はい。お気をつけていってらっしゃいませ」



 チェルシーはそのまま歩き出す。シェルリアはついて行かねばならないので、必然的にセドリックと離れることができた。

 会釈をしてセドリックの前を通り過ぎたシェルリアは、セドリックが見えなくなった途端、肩から力を抜く。そんなシェルリアに呆れを含んだ眼差しが向けられた。



「助けてあげたのですから、ちゃんと話すのですよ」

「……はい」



 一難去ってまた一難。この後、シェルリアはチェルシーに『忘れ屋』に行く少し前の出来事から、包み隠さず話すことになるのだった。

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